そうなんですよねー
やることがシンプルなだけに、誰がやるか、いや、どの脳がやるかで、結果は変わってきてしまいます。
“Cell”は、『マル書いてマル◎』をひたすらにやって、この威力というか衝撃が腑に落ちた先にやらないと、効果の実感が薄いかもしれません。
だって、第一原因は「アタマの中身」なのですもの(*´艸`*)
アタマの中身が書き換わっていないと、単なるお絵描きになってしまうのです
Rayさんらしい盛大なネタバレになっていますので(RayさんのスクールをRayさんがネタバレするのは何の問題もありません)、是非、読んでみて欲しい。
ちなみにサムネイルのアティチュードは見事ですが、ポイントはカタチではなく、その安定性。それは写真には映らないので、リアルで受講して欲しい。
Cellとトリドーシャの分析に関しては、Rayさんの言う通り。
細胞たちの計算量の複雑性に対して、結局、我々は大数の法則だけを振り回して考えすぎなんです。
もう少しこまやかにならなくてはいけません。
一方で計算可能であることと、計算できることは別です(計算量の複雑性がここにも働きます)。
もちろん細胞たちは日々計算しています。でも、それを外部でシミュレーションすることは、まだ現代の計算機の能力では難しいということです。
じゃあ、どうすれば良いか、大数の法則でも、厳密解でもない第三の道があります。
それがIntentionです。
You may rarely look at it.
But you'll always feel it.
見ることはないかもしれない、
しかし感じることはできる。
c.f.クリプキ様の可能世界の感触をぼんやりとでも味わったあとで受講するYogaはとても味わい深く 2014年01月22日
強く意図するということです。
そのことに関して(意図のことではなく)、12年前の記事に語ってもらいましょう。
ファンクションの集合体と言えます。
1つ1つの関数自体は記述可能です。いわゆる化学反応式の延長です。
水素と酸素が結びついて水になるというような化学反応式がもっともシンプルな関数です。たしかに高分子化合物で分子量は膨大であり、形すらも反応を左右しますが、関数としては記述可能です。
様々な反応がお互いに複雑に影響しあい、その反応は連続的でも線形的でもありません。まさにカオス的に振る舞います。
無意識レベルではすべて知っており、計算できているという考え方もありますが、それは「無意識」をどう定義するかにもよります。ただ計算量の複雑性を考えれば、知っているというのはきわめて傲慢な考え方で、計算が終わるまではプロセスがどうなるかは神すら分からないというのが実際かと思います。停止問題のようなものです。計算しないと分からないのです。
ただ、意図することはできます。ある方向に行かないように操作することは可能です。体温を操作するように、ホメオスタシスを働かせることです。
分子生物学のレクチャーで、ホメオスタシスとは緩衝液の延長線上でしかないのではないかという仮説を紹介しました。緩衝液とは少量の酸や塩基を加えたり、多少濃度が変化しても、その溶液のpHが大きく変化しないようにしてある液のことを指します。
酸性の液体を追加されるか、塩基性の液体を追加されるかは、非決定です。未来を知ることができない緩衝液があったとしても、そのpHは予測可能です。なぜなら十分に緩衝されることが予測されるからです。
そのような意味で結果を操作可能であり、未来に対して介入可能ということです。予測可能でもあります。どのような事態が起きるかは知らなくても、結果を知れるのです。
6期の前半でも触れましたが、完全情報が無くても、あたかも完全情報を持っているかのごとく判断を下すことは可能というのは、1つにはこのようなカラクリによります。緩衝液のpH予測は、完全情報を持たなくても、完全情報を持っているかのごとく振る舞うことが可能です。
話は逸れましたが、我々は関数の集合体として関数のモザイクとして存在しています。
1つ1つの関数は記述可能であり、その集合体をモデルとしてコンピューターで計算するには複雑すぎるレベルの存在です。
身体のすべての細胞は、すべての人がたかだか6次の隔たりでつながっているように、つながっています。これを縁起のネットワークと言い換えても良いのですが、少しぼんやりします。むしろ物理的に化学的につながっています。
じゃあ、どのスイッチを押せばどうなるかというのは不明です。そのようなリニアな線形的な関係ではありません。
だからこそ、無意識に任せるのです。無意識が全てを知っていて関数を調整するのではなく、脳はフィードバックを得たら(いつでも得ています。RASを通過するかどうかは別として)、そのフィードバックにもとづいて調整を加えます(たとえば、体温の恒常性維持など)。そのことで結果を望ましい状態に落としこむということです。これを理性なり意識でやろうとしても無理です。
カーネマンのSystemという考え方を採用すれば、System2(理性や計算)でどれほど行なっても、System1(ヒューリスティック)でやらないと無理です。
意識、無意識のモデルで言えば、どれほど意識で考えても無理だが、無意識に落とし込めれば実現するということです。パラダイムシフトです。
逆に、この方も書かれているように、意識はしばしば実現を邪魔します。無意識が整理して実現可能になったものを、意識は途中で介入してぶち壊します。社員たちが一生懸命準備したプレゼンを、何も知らない部長がぶち壊すようなイメージです。最後まで社員たちにやらせれば良いのです。
これを「無意識に任せる」とか「ゆだねる」と表現することが多いです。
6期では「鶴の恩返しにおける機織り」になぞらえて説明しましたが、無意識のプロセスを「覗いて」しまうと、鶴が織っているのを見てしまう、すなわちプロセスをぶち壊してしまうことが多いのです。覗かずに「待つ」という態度が重要です。
終わるのを待てばいいのです。
チューリングマシンが停止するのを待たずに中を開けて覗いてはいけないのと同じです。
金の卵を産むガチョウの腹を割いたら、二度と金の卵が手に入らないのと同じです。
単に(悪い意味で)作業として、丸を書くのではなく、その1回1回が情報場に対する強い働きかけであり、そして情報場も我々に働きかけてくるのです(写像とも言います)。
冗談で「コックリさん」を持ち出しましたが、あの感触が近いです。
低級霊に憑依されるのではなく、高い抽象度の「自分」に促されましょう。
手が止まるという体験をするのは、リラックスと共感覚ゆえでした。
中日はいよいよMATLAS図の全貌に迫ります。
しかし、これはすでにMATLASスクールで導入済み(本来はブログでもすでに公開している予定でした)(図だけを見ても、相当のセンスが無いと自分自身にインストールできないので)。
ですので、Integrationを強く意識します。
バラバラのものをバラバラに覚えても意味がありません(分けても分からないものがあるのです)。それは死んだ知識です。使える知識というのは、切れば血が吹き出るような生き生きとしたもの。
そのためのMATLASⅣ(まるかいてまる)です。
「二重丸」から戻ってきて、MATLASの加速学習を経ることで、素早くそれを実践に使えます。
(だからこそ、強烈なゴールが必要。強烈というのは強い願望という意味。「どうしてもこれができるようになりたい」というものが具体的に必要なのです。抽象的なものには抽象的な結果しかもたらされません)
というわけで、中日もお楽しみに!!
*こちらの提案に乗って、アメブロのアカウントを取り、せっせと読破している方々。こちらからももちろん認識しています(応援しています)。
c.f.ブログを読み続けることがなぜ「究極の鍛錬」になるのか?〜ブログ記事同士が語り合う世界〜 2024年07月10日
1日目、3日目、1週間、一ヶ月、3ヶ月、半年、1年と節目ごとに脱落していきます。不思議なものでこういうものは残れば勝ちなのです(早い者勝ちならぬ、残り者勝ち)。ゆるやかですが、着実に人生が変わっています(本人よりも周りが先に気付くことが多い)。でも、あまりに単調で退屈で、「精神的にきつく、面白くない」ので、もっと華やかなことに気を取られて、脱落していくのです。「私はこれしかないから、これを続ける」と考え、淡々と単調に実践した人が、単調増加ならぬ指数関数的飛躍を果たすのです(指数関数だけに、最初は変化が一切感じられないのです。その「最初」が永遠に感じるほど長いのです)。
【総合1位御礼!9位、20位御礼!】
みなさまのおかげです!!
お互いに成長していきましょう!!
今回も「まといのば」メンバーがランキングを席巻!!(あなたも是非仲間に!)
Rayさん8位!
Hiroさん、5位、19位
Yukaちゃん、11位
一真様、17位、17位(別記事で!ミラクル!)
シュンくん、総合19位