転生したときに、もとの身体の魂はどうなるのですか?
もしくはもとの身体の意識というのは消えるのですか?
という意味の質問をいただきました。
我々は「転生」という言葉を気功の文脈で使っています。エヴェレットの多世界解釈やクリプキの可能世界意味論を援用しつつ、いくつかの並行宇宙が存在し、そのうちで望ましい世界へ意図的に移動することで、自分にとって好ましい人生を選んでいきます。
より厳密には可能世界をジャンプし続けることで(エブエブジャンプとは違う意味で)、飛び石のように理想世界へ実際に移動しようとします。
東京ラブストーリーというドラマの主題歌を小田和正さんが歌っています。
その「ラブストーリーは突然に」歌詞の一節にこうあります。
♫あの日あの時あの場所で君に会えなかったら
僕等はいつまでも見知らぬ二人のまま♫
これは僕等が語ろうとしている「転生」の感覚を表しています。
分析してみましょう。
Aという時間軸(可能世界)があり、もし「あの日あの時あの場所で君に会えなかったら」、そのAという時間軸が続いて、「僕等はいつまでも見知らぬ二人のまま」なのです。
それに対して、「あの日あの時あの場所で君に」会ったから、Bという時間軸にうつり、見知った二人になるのです。
すなわち、Aという時間軸からBという時間軸に移ったのです。
それが偶然なのか、必然なのか、ランダムなのか、意図的なのかは問わず、ここでは時間軸の移動について(可能世界のワープについて)語っていると考えてください。
あの日、あの時、あの場所で二人が出会ったからこそ、二人は知り合い、恋に落ち、それまでとは全く違う時間軸を生きるのです。想定外の時間軸を生きたのです。
Aという時間軸(可能世界)とBという時間軸(可能世界)があったときに、私の魂はAからBに移ったのか?という疑問が生じます。
もしくはAのワタシはあの日、あの時、あの場所で君とすれ違ってしまい、見知らぬ二人のままで終わり、そのAの意識は持続するのか?そこに魂はあるのか?という疑問です。
(ここで「意識」や「魂」という言葉を定義無しに用いていて、申し訳ないです!)
で、この疑問の回答はシンプルです。
身体を考えたときに、意識できるビット数はわずかです。
無意識は全て情報処理できているという前提を仮に置いた上で、意識できるビット数はわずかです。
右足のつま先を意識しているときは、左手の小指は意識できていないかもしれません。
でも、左手の小指がなくなるわけではありません。
AとBについても同じです。
AもBも同時に存在し、しかしいま「私」はBという時間軸(可能世界)に意図的に移動したので、Bの時間軸を楽しんでいます!(「カンチ」と呼んだり、呼ばれたりする空間を楽しみます!)
でも、Aも存在するのです。
(でも、ちなみにあまりに好ましくない時間軸は髪の毛や爪を切るように観測して収束させて破壊したりします)
全てを意識にあげることは不可能ですし、それはひとつの時間軸の中の全身の細胞ですらそうです。我々が意識にあげられる帯域はあまりに狭いのです。だからこそ我々ができるのは「意図」することだけなのです。最善を意図しましょう。最高の未来を描きましょう!
そうすると、あなたにとっての「あの日あの時あの場所」が訪れるのです。
人生を激変させるような瞬間が訪れるのです。
訪れたら、大波に乗って、人生を好転させていきましょう。そしてまた次の「あの日あの時あの場所」を待ちましょう!
その通り道を探し続け、通過し続けましょう(一方で、「見知らぬ二人のまま」であった時間軸も深く愛することが、うまくいくコツでもあります。選ばないけど)。