「筋トレは裏切らない」とはよく言われることですし、事実です。
ただ筋トレには良い筋トレと悪い筋トレがあり、良い筋トレが1とすると、悪い筋トレが10の100乗くらい(Googolですね)存在するというのが現実なので、筋トレはしてはいけないと「まといのば」では伝えてきました。貧者の税金と言われる宝くじと同じです。当たる可能性が天文学的に低いということです。
ただ最近はせっせと筋トレをするように伝えています。
糖質制限や筋トレというのは「まといのば」では必要悪であるように考えています(糖質制限はむしろ悪かもしれません(^^)まあ、しかし、毒をもって毒を制すということはあります。原則は体質改善だと考えます。身体の代謝系という関数のズレを正常化させれば良いわけで、何を食べるかを思い煩うことは究極的には無駄なことだと思います。正常化というのは自身のゴールなりアイデアルなものに対する正常化であり、ゴールなり理想がなければ正常化の規準自体も存在しません)。
何を食べるかを思い煩うことなく、人のために尽くせば良いなどとイエス・キリストのようなことを言いたくなります(笑)。
ただそのための訓練としての体質改善は必要だと思います。その体質改善の方法論が各種の訓練なのでしょう。
糖質制限以上に必要なのは、適正な量のタンパク質の摂取であり、そのことによる栄養失調からの離脱ではないかと思います。栄養失調の分を、炭水化物中毒で紛らわして何年も何十年も生きることが我々は可能です。もちろん野菜からもタンパク質を摂ることは可能です(たっぷりの糖も同時に)。
僕自身は若い頃はヨガの断食療法を好んで採用しており、20代のときはナチュラルハイジーンに傾倒し、完全にビーガン(というよりフルータリアン)になろうとしていました(ただ果物は高いので、やはり野菜中心に)。その中で西式甲田療法やマクロビオティック(いまではつい盛大に批判してしまいますが、桜沢如一先生は偉大です)などにも傾倒しました。
その知見には敬意を表しますが、これは長い長い我々人類の飢餓の時代の最適解であったといまは認識しています。
穀物は安価な糖質ですし、土地のものを食べるのは輸送のコストを最小限にします。
体温調節が必要な時代(空調が普及する前の、つい最近までです)は穀物などから糖質を大量に摂ってもそれを利用する筋肉と機会がありました。
宮沢賢治は「雨ニモマケズ」の中で(リンクと引用元は青空文庫)
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
とあります。四合というと一合が150gとして450gでしょうか。
(追記!)いやいや、150g×4=600gですね。
数字に臨場感がなさすぎて、小学生レベルですら間違えましたorz
一合でご飯茶碗2~3杯分とすると4合で8~12杯分。
これだけ食べても農作業に従事していれば、燃やせたのかもしれません。
菜食主義を宗教上の信念からなのか、採用している時期もありますが、肉食を好んで採用している時期もあったようです。37歳で亡くなっているというのは驚きの若さです。
まあ、それはさておき。
4月からの寺子屋では解剖学と生化学を取り上げて、糖質制限を俎上に乗せますが、ポイントは糖質を制限するか否かに無いことは明確です。
基本的には食欲はコントロールできません。
食欲は生命維持の本能に根ざしたものですので、我々のこざかしい意識ごときが介入することなど不可能と考えたほうが良いと思います。もちろん短期的な介入は可能でしょうが、長期的には必ずその介入は失敗します。
ではどうすれば良いのか?
「まといのば」では身体という関数自体を書き換えることかと思います。
端的に言えば体質改善です。
ちなみに、体質改善にフォーカスすべきときに、体重の増減に一喜一憂してしまうと本質を見落としてしまいます。もし体重の増減にフォーカスするならば、体重が増えることを喜びましょう(糖質を完全に制限しているのであれば、糖質由来の中性脂肪が増えることが無いので、筋肉の増加です)。
逆に体重が減っているときは、糖質を制限していることで、飢餓状態だと脳が判断して飢餓モードのスイッチが入っています。筋肉が落ちているのです。筋肉は重いので、減るとすぐに体重が減ります。すると悪いダイエットのフィードバックループがスタートします。動かないことで筋肉が落ち、筋肉が落ちることで、体重が減る。体重が減ることで喜び、ますます運動負荷が減り、筋肉が落ちる。そして筋肉が落ちると、体重が減るというループです。これはダイエットの悪いループでもあります。そうすると脂肪が増え、筋肉が落ち、めでたく体重だけが減るということになります。
そのようなときは、おそらく動きが緩慢になり、日中眠いことが多くなり、ダラダラしてしまい、脳があまり動かなく、一日が何もしないうちに矢の如く過ぎ去っているのではないかと思います。飢餓モードであり、収穫の時期か獲物が通るまで飢餓モードで待とうと脳が判断しているので、冬眠状態になります。そこでは脂肪を大事に保存し、筋肉を燃やします。筋肉を燃やせば、貴重な脂肪を燃やすこともなく、エネルギー源が得られます。
我々の身体がいくつもの部屋からできている木造船だとすると、中性脂肪という貴重なガソリンを取っておいて、筋肉という壁をはがして燃やすようなものです。むしろ船室をいくつも無くしてしまうくらいに壁と天井と床の材料を燃やします。部屋の数が少なくなれば、温めるべき船室数が減るので一挙両得という脳の判断です。
いま「まといのば」で進めているのは、部屋の数を増やし、船の建材を新しいものに作り変えていきましょうということです。
船がもっともピカピカで美しく完璧でいられるのは造船所で創られたばかりのときか、進水式のときです。しかしそれは船にとってのゴールではありません。船は長い航海の果てに目的地についてはじめて船としての役割(機能)を全うします。海に乗り出して、嵐や波に傷つけられても、船乗りを運んでこそ船です。機能を果たさない船は、船未満です。
我々も人間として、機能を果たそうと思ったら、嵐にも高波にも強い船になる必要があります。
そのためには糖質制限ではなく、まずどのようなゴールを目指すか、どのような機能を社会に果たしたいと自分が考えるかが第一であり、次にそのために運動負荷を自分にかけ、筋肉をつけ、筋肉をつけるために必要な必須アミノ酸(タンパク質)を摂るという順番が大事かと思います。逆では無理です。タンパク質を摂っても、運動しないのであれば宝の持ち腐れです。過剰なタンパク質は排出されます。「運動をしましょう!」からスタートするのも長持ちせず、悪い筋トレへ移行する可能性が大きいと思います。筋トレ自体は猛烈な中毒性があります(中毒が悪いわけではなありません。ゴールなき熱狂が問題なのです)。
まずゴールからです。
ゴール ⇒ 理想の身体 ⇒ 運動 ⇒ タンパク質
タンパク質を適量(おそらくは体重の0.1%から、0.2%を毎日)摂れば、炭水化物に対しても、糖質に対しても糖類に対しても、驚くほど飢餓感が無くなります。栄養が足りていないから、お菓子に手に伸びるのであり(いや炭水化物中毒の場合も多いのですが、それでも炭水化物中毒は栄養失調の改善によって改善するかと思います。楽観的かもしれませんが)、栄養が足りていると視界にすら入らなくなります。体質改善が終われば、たとえ目が食べたいと考えて、口にしても、そのあまりの味気なさに驚くと思います。
ちなみに、ゴールとはかげろうのようなものです(虫ではなくw)。
蜃気楼のようなものです。
虹と考えもいいと思います。
そこに辿りつくものではなく、そこを目指すものです。移動は重要ですが、到着は重要ではありません。むしろ到着しそうになったら、行き先を変更しましょう。
ゴールが実体だと勘違いしてしまうと、自己啓発の残念な部分だけが出てきます。
ゴールはかげろうであり、蜃気楼であり、それを目指し、狂しくそこを目指すことで、自分という関数を書き換えるのがゴールの機能です。
筋トレも筋トレ自体を自己目的化しないで(したくなる魅力に溢れています)、ゴールへたどりつくための体質改善であることを抽象度高く理解しながら、楽しくやることです。筋トレ中毒になって良いのですが、それ以上にゴール中毒になることです。ゴール中毒が筋トレ中毒を包摂していれば良いのです。
本日のTAOも理想的な筋トレのための良い道標(みちしるべ)になるでしょうし、スクール修了生向けの「はじめての手帳」講座(定員のためキャンセル待ち)もゴールについての知識を再確認できるのではないかと思います。
1年後、3年後、5年後、そして10年後が楽しみです!
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「筋トレは裏切らない」とかマッチョなことを言ってみる
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