ミラノ在住の友人と年に何度か会う機会があり、今回も面白い話をたくさん聞くことができました。
たとえば、、、、ラフマニノフが巨人症だったとか。
彼のように2メートル近い長身で身体が大きいと指も太くなりやすいのだが、巨人症ゆえに指が細くて長いからこそ、黒鍵に指が入った、と。
Wikipediaにはこうあります。
ラフマニノフはピアノ演奏史上有数のヴィルトゥオーソであり、作曲とピアノ演奏の両面で大きな成功を収めた音楽家としてフランツ・リストと並び称される存在である。彼は身長2メートルに達する体躯と巨大な手の持ち主で、12度の音程を左手で押さえることができたと言われている(小指でドの音を押しながら、親指で1オクターブ半上のソの音を鳴らすことができた)。また指の関節も異常なほど柔軟であり、右手の人指し指、中指、薬指でドミソを押さえ、小指で1オクターブ上のドを押さえ、さらに余った親指をその下に潜らせてミの音を鳴らせたという。恵まれたこの手はマルファン症候群によるものとする説もある。
身長2メートル近く、12度の音程を左手で押さえるというのはすごい。
ラフマニノフがMarfan症候群だったとは「医学部の講義の時に必ずといって登場する薀蓄(うんちく)」だそうですが、そうではなく実は巨人症であったのではないかということに関して、内科医の先生も記事にされています。
ラフマニノフのバイオグラフィーを調べて、彼はMarfan症候群ではなく、実は先端巨大症だったのではないかと唱える報告(J R Soc Med. 2006 Oct;99(10):529-30.)があります。Marfan症候群だけでは説明がつかない点が先端巨大症によって説明できるというのです。たとえば、後期にみられた手の硬直が正中神経障害による両側性の障害であること、悪性黒色腫が巨大症に関連した悪性腫瘍である可能性があること(Clin Endocrinol (Oxf). 1997;47:119–21)などが挙げられます。この研究グループは、側弯や漏斗胸といった胸郭異常、循環器疾患といったMarfan症候群に特徴的と言える徴候がなかった点も当該診断に懐疑的である根拠としており、全てを満たす疾患としては先端巨大症であったと考える方が妥当だろうと結論づけています。
ラフマニノフの名前を知らなくても演奏は聴いたことがあるでしょう。
*辻井伸行さんによるピアノ協奏曲2番
個人的な話で恐縮ですが、両親に感謝してもしきれないのは、こうやってラフマニノフを聴くときです。うちはかなりの貧困家庭だったかと思うのですが、オーディオがあり、レコードがあり、いつもクラシックが流れていました。ラフマニノフは幾度聴いたか分かりません。当時はまだ幼いので音を共感覚的に聴いており、当時聴いていた音の形や手触りが思い起こされます(だから、エリック・サティが「梨の形をした小品」と言っても、僕には奇異には聞こえません)。
おそらくはカラヤン指揮だったと思います。両親はカラヤンが好きだったので(だからこそ、「愛と哀しみのボレロ」で描かれたカラヤンは不評でした。本物はもっとかっこいい、と)。僕が小学生の時分にクラシックコンサートに連れて行かれたときは「(音楽の良さが)分からないで良い。分からないで良いから、ともかくしっかり聴け」と何度も言われました。良さが分かるのは大人になってからだ、と。だけど、子供のうちにたくさん本物を聴いておくことが大事だ、と。
1973年09月10日
ベルリンフィルハーモニーホール
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
ピアノ:アレクシス・ワイセンベルク
カラヤンと言えば、録音にこだわり、アップロードを進めた人です。
(これは以前も言及しましたね)
c.f.【寺子屋参照資料】軽いロマン派の中にあって重量級の後期ロマン派と、心地良い重さの国民楽派! 2015年07月07日
こちらも是非!
c.f.寺子屋参照資料(前編)「偉大なる音楽は、もはや特権階級の人々の楽しみのために奉仕してはならない」 2015年06月19日
アップロードということで言えば、実はラフマニノフも録音音源を残しています。
それもエジソン(レコード社)によるものです。
c.f.ムーンショット目標1 2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現 2022年07月26日
c.f.自我をサーバーにアップロードする未来はすぐに来る、でもなめらかな連続ではなく離散的なワープとして 2022年07月27日
(引用開始)
ラフマニノフが演奏活動を行ったのはすでに録音技術が実用化されていた時期のことで、現在でも録音によってその演奏に接することができる。決して数は多くないものの、その録音は資料的価値のみならず、演奏としても非常に貴重なものである。彼はまず1910年代にエジソンレコード社の「ダイヤモンド・ディスク」レコードと契約し、録音を行った。彼は自分が承認した演奏の録音だけが販売されることを望んだが、おそらく単純な不注意のためエジソンレコードは未承認の録音を販売してしまい、ラフマニノフの怒りを買った。これを機に彼はエジソンレコードを去り、以後はビクタートーキングマシン社(のちのRCAビクター社)と契約を結び、多くのレコードを生み出した。(Wikipedia引用終了)
ヴィルトゥオーソと呼ばれた彼の演奏が今も聴けるのは素晴らしいこと。
先月再び復刻再販⬇
御本人の演奏です。
また、一方でピアノロールでの演奏記録も残っているそうで、懐疑的だった彼は自分の演奏が録音され、再現されたときにこう述べたそうです。
「みなさま、私はたった今、私自身が演奏するのを聞きました!」(ラフマニノフ)
これらアコースティック録音のほかに、ピアノロールにも演奏の記録が残されている。はじめは1本の穿孔された紙で正確な演奏を再現できることが信じられなかったラフマニノフだが、1919年にアムピコ社の最初の録音のマスターロールを聞いて、「みなさま、私はたった今、私自身が演奏するのを聞きました!」と述べたと伝えられる。アムピコのための録音は、1929年ごろまで続いた。
「1本の穿孔された紙で正確な演奏を再現できることが信じられなかった」と言いますが、これは我々の姿でもあります。
ピアノロールとは「ピアノロールとは、オルガン式オルゴールや自動ピアノに取り付けて使用する、演奏情報が穿孔された紙製のロール(巻き紙)のこと。」(Wikipedia)です。
以前も言及しましたが、これがコンピューターの原風景であり、原型です。
c.f.自我をサーバーにアップロードする未来はすぐに来る、でもなめらかな連続ではなく離散的なワープとして 2022年07月27日
ラフマニノフについては書きたいことがたくさんあるのですが、一つは彼の挫折についてです。
彼は幾度も挫折を繰り返しています。
それもかなり酷い挫折です。
Wikipediaをまとめる形で(お前は劣化ChatGPTかという批判は甘んじて受けます)、ラフマニノフの人生を一覧すると、、、
父母とも裕福な貴族の家系の出身で父方の祖父はアマチュアのピアニスト。
豊かな自然に恵まれた地域で子供時代を過ごし、4歳のとき姉の家庭教師に音楽の才能を見出され、レッスンを受け始めます。
しかし、9歳のとき一家は破産。両親は離婚。
本人は音楽の才能を認められ、奨学金を得てペテルブルク音楽院の幼年クラスに入学。
しかし、12歳のときに全ての学科で落第。
モスクワ音楽院に転入。18歳でモスクワ音楽院ピアノ科を大金メダルを得て卒業(1891)
1895年、交響曲第1番を完成。2年後にはサンクトペテルブルクで初演されるも、記録的な大失敗(存命中は二度と再演されることはなかったそうです)。
この失敗により、ラフマニノフは神経衰弱ならびに完全な自信喪失となり、ほとんど作曲ができなくなったそうです。
面白いことに、チェーホフは励まし、トルストイは腐したようです(笑)
落第したころのラフマニノフ
才能が牽引するも、環境が足を引っ張ります。
交響曲一番の失敗のあとに、神経衰弱と完全な自信喪失というのは良く分かります。このエピソードに、僕はとある映画監督を思い出しました。
最初の1ヶ月くらいはあまり眠れない日々が続いて、ちょっと気が緩むと涙が出てしまって。自分としては「うまくいかなかったな」という気持ちが、すごく強かったんです。(新海誠)
ーー過去作のインタビューで“作品に対する意見を気にするあまり寝込んだことがある”といったことを仰っていますが、今回は大丈夫でしたか?
新海 いまもそうです。いろんな意見が出てくるのは当然ですけど、そのたびに一喜一憂していますね。『すずめ』は昨年の11月に公開されましたけど、最初の1ヶ月くらいはあまり眠れない日々が続いて、ちょっと気が緩むと涙が出てしまって。自分としては「うまくいかなかったな」という気持ちが、すごく強かったんです。
うまくいかなかったと思う根拠が明確にあるわけじゃないんです。みなさんの力によってヒットしたといえる数字も出せました。それでも、うまくいかなかった気持ちが強かった。
本題である友人の話にまだ入れないのですが、ブログの余白が残りわずかなので、最後にラフマニノフの言葉を紹介して終わります。
私はただ、自分の中で聴こえている音楽をできるだけ自然に紙の上に書きつけるだけです。(ラフマニノフ)
(引用開始)
ラフマニノフ自身は1941年の『The Etude』誌のインタビューにおいて、自らの創作における姿勢について次のように述べていた。
私は作曲する際に、独創的であろうとか、ロマンティックであろうとか、民族的であろうとか、その他そういったことについて意識的な努力をしたことはありません。私はただ、自分の中で聴こえている音楽をできるだけ自然に紙の上に書きつけるだけです。…私が自らの創作において心がけているのは、作曲している時に自分の心の中にあるものを簡潔に、そして直截に語るということなのです。
(引用終了)
「自分の心の中にあるものを簡潔に、そして直截に語る」ことだけを心がけたいものです!
【書籍紹介】