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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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権威に対する私の軽蔑を罰するために、運命は私を権威にしてしまった。

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xy直行座標というデカルト座標を考える上で、デカルトの「方法序説」を寺子屋では引きました。


数学の本質を「比例」であると見出した上でデカルトはこのように言います。

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「比例を個別的にいっそうよく考察するためには、これを線として想定すべきこと。線以上に単純で、線以上に判明にわたしの想像力や感覚に表象できるものはなかったからだ。」(pp.30-31 デカルト 方法序説 谷川多佳子訳 岩波文庫)

これは比例関係にある2つの変数を一次直線で表現すると読み替えるとしたら牽強付会かもしれません。

x 1,2,3,4,5
y 3,6,9,12,15

という関係があり、明らかに比例関係にあるとして、これらのデータをリスト化されるよりは、「これを線として想定」するほうが単純で判明です。

デカルトは続けて、

「しかし、それらの比例を記憶に保持し、多くを一度に捉えるためには、できるだけ短い、ある種の記号で示す必要があること。」

と言います。

「それらの比例を記憶に保持し、多くを一度に捉えるためには、できるだけ短い、ある種の記号で示す」

これは上記のデータから一次関数の転換からもう一歩先へ行き、

y=3x

としてくだんの比例を描くと読めなくもありません。

できるだけ短い、ある種の記号」です。

ですので、デカルトが方法序説で描いたこれからの数学というのは、個別具体的なデータxy直行座標というマップにプロットし、それを代数的に表現して関数として表すということではなかったかと思います。

すなわち、異なる3つの数学空間をつなぎあわせたということです。

先の文章に続けて、デカルトは言います。

「そしてこのようなやり方で、幾何学的解釈と代数学とのあらゆる長所を借り、しかも一方の短所すべてをもう一方によって正せる、と。」


ここにおいてユークリッドに代表される幾何学と、ディオファントスに代表されるような代数学がマリアージュしたように考えるのは言い過ぎでしょうか。

幾何学と代数学がお互いにお互いを相補いあいます。

続けてデカルトはこんな告白をします。

「実際、思いきって言うと、わたしが選んだこのわずかな規則を厳密に守ったことで、この二つの学科の及ぶどんな問題もきわめて容易に解けるようになり」と言います。

デカルトの方法序説を読み返すと、Cogito ergo sum(我思う故に我在り)だけではなく、非常に興味深い叙述ばかりです。哲学をこき下ろし、数学を評価し、数学も「あの個々の学科すべてを学ぼうとするつもりはなかった」(p.30)と言い放ちます。

また栄誉が好きなのではなく、「それどころか、何よりも尊重している平穏に反すると判断するかぎり、憎んでいると言ってもよいほど」(p.97)と言い、かつ、「これらを考え合わせた結果、三年前、手もとにあった論文をけっして公表するまいと思い(略)世間に知らせまいと決心した」と言います。

これはニュートン、オイラー、ガウスなどにも共通する思考方法です。

平たく言えば、どうせ理解できないのだから公開して足を引っ張られるくらいなら、公開しないということです。私の死後に読んでくれれば良いという考え方です。これは多くの偉人に共通する思考です。

まさに彼らにとっては、栄誉も喝采も邪魔にしかなりません。

というわけで、最後にアインシュタインのこんな言葉を。

To punish me for my contempt of authority, Fate has made me an authority myself.

権威に対する私の軽蔑を罰するために、運命は私を権威にしてしまった。


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