ヒルベルト空間については5つの公理から学ぶべきでしょうが、とりあえずシンタックスではなくセマンティクスに迫ります。
ヒルベルト空間とは何か、「まといのば」では下のような単射や全射の絵を良く描きます。この空間から空間へのイメージですね。
もやもやした空間Aから、もやもやした空間Bへの移動が演算であり、写像です。演算子が関数です。
(1,2)という数字の集合があったとして、これはもし袋の中にあるのであれば、1と書いてあるビー玉と2と書いてあるビー玉でしょうし、座標の人から見れば(1,2)というx=1,y=2という座標でしょうし、ベクトルの人から見れば、傾きが2で長さが√5の矢印として見えると思います。集合であれば、自然数を要素とする集合の1つの部分集合です。
結局(1,2)というのは誰がどう見るかで、見え方が変わります。
しつこく繰り返しますが、我々はここに黒い羊を見ます。
こんなジョークでした。
(引用開始)
文学者、物理学者、そして数学者がスコットランドを走る列車に乗っている。
天文学者は窓の外を眺め、一頭の黒い羊が牧場に立っているのを見て、「なんと奇妙な。スコットラ ンドの羊はみんな黒いのか」と言った。
すると物理学者はそれに答えて「だから君たち天文学者はいいかげんだと馬鹿にされ るんだ。正しくは『スコットランドには黒い羊が少なくとも一頭いる』だろう」と言う。
しかし最後に数学者は「だから君たち物理学者はいいかげんだと馬鹿にされるんだ。 正しくは『スコットランドに少なくとも一頭、少なくとも片側が黒く見える羊がいる』 だ」と言った。
(Wikipedia 数学的なジョーク)
(引用終了)
見る立場によって見え方が変わるのです。
あるものは点の座標、あるものは矢印、あるものは1×2行列、あるものは自然数集合に見えます。
同じイデアを別な像として見ているのです。
写像(しゃぞう)とはShadowです。イデアの影を見て、イデアを推定します。しかしイデアをつかまえることはできません。
数学の苦手な我々は、数学者はきっとイデアを掴んでいるに違いないと考え、数学者たちはイデアなどそもそも捕まえられないのだから、影から論理的に言えることを言うだけだ、と考えています(多分)。
(1,2)という集合の要素の和は1+2=3となります。
これは(1,2)という集合にある演算(この場合は加算)を施すことで、(3)という集合に移動したイメージです。
空間から空間への移動です。
赤い絵の具と青い絵の具を混ぜたら、紫色の色が出現するようなものです。混ぜ方という演算によっていろいろな色が出現します。別な空間へ移動できます。
この要素の数をパラメータと言ったり、次元と言ったりします。
パラメータが1つであれば、1次元ということです。
1次元同士の演算が加減乗除ということです。
1+5=6
などがそうです。
これがパラメータが二つになれば、
(1,3)+(2,5)となります。
これは見方を変えればベクトルの合成です。平行四辺形の原理です。
(1,3)+(2,5)=(3,8)です。
碁盤の目のように区画された都市で、縦へ1ブロック、横へ3ブロック行ったあとに、縦へ2ブロック、横へ5ブロック行った目的地は、縦へ3ブロック、横へ8ブロック行ったのと同じだということです。
東へ3km行って、もう2km東へ行くという計算が3+2=5とできるように、パラメータが二つになり、いわゆる2次元になっても計算できるということです。
これがパラメータが増えていっても同じです。
それを一般化したのがざっくりと言えばヒルベルト空間だと考えて、先へ進みましょう。
ヒルベルト空間とはユークリッド空間の一般化にすぎないというのが我々の出発点です。
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「数学って空間の移動なんですね」〜空間から空間へと跳びまわる〜
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