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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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Yogaの三点倒立は床を押す感覚を得るため(だけ)にやるわけではないので

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Yogaスクール1期の1つのゴールは三点倒立でした。



Yogaのアーサナというのは結局それほどバリエーションがありません。前屈、後屈、開脚(前後左右への)、そしてねじりだけです。

その中で、あまり日常の中でその体勢を取ることが少ないのが、倒立です。いわゆる逆立ちです。

どんなものでもそうですが(「まといのば」においては)、以前に練習したことが無いものというのは、あっさりできるようになります。

逆に以前に何度も練習して、努力の刻印がなされているものは、なかなか厳しいものがあります。

前者の代表が倒立、後者の代表が前屈です。



ミンスキーは人工知能研究においてフレームという概念を提唱しましたが、脳もフレーム単位で動きます。もちろん、脳神経と筋肉は一対一対応しているのでしょうが、しかし筋肉を動かすときはフレーム単位でしか動きません。

立位で前屈ができるけど、長座ではできないというのは、物理学的にも生物学的にも矛盾しているような気がしますが、立位と座位(長座)ではフレームが異なるということに尽きます。「股関節の柔軟性」なるものが情報空間に浮いているわけではないのです。

で、なぜ努力は報われないのか?

これはシンプルです。古い失敗のフレームが脳に堆積するからです。
前屈の失敗のフレームが何層にも堆積しているので、それを外しながら、あたらしいフレームを導入するしかないからです。

しかしこれはケインズではないですが、あまりうまくいきません。

「まといのば」が素人に対して、Y字バランスなどの柔軟をやらせるのは、彼らがその生涯において、Y字バランスをしたことも、やろうとしたことも無いからです。

ですが、前屈はあります。

学校体育でも、会社でもです。

床にあるモノを手で取るという動作は前屈です。

膨大な失敗を積み重ね、それだけ「前屈ができないというフレーム」を積み重ねています。

開脚などもそうです。子どものころに体育で無理に開かされた体験がフレームとしてしっかり固着しています。

だから、できないのです。それだけです。

ちなみに、ささやかなサンプルしか知りませんが、バレリーナなり新体操選手たちは身体が硬かったという経験がほとんどありません。そういう記憶がありません。最初から楽しく、柔らかいのです。
男性は少し事情が異なりますが、女性はそのようです。


ですので、Yogaスクールでは倒立を導入しています。

逆立ちなら学校体育でやったことがあるのですが、三点倒立などはした可能性が少ないのです。

ですので、あっさりと「新しいアイデア」が入ります。「絶対に無理」と思っていた受講生たちも、周りがあっさりと実現していくのを見て、フレームが転換し、気付いたら三点倒立を綺麗に成功させています。

ちなみに、ここでも古いフレームは邪魔します。小学校の体育で逆立ちが上手だった人は、お腹が抜けます。

小学校の逆立ちは壁に対してやったり、足を持つことでサポートします。

すなわち、軸となる部分、センターとなる部分を外部にゆだねます。自分の身体はいわばもたれるだけです。ですのでセンターをつくる訓練としての逆立ちをしていません。むしろ、倒立にとっては有害な情報となります。

ですので、運動神経が良いタイプの人々(逆立ちが得意だった人)のほうが厄介なクセが出てきます。実際にそれを身をもって修正しながら、倒立という新しいアイデアを身体に入れてもらいます。



倒立というのは、身体の認識を一変させてくれます。
おそらく宇宙空間に行く体験(というか無重力体験)をするのと似ています。我々はあまりに重力に慣れすぎてしまい、自分の身体に慣れすぎてしまっています。我々の身体の全細胞は地球の中心に向かって引っ張られており、それを全細胞が一瞬一瞬モニターしているということを意識にあげずに済むのです。

しかし、我々は骨格というカルシウムの硬い積み木によって、グラグラと立っているだけでしかありません。それもきちんと積み上がらない積み木をグラグラグラグラと強引に積み重ねて、何とか調整しながら、なぜか奇跡的に直立しているにすぎません。

ちなみにどれほど筋肉があっても、内骨格がなければ立てません。クラゲをムキムキにしてもダメです。


*ステロイドでボディビルダーになった牛も骨格がなければ立てないでしょう。

基本的には、杖にすがってよろよろと立つようにして、はかない細い骨にすがって我々は直立しています。

というか、それに早く気付くことが、あらゆる身体運動の上達の秘訣です。
身体運動という系の中にはいわゆる美しさや機能性という概念も包摂されます。

それを我々は「骨で立つ」と表現してきました。

骨は重力を感知しません。しかし骨自体が押しつぶされるときに電気が流れます。それを感知することで重力を間接的に感じます。すなわち抗力によって、重力を知るのです。これは筋肉においても同じです。筋肉も加速度運動(重力による自由落下)に対して、それを止めようと反対側にテンションをかけます(そうでなければ地面に叩きつけられます)。そのホメオスタシスによって、我々は重力を間接的に感じます。
重力自体を直接検出することなど、我々の肉体という大雑把な炭素でできた安い観測機器では無理なのです。
ほとんどの検出は筋肉によって引き起こされます。

しかし、我々はその筋肉が重力を感知する音色を聞こうとしても、猛烈なノイズが邪魔をしています。モーツアルトのレクイエムを聞こうとしたら、道路工事の耳をつんざく音がしながら(最近はそれほどうるさくない印象ですが)、飛行機が離着陸しているような感じです。レクイエムが何も聞こえないのです。


*というわけで、BGMにレクイエムから怒りの日を。


その周りの雑音を消すのが、いわば脱力です。レクイエムを聞くために、雑音を消したいのです。

逆にレクイエムはもっとボリュームを上げるべきなのです。

という話をすると、大概は、ノイズのボリュームを上げて、レクイエムをますます打ち消します。
逆にノイズのボリュームを下げる人は、レクイエムも消してしまいます。

じゃあ、どうすればいいか(すべてのボリュームを上げてしまい、鼓膜が破れる大音量からレクイエムを聴くという方法もあります)。

いずれにせよ、レクイエムを一瞬でも聴いたことが無い人に「脱力」の真の意味は見えてきません。


そこでトリッキーながら1つの方法がYogaの三点倒立です。
レクイエムを一瞬、大音量で聞けるチャンスなのです。


三点倒立とは頭蓋骨と腕を使っての逆立ちです。

Yogaのデザインが秀逸だなぁと思うのは、この三点倒立は普通の倒立(逆立ち)と異なり、腕の力で調整することを許さないということです。

前腕の可動を封じてしまうので、肘及び肩、そして肩甲骨、肋骨、結局は体幹でバランスを取るしかなくなります。

両手でやるタイプの逆立ちであれば、腕力でなんとかバランスを探せてしまいます。腕の力で逆立ちできるのです。



しかし三点倒立はそのような逃げを許しません。このような知恵の輪的なデザインがYogaの魅力です。

するとどうなるか、三点倒立をきちんと成立させようとすると、全身できちんとハタをするしかなくなるのです。もしくはセンターを猛烈に立たせ、身体のアライメントを全力で整えるしかないのです。すなわち、「まといのば」の言うハタです。

ハタができないと、三点倒立をしているものは自然から(地球から)罰を受けます。すなわち、バランスが取れないために、苦しい思いをするということです。頭も腕も痛いでしょう。
逆に、力づくでハタをしていて、必死で立とうとしていると、ある瞬間に、アライメントが整います。骨で立つという状態が一瞬実現します。すると身体は引き上がり、重力が消えたような解放感に包まれます。
まさに、自然によるアメとムチです。母なる大地(ガイア)は教育が上手なようです。

教師がいくら、いまセンターが立っているとか、いま落ちているとか言っても、ピンとこない人であっても、三点倒立だと身をもって体感できます。

彼らが口をそろえて言うように「全く違う」からです。

三点倒立をすれば、床を押す感覚が理解できます。
そして、ハタをすると身体が整い、アライメントが整う感覚も倒立中にリアルに感じることができます。

すると、地上に降りてきたときに、足で大地を踏みしめるということがどれほど大変なことかに気付くのです。

数秒前までは頭と手で支えていた体重を、いま細い両足で2点倒立しているからです(いや、倒立ではないですが)。

そのことに気付いた瞬間に、「床を押す」「重力を感じる」「アライメントを24時間整える」「24時間ハタをする」という意味が腑に落ちます。

倒立をしていたときに手で支えていた重量を、いまリアルタイムに足が支えていることに気付くからです。

すると、立ち方が変わるのです。

三点倒立の前と後では何も物理的条件が変わっていないのに、スタイルも立ち方もハタも全く変わります。頭が変わるからです。フレームが転換するのです。


しかし、三点倒立は決してこのパラダイム・シフトのためだけに用いるものではありません。
それだけであれば、あまりにもったいないのです。

核融合炉でタバコの火をつけるくらいもったいないことです。


三点倒立の最も分かりやすく素晴らしい点は、身体調整を自動的に行えることです。

立位の場合は、多くの身体の矛盾(ゆがみと呼べるようなもの)をごまかすことができます。

しかし三点倒立すると、そのゆがみは増幅され、センターを阻害します。

脳はセンターを猛烈に欲します。なぜならセンターが立ち上がるというのは、非常に気持良い体験だからです。その刺激と甘さを欲して、身体はその阻害要因であるゆがみを修正していきます。

身体が勝手に直すのです。

我々は三点倒立をただボーっとやっていれば、身体の中の小人たちがバタバタとこれまでにないスピードで働きます。エサをぶら下げれば、エージェントも動くのです。

そしてその倒立の瞬間というのは、否応なく身体の様々な情報が意識に上がります。それは想念ではなく、きちんとした身体の情報がです。逆立ちというのは慣れている人でも特殊な状態なので、軽い瞑想状態に入ります。理想的な瞑想です。

特に言語抽象度から離れられるのが良いと僕は思います。言語などゆっくりしたシステムを介していては、処理が間に合わないからです。逆立ちしているわけで、一瞬でもバランスを崩したら、地上に降りなくてはいけないからです。それは脳も意識も身体も抵抗します。

三点倒立はそれ以外にも様々なメリットがあります。

Yogaはその意味で猛烈な金鉱です。尽きせぬ魅力があります。それは我々のあまりに身近にあり、そして出逢うことがなかった「身体」という金脈だからです。

しかし、その入り口で舞い上がってしまうだけで、人生を終わらせてしまうのは、もったいないことです。

文字通り歯を食いしばり、ハタをしましょう。そして自分の愚かさを呪いましょう。

狭き門より入りましょう(マタイ7:13)。


Yogaスクールで1つ上を目指しましょう!


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