ユークリッド原論というのはグリム童話と同じで、当時広く知られていた数学の技術を集めたものです。
いまで言えば、Naverまとめみたいなものです。Naverと言えば、LINEは快進撃ですね。(リンク先はJapanC-net「新サービス発表会「LINE Showcase 2014 Feb.」が開催--会場の模様を時系列でお届け」)
チャイティンは(というかチャイティン以外の人も)理解とは圧縮であると言いますが、圧縮された情報は我々が言う「理解」に近いのも事実です。だらだらと書かれたものよりも、簡潔にまとめられたものを好みます。ただ、あまりに簡潔すぎると、圧縮されたものが脳内で解凍(展開)できずに困ります。数学の論文などでエレガントすぎて理解できないものが多くあります。
受験参考書や問題集の回答などで、「これは自明」と書かれてイラッとした人もいるでしょう。「そこが分からないのに(#・∀・)」と。ちなみに「自明」という言葉に関して言えば、ヴェイユが若きころ「自明と書くな」と言われたと自伝で書いていました(これも記事にしたと記憶しています)。本当に自明であるならば、自明と書く必要がなく、そうでないならば単に証明を書く時に面倒になっているだけだ、というような話です。脳に汗をかけということです。
我々がエレガントすぎる証明ということで、思い出すのはガウスとオイラーという二人の対照的な天才数学者です。ガウスは建物を建てたら足場を取り除かなくてはいけないという立場でした。ですから、証明は簡潔で、そしてだからこそ余人を寄せ付けぬ難解さです。それに対してオイラーは足場どころか、自分がどう考えてこれを試して、それがどう失敗したかまですべての軌跡を残します。
どちらも啓蒙的です。ガウスはそそり立つ伽藍として、オイラーは膨大な注釈の迷宮として君臨しています(なんか褒めてないような気がしますが、もちろん褒めています)。
ただ凡人の我々としてはオイラーが助かります。いや、難解ですけど、夢があります。
話しがズレましたm(__)m
いずれにせよ圧縮された情報というのは理解を大きく助けます。というか、理解そのものが圧縮であることを考えれば、離乳食のようなもので、ほとんど圧縮してもらえるのは助かるということです。ゼロから積み上げていては人生が終わってしまいます。
たとえば、ビッグデータをナマのままで渡されるよりは、圧縮された分析結果だけを見たいとショートカットしてしまうのが我々の実情です。悪いことでは無いですし。
グリム兄弟が当時広く知られていた童話を収集したように、時の天才というのは収集して再構築して新たなゲシュタルトを創るのが上手です。現在の研究ではモーツアルトやシェイクスピアがそうであったと言われます。すべてはRemixです。
(引用開始)
先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。
「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。(伝道の書 1:9-1:10)
(引用終了)
まさに「日の下には新しいものはない。」ですね。
ちなみに寺田寅彦に言わせればこんな感じです。
(僕は寺田寅彦は大好きです。亡き妻について語る「どんぐり」は泣けます)
(引用開始)
私はふとエマーソンが「シェークスピア論」の冒頭に書いてある言葉を思いだした。「価値のある独創オリジナリティは他人に似ないという事ではない。」「最大の天才は最も負債の多い人である。」こんな意味の言詞が思い出された。
(引用終了)(浅草紙)
「最大の天才は最も負債の多い人である。」というのがいいですね。JobsなりPICASSOの話しはこのブログでも繰り返しています。
自分の小さな頭の中で、何をひねり出しても無駄なので、まず大量にinputすることです。ただinputと言っても食べるだけではなく消化しない限り意味がありません。ちなみに、消化にはコストがかかります。情報の消化とは「思考する」ということです。
グリム兄弟もユークリッドもコレクションして、それを再合成して公刊しています(グリム兄弟も脚色変更を加えています。そして素敵な挿絵をつけて出版します。余談ながらグリムの法則のグリムとグリム兄弟が同じとは知りませんでした。比較言語学はここに始まります。スゴイ人は多くのことに影響を与えます)。
編集(Remix)というのがきわめて重要であることが分かります。
(ちなみに、RemixはCopyではありません。考えなしに右から左へ移動させれば価値が生じるのは物理的な移動コストが膨大だったときの話。今は情報的な移動コストがインフレしています)
ユークリッド原論は幾何学(Geometry)として西洋の歴史に大きな影響を与えてきました。というか、いまだに中学生はユークリッド原論をどの世界でも(ほとんどの世界で)等しく学びます。証明という形で学ばなくても図形問題はあります。計算問題の多くもユークリッドから一歩も出ていません。たとえば素数は古代ギリシャから一歩も出ておらず、ようやく素数の分布に関するリーマン予想があっただけ(これは夏の寺子屋で扱いましたね)...と思いきや、素数の間隔について面白い発見があったそうで!こちらも目が離せないですね。
(ニュース記事引用開始)
素数の新定理発見 極端な偏りなく分布 米英数学者「夢のような成果」
1とその数自身以外では割り切れない2以上の自然数「素数」が、どのような間隔で分布するかに関する新たな定理を米英の2人の数学者が26日までに見つけた。(ニュース記事引用終了)
いろいろなところで流れていますが、こちらから。(ニュース記事なのですぐに消えてしまうとは思いますが、続報が次々と出るでしょう)
もちろんユークリッド原論なりユークリッド幾何学はその中身も評価されましたが、そのフレームも評価されました。評価されたというのは、さかんにコピーされたということです。フレームとは公理系と呼ばれるスタイルのことです。
ニュートンはプリンキピアにおいて運動の法則をわざわざAxiom(公理)と名付けています。
ホッブズもデカルトも幾何学の方法論を真似よと自著で書いています(ここらへんの引用も解説も繰り返しこのブログでも寺子屋でも公開していますので、ここだけ「根拠なり典拠を示せ」とか言わないでくださいm(__)m)
その公理系賞賛が頂点に達したのが、数学の公理化の試みでしょうし、1つの極がプリンキピア・マテマティカです。ニュートンではなく、ラッセルとホワイトヘッドです。
そのプリンキピアにおける決定不能命題について自然数論で書いたのがゲーデルです。ゲーデルがやっていることはコンピュータプログラムそのものだと見抜いたのが、チューリングであり、それを実際にプログラム(Lisp)で組んで動かして示したのがチャイティンです。数学の公理化はコンピュータによって逆説的に成功したのです。これがおそらくはユークリッドが見た夢だったのではないかと思います。
公理系というのは演繹のシステム(系)です。公理からスタートして降りてくるのが演繹であり、それに反発する形で登場した現象なりその観察から上がってくるのが帰納です。ちなみに、数学的帰納法は演繹です(紛らわしい(;・∀・))。
数学的帰納法というのは、ペアノの公理と同じく、ドミノ倒しがその本質です。帰納というと我々は「知は力」のフランシス・ベーコンを思い起こします。ニュートンがユークリッド原論を意識してプリンキピア(原則)を書き(Axiomからすべて演繹されるとしてニュートン力学を展開します)、ラッセルが同名のプリンキピアを書くように、ベーコンもアリストテレスの「オルガノン」に対抗して、「ノヴム・オルガヌム」を書きます。機関に対して、新機関ということです。
世界は本歌取りの本歌取りの連続という様が見えてきます。むしろ過去の偉大な人々に負債をもたない天才などいないという当たり前の事実にあらためて気付かされます。
で、本題ですが、幾何学とは日本語の場合は(というか漢文というか)「いくばくぞ」です。「どれくらいか」といことです。これが計量であることはGeometryが測量を表すことと同じです。
ユークリッド幾何学、もしくはユークリッド空間というのは、いわば硬い空間という印象があります。
それに対して非ユークリッド幾何学はやわらかい空間の印象です。ぐにゃぐにゃとゆがみます。
しかしGeometryというのは地球の測量であることを考えると、奇妙なことに気付きます。Geometryはリーマン幾何学だと。すなわち、地球上での平行線というのは面白い振る舞いをします。
結論から言えば、地球上にある経線というすべての平行線は交わります。無限に存在するすべての平行線が2度交わります(もちろん北極、南極という特異点で)。
Feynman先生は北極に立って、ボールを2つ投げるように言います。
90度の角度をつけて投げます。
2つのボールをどんどん離れていきます。第一宇宙速度で投げるので、地上には落ちません(正確には地面に落ちようとすると地面が離れます、というか落ちようとするというよりは、実際に落ちているのですが、それ以上に地面が離れていきます。なぜなら地球は平らではないからです)。
たとえば東経0度と東経90度に沿って投げたとします。1つはグリニッジ天文台を通過し、もう1つはロシアと中国を真っ二つにしながら進みます。
この2つのボールの間の距離は当然ながらどんどん離れていきます。
赤道までは。
赤道を通過すると、この2つのボールはなぜか近づいていきます。
どんどん近づいていきます。
2つの間に引力があるわけではないのに、不思議と引き寄せられて、最後には衝突します。南極で。
なぜ近づくのか、彼ら(ボール)は測地線に沿って動いているからです。すなわち直進(測地線)していると、かならず空間(ここでは2次元平面ですが)の曲率に従うということです。
ちなみに直線というのは、2点の最短距離のことなので、測地線と同じです。地球における大円です。大円というのは球の中心を通る円のことです。最も短い線なので、直線(測地線)と言えます。
これが時空のゆがみが重力という現象を引き起こすという意味のメタファーです。
幾何学という言葉を言葉通り、地球の測量と考えれば、実はリーマン幾何学も包摂するということです。
違った視点で見れば、ユークリッド原論はグリム童話でしかなく、ユークリッド幾何学もリーマン幾何学を包摂して見えます(見えるだけですが。そのアナロジーが理解を促進させます)。
楽しく素早く知の世界を狩猟しましょう。
*数学もガシガシ体得していきましょう。3月開催です!
今週の寺子屋はハイゼンベルクの不確定性原理です!量子論の肝のキモに迫ります!こちらもお楽しみに!!
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ユークリッド原論はグリム童話なわけで、CopyするならRemixする
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