北海道札幌の円山動物園でのことだと思うのですが、記憶が定かではありません。
猿たちだったかゴリラだったかが食べるのは野菜と果物と書いてありました。その上で、果物と言っても私達のイメージするものとはちょっと違って、全然甘くない、強いて言えばキャベツのような感じ、という意味のことがあって感銘を受けました。
僕等が食べている果物はずいぶんと自然本来の姿から離れて品種改良されていて、甘夏が酸っぱく感じるほどに甘くなっています(甘夏もかつてはダントツに甘かったのです)。
腸内環境が荒れている自覚があれば、意図的に(現代の甘すぎる)果物を断ってみるのも良いと思います。改善したら様子を見て復活しても良いですし、ガンドリー博士の言うように特定の季節(秋ですね)だけ食べても良いと思います。
味覚というのは急速に変わります(新陳代謝があるので)。
それは本質的には消化器全体の変化の中で起こります(より本質的には味覚を司るのは腸内細菌叢と考えて良いと思います。いや腸内細菌叢が司っているのは味覚だけではなく、、、)。
10%Humanの議論を思い出しますね。
*気付いている人も少なくないでしょうが10%Humanの議論とは、結局ギルドに行き着くのです。なぜなら、、、菌がラポールを媒介しているから?!w
というわけで、まずは今週7日金曜日は菌活セミナーです。
まといのば講座です!!(スクール修了生対象)
古細菌から現在に至る進化の歴史、そして進化の水平移動について(ダーウィン進化論の盲点について)、土壌と菌の関係、植物の根と腸管のトポロジカルな相同性、肥満・糖尿病・鬱・癌だけではない細菌叢の驚くべき影響について(生命はDNAの乗り物と思われてきていたが、その運転席に乗っているのは菌であるということについて)、腸内細菌叢や肌常在菌だけではないマイクロバイオータ(細菌叢)の重要性、進化を今も媒介するマイクロバイオーム(10%Human、我々の細胞の3倍とも10倍とも言われる細菌のDNAが果たす大きな役割)。
これだけではなく、これにプラスして、丹田と菌、呼吸と菌、解剖学と菌、脳と菌、無菌マウスについても非常に面白い知見がたくさんありますので、全部紹介していきます!
その上で我々はどうするべきかについても考えていきましょう!!お楽しみに!!!
【まといのば講座「はじめての菌活 〜菌を鍛えるのは筋しかない( ー`дー´)キリッ〜」】
たとえば腸内環境が変わり、腸内細菌叢が変わり、便通が良くなり、便の状態が良くなると、無意識に口にしたくなるものも変わり、舌苔も変わり、口腔環境も変わります。
これをバラバラに見てしまうと、バラバラに考えたくなりますが、一つの長い大きな消化器と考えると、全てが連動していることがわかります(老婆心ながら、体重の記録と共に自分の全身写真や排便の記録、もちろん食べているものの記録は機械的に摂りましょう。記憶はあてになりません。記憶は記録ではありません)(慣れてしまえば歯を磨くように無意識にできます)。
バラバラに見てしまうと、バラバラに考えたくなる」ということで言えば、糖尿病について面白い指摘が専門医の先生からありました。
糖尿病は特異な病気です。たとえば内科医は通常、心臓の病気を診る医師、胃腸の病気を診る医師のように、臓器別に分けられることが多い。ところが、糖尿病の専門医は全身に影響を及ぼすとはいえ、ひとつの病気を専門としています。これは治療が合併症を含め、臓器別に分けられないということで、この病気に対する患者さんの理解を難しくしている一因です。
その臓器に関する多種多様な病気を担当するのではなく、いくつかの臓器にまたがるとは言え、一つの病気だけを担当するというのが珍しいということらしいです。
心臓の病気、胃腸の病気と分けて科目診療するようになったという歴史的経緯はあったのでしょうが、我々はEDを「陰茎の狭心症」と呼ぶ世界線へ移動しています。すなわち、血管ということで考えたら、脳と外性器と心臓は連動していることを知っているし、理論的にも現実的にも納得としています(別にその3つに限定することもありませんし)(しっかりと骨格筋に応用すれば明確な赤道ドーピングになると考えています)。
糖尿病のⅠ型が遺伝子、Ⅱ型が生活習慣(インスリン抵抗性)、そしてⅢ型がアルツハイマーや認知症と言われています。壊疽や失明、アテローム性プラークの心疾患、動脈硬化、心筋梗塞、脳梗塞、肝臓癌ほかの各種ガンも同じ延長線上にあります。
とすると、臓器別に分けられないどころか、臓器別に分けてはいけないのです。部分の集合は全体とならないのです。
とは言え、全体(Whole)というのは捉えどころの無いものですし、世界の全体と同様に体の全体も存在しないとガブリエル教授から言われそうな気がするので、僕等も細分化はある程度は用います。
たとえば、腸から全身を見るとか、血液血管から見るとか、神経系から見るとか、平滑筋を含めた筋肉から考えるとか。
でも臓器ごとの煩雑な議論はしません。栄養学も成分ごとの議論も一種の抽象化としてしか用いません(MATLAS図的な意味で)。抽象化されたモデルを現実とか具体だと考えると、おかしなことになるのです。それはただの補助線。
ターメリックは血液に溶けにくいという議論がたしかガンドリー博士の中にあったのですが、それをつらつらと読みながら、でも「適切な温度に加熱した油に抽出したターメリックに成分たちは油と共に腸管から吸収されやすいという研究」がまた10年後(か100年後)に発表されたりして、と思いました。自分たちの科学的研究が全てではないはず。
ターメリックは歴史的には薬であり、途中から(と言っても数千年のオーダーで)スパイスとして使われるようになり、今では欠かせないスパイスとなっています。
もう少し歴史や伝統や日々の人間の営みの積み重ねに謙虚でも良いかもしれないと個人的には思います(自戒を込めて)。
(余談ですが、アーユルベーダドクターがおっしゃっていたことで、印象的だったことは、食事と薬は別というものでした。薬食同源とあまり無邪気に言わないほうが良いのでしょう。同源なら良いのかな。イコールでは無いのです。薬はあくまでも緊急避難的に処方され、症状が収まったら、すみやかに終了するものとして認識されていました)(僕が印象的だったのは、ボールいっぱいのターメリックを使ったアーユルベーダ薬作りです。人生で見たことのない量の1回で使うターメリックでした)
アーユルベーダ絡みで言えば、アーユルベーダでは舌の味覚以外に、消化されたあとの味覚という面白い概念があります。舌の味覚とは別の味覚があるのです。消化後の味が。
それに関連して最近のこんな研究があるそうです。3000年の智慧に現代科学での説明が加わります。
そう言えば、ボトックス注射は表情筋を休ませると真顔でおっしゃていた美容外科医の方がいらっしゃいました。毒を盛られて意識不明の状態になっている人に向かって、最近過労気味だから休めて良いね、というのでしょうか?
表情筋たちは休んでいるのではなく、ボツリヌス菌の毒素(ボツリヌストキシン)にしびれて動けないだけ。
腎臓の機能を薬で欠損させることを腎臓を休ませると考えるのはとても不思議です。
でも、それはパラダイムが命令する思考パターンなのだと思います。なぜならそのパターンが繰り返されるからです。とすると、御本人の気質ではなく、パラダイムのパターンなのです。
赤道Clubの調子がかなり良いので、調子に乗っています!( ー`дー´)キリッ
いろいろな謎が謎を呼び、面白い発見が相次ぐと思いますので、楽しみましょう!!!