今回のテーマの1つが「幸せは歩いて来ない、だから歩いていくんだね」でした。
往年の名歌手である水前寺清子(チータ)の「365歩のマーチ」です。
この偉大なメンターの素晴らしい詩には、アランの叫びがこだましているかのようです。
砂糖菓子は何もしないでも溶けて美味しいものだから、多くの人はそれと同じように、しあわせも味わえるだろうと思うから、だまされてしまうのである。(アラン『幸福論』)
だから、まず食べることが大事だと、アランは言います。
笑うこと、歩くこと、食べることです。
幼な子がはじめて笑うとき、その笑いは何ひとつ表現していないのだ。しあわせだから笑っているのではない。むしろぼくは、笑うからしあわせなのだ、と言いたい。幼な子は笑って楽しんでいる。ちょうど食べて楽しむのと同じように。しかし、まず食べる必要がある。(アラン「幸福論」)
赤ちゃんが初めて笑うときにその笑いが何一つ表現していないかどうかは僕には分かりませんし、表現って何だろうと考えさせられますが、そのあとのアランの定理には同意です。
しあわせだから笑っているのではない。むしろぼくは、笑うからしあわせなのだ、と言いたい。
幸せは歩いてこないのです。だから、笑うから幸せなのです。
これをヴァータなイエス様はこんな風に詩(うた)にしました。
7:7 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
7:8 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。(マタイ7章)
全て「365歩のマーチ」の楽曲で歌いたくなる歌詞です。
そして、じゃあなぜ私達は「幸せは歩いてこない」ことを知りつつも歩けず、話せず、食べれず、笑えないのでしょう。
それはちっぽけなプライドやエゴが邪魔するからです。
そのプライドやエゴを抹消するのが「死の瞑想」です。自分が死んだあとの世界を考えます。
僕であればこんな詩を口ずさみます。
僕がおとつい死んだのに
世界は滅びる気配もない
僕はおとつい死んだから
もう今日に何の意味もない
(p.36 谷川俊太郎『ふくらはぎ』 『詩を贈ろうとすることは』)
(これは最後まで声に出して読みたい詩です)
死の瞑想について、Appleの創業者がスタンフォード大学の卒業式で語っています。
自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。(スティーブ・ジョブズ スタンフォード大学卒業式式辞)
Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything ― all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.
c.f.満ち足りてはいけない 〜Stay Hungry,Stay foolishの風景〜 2011年11月15日
死の瞑想のポイントも生と死のLUBを取ることでしかありません。
そこで脱落するのは自我やエゴへの執着です。
最後に、「右のポッケにゃ夢がある、左のポッケにゃチューインガム」の東京キッドです!
夢とチューインガムのLUBですね。どちらも美味しく膨らみます!そしていつまでも噛める。
「川の流れのように」は代表作になりました。
ラストはアインシュタインの肉声です!
Special relativity!(特殊相対性理論)
です!
僕はアインシュタインの特殊相対性理論を思うときに、アインシュタインの肉声でのSpecial Relativityが浮かびます。
アルファベット(アルファ・ベータ)ではなく(いろは歌でもなく)、「あいうえお」(という母音と子音の調和)は五十音(空海)なのです。
音が宇宙を構成します。その音を古代ギリシャではロゴスと言いました(多分)。プシュケー(息・魂)がロゴスを構成します(おそらく)。
今回のシン・手帳講座の成功のおかげで(皆様のおかげです)、4月も高いレベルでガンガンセミナーができそうです!
Body Design BootCampも再開します!
RayMBA(まといのばバレエアカデミー)、そしてT理論マスタースクールもお楽しみに!!
そして予告通り、4月になりましたので、ヒーラー/メンター養成BootCampの受講生を若干名募集します!