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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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人間は戦えば戦うほどお互いに似てくる。敵は賢く選ぶべきだ。その敵に似るのだから〜怪物とニーチェ

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「まといのば」のメンバーさんが、ルーク・バジースの著書を早速読んだ上で、こんなコメントをくださいました。

c.f.人間はお互いが違うから戦うのではなく、同じだから戦う。敵同士の双子となり、互いに暴力を振るう 2024年01月05日NEW ! テーマ:講座案内 公式ジャンル記事ランキング:整体・リラクゼーション1位(この比較的難解な記事がブログランキング1位を頂けたのは嬉しく、また光栄なことです)

なるほど、ジラールのミメーシスを踏まえると、欲望もEcoSystemなわけですね。

緊張が内在的なものではなく、実は通貨のように交換可能であるという「システム」の議論も衝撃的でしたが、(そしてその実践はもっと衝撃的でしたが)、欲望もまた内在的で自発的なのではなく、これも「緊張」と同じく、外から来て、内側を通過して、外へ出ていくようなものなのですね。

その意味でT理論の根幹を為すファンクショナリズムは便利なフレームだと思います。

そしてアリストテレスの政治哲学、そしてリヴァイアサンというのは理解を深めるための良いイメージとして機能しますね。

まさにその通りです。

 

 

 

不可能の壁と思える鏡を超えた世界では、ありふれていると思っていた世界の光景が一変します。

すべてがあべこべの不思議の国なのです。

 

 

鏡の国に入り、鏡の国の見方で世界を見ましょう。そうするとあべこべなのはむしろ月並みの国(タレブ)の視点であることが分かります。それを欲望の増幅装置としてのメディアが加速させています。SNSはもっと加速させています(SNSもメディアと見做せますが)(メディアは他者による洗脳装置、SNSは自己洗脳装置)

 

二〇一一年九月一一日にテロ事件を起こすまえ、実行犯のモハメド・アタとその仲間たちは、南フロリダのバーをはしごして飲み歩き、ビデオゲームで遊んだ。「この男たちの魂を誰が問うのか」とジラールは最後の著書『Batling to the End(最後まで戦う)』のなかで述べている。世界を「悪」と「それ以外」に分ける二元論に彼は納得しない。ジラールはテロや階級闘争では模倣の競争が機能しているとする。人々は異なるものが欲しいから戦うのではない。模倣の欲望によって同じものが欲しくなるから戦うのである。心の奥底で同じものを求めていなかったら、テロリストが西側の富と文化の象徴を破壊することはなかっただろう。だからフロリダのバーやビデオゲームはパズルの重要なピースなのである。悪の神秘(mysterium inquitatis)が不可解であることには変わりない。しかし、模倣理論はそれについて重要なことを明らかにしている。人間は戦えば戦うほどお互いに似てくる。敵は賢く選ぶべきだ。その敵に似るのだから。

 

 だが、もっと大きな問題がある。私たちは一人一人が、他者の欲望を形づくる責任を負っている。同じように、相手はこちらの欲望を形づくる。出会いの一つ一つが、双方の欲望を強めたり、弱めたり、もしくは欲望を別のものに向けさせたりするのである。

 つまるところ、二つの問いが重要となる。「あなたは何が欲しいのか」「あなたは他者の欲望の形成にどのような役割を果たしたのか」。どちらの問いも、もう一方の問いに答える助けとなる。(ルーク・バージス『欲望の見つけ方』)

我々はこれを読みながら、懐かしい子守唄を聴いているような郷愁に誘われます(だから読んでいると眠くなるのか、って違うから)

 

 

しかし、模倣理論はそれについて重要なことを明らかにしている。人間は戦えば戦うほどお互いに似てくる。敵は賢く選ぶべきだ。その敵に似るのだから。

 

 

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。 --146節 『善悪の彼岸』Jenseits von Gut und Bose

"Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein."

c.f.仏を見たら仏を殺せ 2011年03月06日

c.f.『怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ』 2013年12月26日

c.f.怪物と戦う者は、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい(ニーチェ『善悪の彼岸』) 2019年04月16日

 

競争についてのジラール先生の定義はピーター・ティール様越しに僕らも良く知っています。

c.f.失業に向かってまっしぐらに進み、地球上でもっとも高い教養でもっとも低い収入を得る方法 2018年06月10日

 

一つしかないりんごを誰かが食べたいと思ったら、その誰かの欲望を模倣してその隣の人もそのりんごを食べたいと思い、その2人の欲望を可視化した3人目もふいに自分の中にランチを済ましたばかりなのに、そのりんごはデザートに最適だなというアイディアが降ってくるわけです(降ってきたのではない、ただの感染です。隣の欲望をミメーシスしただけ)。

そして、一つしかないりんごを巡って競争が始まり、争いが始まります。

気付いたら、自分たちは本当にりんごが欲しかったのかわからなくなるわけです(ゴールも同じ)

 

 

ゴールも同じです(大事なことなので繰り返しました)。隣の子が「俺は海賊王になる!」と言ったからと言って、「私も海賊王になる!」と宣言しなくて良いのです。

 

隣の子が「俺は灯台を目指す!」と言っても「俺は東大を目指す」と言っても、自分の中に隠れていたゴールとして、「私も灯台か東大を目指したいと思っていたんだった」などと気付く必要はありません。「緊張」と同じでそれは外から入ってきたものです。内在的な欲望など無いのです。

c.f.しかし彼が追求するものは彼の創意によるものではない。彼の行為は、彼が発見しようとしている隠れた 2018年09月05日(ここでポランニーの暗黙知の次元を思い出したあなたは幸い。よく寺子屋セミナーを学ばれています!)

 

    

こうしたことが科学的探求の過程でなされる責任ある選択である。その選択は科学者によってなされる。まりはそれは科学者の行為なのである。しかし彼が追求するものは彼の創意によるものではない。彼の行為は、彼が発見しようとしている隠れた実在による影響を受けるのだ。科学者は問題を洞察し、それに囚われ続けて、ついには発見へと飛躍するのだが、それらはすべて、始めから終わりまで、外界の対象からの恩義を被っているのだ。したがって、こうしたきわめて個人的な行為においては、我意が存在する余地はまったくない。独創性は、あらゆる段階で、人間精神内の真実を増進させるという責任感によって支配されている。その自由とは完全なる奉仕のことなのだ。(p.127 マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』)

 

c.f.こうしたことが科学的探求の過程でなされる責任ある選択である。その選択は科学者によってなされる。 2022年12月13日

 

冷水を浴びて、緊張するとしたら、それは外から入ってきたもの。そしてブログを読んで気付いたらアイスバスに浸かっていたら、それも外から入ってきた欲望のミメーシス。呼吸で楽になったら、それも同じ。

 

 

難しそうに書いてあるけど、文章を鏡に照らして、鏡文字を読解すれば(ダ・ヴィンチのように)、これは単なるT理論におけるゴールとリーダーシップの話でしかありません。

 

 だが、もっと大きな問題がある。私たちは一人一人が、他者の欲望を形づくる責任を負っている。同じように、相手はこちらの欲望を形づくる。出会いの一つ一つが、双方の欲望を強めたり、弱めたり、もしくは欲望を別のものに向けさせたりするのである。

 つまるところ、二つの問いが重要となる。「あなたは何が欲しいのか」「あなたは他者の欲望の形成にどのような役割を果たしたのか」。どちらの問いも、もう一方の問いに答える助けとなる。

鏡文字を以下にテクスト化すると、

    

 だが、シンプルにT理論で考えれば、難しい問題などない。私たちは一人一人が、他者のゴールを形作っている。同様に、相手はこちらのゴールに影響を与えることもある(ただ抽象度の傾斜が必要だが)。出会いの一つ一つが、双方のゴールの臨場感を強めたり、弱めたり、もしくはゴールを別のゴールに変えたりする(その極端な例がドリームキラー)。

 つまるところ、二つの問いが重要となる。「あなたのゴールは何ですか?」「あなたは他者のゴール設定にどのような役割(メンタリング)を果たしたのか」。どちらの問いも、もう一方の問いに答える助けとなる。

もっと先に進めば、この書籍で定義される「濃い欲望」とは、、、「現状の外のゴール(を達成したいという欲望」ということになります。

 

その補助線を引いて読めば、少なくともジラールについてティール以外でほぼ初めて論じたルーク・バージスは解読できます(ジラールについての解説は多くの人がしていますが、アカデミズムの枠を超えて、広く影響力を持っていたのはこれまでピーター・ティールのみでした)

 

じゃあ、これでジラールが分かるか、ジラールのミメーシス理論が分かるかと言えば、全く違うと思います。これはジラールについて解説した人の議論です。それが簡単なのは当然です(口が悪く言えば、間違っているからです。上品に言えば、イエスとパウロくらいの違い、親鸞と蓮如くらいの違いです)

僕自身もジラールのミメーシス理論をここ(まといのば)で展開するほどの傲慢さはありませんが、理解する鍵を見つけたように思っています。その鍵をアリアドネの糸として、手繰り寄せていけばジラールの魂に触れることができるかもしれないと思っています。次の記事でそのアリアドネの糸を紹介します!(いや、するかもしれない、いやしたい、できたらいいな)(あ、冒頭のコメントはavataara様のコメントです)


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