現在の筑波大学附属中学に入学するも、入学直後に腎臓の病気となり、1年休学します。
病気と学校の勉強が遅れることに絶望した中村くんはこう書きます。
然(しか)しまああきらめるだけの事だ。一年おくれたとて一生に関係はしない。今一年先に行ったとて一生に関係はしない。今一年先に行ったとて後世に名を残す人は何人あろう。伊能忠敬は、あの通り五十数歳からの晩学であったが、立派な積を残した。過去は過去。観念すべきだ。
これが中学一年生の作文です。
一年遅れで復学してからは、病気のために運動もできず、その時間を読書に当てました。
同じ中学一年のときの作文です。
仏教哲学からドイツ哲学を引き合いに出して、享楽を避けるようにと考えます。その上で、こう結論づけます。
いろいろと考えてみると余りの事に茫然とする。
私が今一番感じるのは学問と運動である。どちらも皆苦しい。しかし一楽あらば一憂あり一盛あらば一衰ある世の公理から外れている。実に積極的な真の薬である。遊戯や娯楽等は消極的の一時の満足である。
私はこれからの五年間には楽しく感じるような事は一切斥けて、思いきり勉強して学を博(ひろ)め、大いに運動して身体を鍛えたいと考えている。
その言葉通り、のちの東大である第一高等学校に入学します。
その後は、大学院時に入隊するも、体調不良で除隊し、大学院に復学されています。
そして東大の博士論文が、、、、龍樹の中論です!!!
すぐに東大で教鞭をとるようになります。
この博士論文の一部を拝見することができて、、、かなりやばかったです(これもシェアしたい!)
そう中村元先生です!
中村元博士の略歴
1912 11月28日、島根県松江市殿町に生まれる
1925 東京高等師範学校付属中学校入学(現在:筑波大学附属)
1930 第一高等学校文科乙類入学(現在:東京大学教養学部)
1933 東京帝国大学文学部印度哲学梵文学科入学
1936 同大学大学院入学
インド哲学を研究
1942 博士論文(『初期ヴェーダーンタ哲学史』)提出
1943 東京帝国大学助教授に就任、5月 文学博士
1951 『東洋人の思惟方法』が評価され、米国スタンフォード大学より客員教授として招聘
以後外国から受けた招聘は50回を超える
1954 東京大学教授に就任
中村元先生については、今回はじめて知ったようなことがたくさんあり(たとえば原稿紛失事件の詳細など)いろいろと非常に面白かったので、またシェアして行きたいと思います!!
中村先生を通じて、インド仏教哲学に入り込むことで、僕らは加速学習できます!
というか、空の理解などは必須ですし、どうせ学ぶなら、楽しく学びましょう!!
身体も心も脳も全てを加速させて飛翔しましょう!!!
【書籍紹介】