与沢翼さんの「ご報告」のニュースは我々の間でも衝撃をもって受け止められました。
毀誉褒貶はあると思いますが、別に悪いことをしているから因果応報だというような無邪気な意見には同調できません(巨悪がよく眠ることを僕らはよく知っているので)。
ただ少なくとも、アメリカの建国の父であるベンジャミン・フランクリンの ”The only things certain in this world are death and taxes. ”(死と税金からは逃れられない。この世で確実と言えるのは死と税金だけである)という言葉を思い出しました。
もしくは事業をされている人の暗黙の了解である「税金こそが最大の経費」ということも。
今日、こっそり開催される(というか告知文を作り損なっている)「はじめての開業」セミナーでは、かつての「開業コーチング」の大人版と言えるべきものをやりたいと思っています。ちなみに、2ヶ月に一度くらいのペースで内輪で開催したいと思っています。
とりあえずいまさらですが、告知です。
スクール修了生対象まといのば講座「はじめての開業」
【日時】 5月2日 19:00~21:30(22時まで質疑応答で延長の可能性があります)
【場所】 東京・四ツ谷の「まといのば」の新セミナールーム
【受講料】 20,000円
(1講座あたり、基本的には銀行振込でお願いします)
【受講資格】 まといのばスクール修了生
【持ち物】 筆記用具と向上心と情熱
【お申し込み】お申し込みはこちらから。
こちらは同じくスクール修了生を対象にしてヴァーチャル受講も可能とします。
音声による配信です。申し込みフォームのコメント欄にヴァーチャル受講希望と記載してください。
閑話休題
フリーエージェントというのは翼さんが広めた言葉ではなく、そもそもはダニエル・ピンクの「フリーエージェント社会の到来」などで人口に膾炙しました。
しかし、なぜフリーエージェントなる(ついお父さんには野球しか思い出せないような)言葉が出てこなくてはいけないのか?これは単純です。雇用が不要な社会になってきたからです。
そこに深く切り込んでいるのはこの人しかいないのではと思います。
(引用開始)
機械が労働の違いを消し去り、ほとんどいたるところで賃金を同じ低い水準に引き下げるにつれて、プロレタリアートという階層内の様々な利害と生活条件はますます一様化します。ブルジョワの間の激化する競争と、その結果生じる商業恐慌は、労働者の賃金をますます動揺させます。機械のますます進む改良は、非常に急速に発展し、労働者の生計をますます不安定にします。(引用終了)
共産党宣言からの一節です(引用元はプロジェクト杉田玄白より)
我々はIT化などとも言いますが、歴史的には工業化の流れの1つにIT革命も包摂されますし、「機械が労働の違いを消し去り、ほとんどいたるところで賃金を同じ低い水準に引き下げる」のは事実です。
一物一価というのは情報理論で考えればエントロピーの法則でしかありません。
いや、一物一価って何?という人は復習しておきましょう(分かりやすく言えばググレカスです)。
一物一価の法則(いちぶついっかのほうそく、英語:law of one price)とは、経済学における概念で、「自由な市場経済において同一の市場の同一時点における同一の商品は同一の価格である」が成り立つという経験則。Wikipedia
温度にせよ価格にせよ、さえぎるものがなければ、物理法則としてエントロピーは拡大します。
賃金というのも価格の1つでしかないので、一物一価が成り立ちます。雇用というのはざっくり言えば時間を切り売りする形態です。
我々はありふれた商品として社会に飛び出すのです。
消費者としてより良く、より安い商品を求めるのが当然であるように、市場も私情を挟むことなく、より優秀でより賃金の安い人材を求めます。しかし、人材以上に機械のほうがいいよね、というのが我々のコンセンサスです。洗濯物を人に依頼するよりは、洗濯機に依頼するほうがいいでしょう。かまどでご飯を炊くより、炊飯器を選ぶ人が多いでしょう。機械化は必然的な流れです。
切符を切る駅員さんというのは完全に過去の遺物か、田舎でしか見れなくなりました(そのうちタクシーの運転手さんという概念も過去の遺物にして欲しいものです。初代の映画「トータル・リコール」ではロボットが運転していました)。
*人間の知覚を超えたそうです。未来の人から見たら、なんで野蛮にも人間が運転していたの?と我々に聞くでしょう。それに酩酊した状態で運転したり、昏睡した状態で運転して、多くの人をケガさせ、殺していたと知れば、Crazyだと言うでしょう。実際にCrazyです。
僕自身は会社という形式や雇用という形式は無くならないと考えています。
ほんのすこしだけ歴史を遡れば、国民の大多数が農家でした。いまは農家はわずかです。同様にいまは多くの人は会社勤めをしているでしょうが、将来は会社勤めの方は少なくなっていると思いますが、会社という形態も会社員・従業員という形態なり、通勤も絶滅はせず、希少種になるだけだと思います。
ただ運動していないときに筋肉が分解されてアミノ酸が解けていくように、会社はどんどん雇用調整をし、リストラという名の下の大量解雇は激化していくと思います(というか、ユニクロや楽天?などのように外国人率を高めていくでしょう)。都内の飲食店はほとんど外国人の方で占められているようにすら思います。
水は高いところから低いところに流れるように、同じくらいのスペックで安ければ、安い方を選びます。雇用も同様です。
ただ、日本の場合はおそらくは文化的に雇用は福祉という印象があります。助けるために雇うという感覚です。優秀な少数の人が、優秀ではない大多数の人の食い扶持を稼ぐという大家族的な(アジア的な)考え方なのでしょうか?
まあ、いずれにせよ、マーケットは正直なので、自然淘汰は見事に働きます(見事ではない事例も多いですが、全体としてはほどほどに機能します)。
そのようなカラクリをきちんと学問的にも、現場のCaseStudy的にもきちんと整理し学習しながら、じゃあ、ビジネスでどう自分が社会に機能を果たしていくかを考えるのが今日から開催する「はじめての開業」シリーズです。
シリーズというのは二ヶ月か三ヶ月に一度くらいのペースで開催して、知識を溜めることで社会的に成功することを目指すからです。
いわゆる「好きなことを仕事にしなさい」とか、「ワクワクすることを仕事に」とか「趣味を仕事に」などという寝言は言いません。いや大枠では間違っていないのですが、それは機能を果たせている人が言うことであって、1円も稼げず、1ミクロンも社会に寄与していない子供がほざくセリフではないのです。
皿洗いを任された新人調理師が、「ワクワクしないので、やりません」とか言ったら、鉄拳制裁かクビでしょう。社会というかマーケットはもっと辛辣ですし。鉄拳制裁なり、怒鳴られるほうがはるかに優しいと言えます。
最近、プロダクトローンチなる単なる動画で宣伝というシステムが課題評価され、数日で多く稼げるような幻想がばら撒かれていますが、当然ながら嘘です。
昨日までパンを焼いたことがないけど、明日からパンを焼くので1個1万円で買って下さいとか言って買うわけ無いでしょって思います。
人生で何か熱中してきたことがあるはずだ、それをお金に変えよう!などと言っても、熱中してきたことが無いし、挫折もきちんとしていないし、壁にもぶつかったことがないから、薄っぺらな安っぽい釣りにひっかかるのでしょ、って思います。
バカに火をつけても(情熱をたぎらせても)、燃えないゴミです。
爆発的に燃えるジェット・エンジンでかつ自分で着火してくれる人とだけ、ますます高みへ登るほうが現実的です。生ごみは腐らせておき、燃えないごみは夢の島に送りましょう。
価値の無い人生は存在します。ただそうは言っては社会的にも政治的にもいけないとされるので、言わないだけです。言いかえれば、「お前からは買わないよ」ということはあるでしょう。「それは買わない」という商品も。すべての商品を買うわけに行かないので、我々は何を買うかをセレクションします。そのときに弾かれてしまうもの、そしていつも弾かれるものは価値がないのです。それだけです。そのセレクションが集まって、ナチュラルセレクションになったのが市場ということです。マーケットです。
次の問題は、「お勉強好き」です。
勉強が好きで、いつも学び続ける姿勢は素晴らしいことですが、それだけでは問題です。
ここでも古典から学びましょう。徒然草の188段です。高校の古文でも扱ったでしょう。
(引用開始)
第188段:或者、子を法師になして、「学問して因果の理をも知り、説教などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、教のままに、説教師にならんために、先づ、馬に乗り習ひけり。輿・車は持たぬ身の、導師に請(しょう)ぜられん時、馬など迎へにおこせたらんに、桃尻にて落ちなんは、心憂かるべしと思ひけり。次に、仏事の後、酒など勧むる事あらんに、法師の無下に能なきは、檀那すさまじく思ふべしとて、早歌といふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう境に入りければ、いよいよよくしたく覚えて嗜みけるほどに、説教習うべき隙なくて、年寄りにけり。
(引用終了)
現代語訳というか、超訳で端的に言えばこんな感じでしょうか。
親が子供を学問を修めた立派なお坊さんにして、セミナーや大学で授業をしたりして暮らすと良いと言いました。子供はそれに従って、まずセミナー講師になるために馬に乗れるようにしました。セミナー会場に車で乗り付けるほどの身分になれないから、馬で乗り付けるけど、馬から落ちたら恥ずかしいから、乗馬の訓練をしました。次に、酒の席で何か一発芸ができないと顧客が不満に思うだろうからと、カラオケの個人指導を受けました。カラオケと乗馬がとても上手になって、勉強どころではなく成り、人生が終わりましたとさ。という話です。
勉強もほどほどに。まずは社会に役割を果たすことを考えるべきかと思います。
きちんと仕事をしていれば、いやでも猛烈に学ばなくてはいけないことに気付きます(気づかないとしたら、単にきちんと仕事をしていないだけです)。
キーワードはシェアでしょう。
いかに、自分のアイデアや自分の商品や自分の考えをシェアすることで、社会に寄与するかだと思います。
その理論的なそして歴史に則した現実を学びたいときは「繁栄」が役に立つと思います。
ビジネスというのは利ざやを稼ぐものではないのです。右から左へ商品を流す中で手数料を取るものではありません(いや、その部分もあるのですが、それを大局的に見る視点がなければ、ただの「せどり」になります。つぶれていく街の商店街と同じ道です)。
大きな流れの中で、社会に機能を果たすポジションを探すことです。
というわけで、Life's for Sharing.です。
【書籍紹介】
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