Quantcast
Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3544

同情を超えた高みを知らぬ、愛する者に災いあれ。かつて悪魔がわたしに語った。「神にも地獄がある」

$
0
0

ゲーテがシェイクスピアについてこう語っていました。

シェイクスピアは金の皿に黄金のりんごを載せて運んでくるようなもの。

 

私は、金の皿にせいぜいジャガイモだ、と。

 

 

たしかそのようなことを言ってたような気がするのですが、、、(金ではなく、銀の皿でしたね)。

 

「シェークスピアは」とゲーテはつづけた、「銀の皿に金の林檎をのせて、われわれにさし出してくれる。ところがわれわれは、彼の作品を研究することによって、なんとか銀の皿は手に入れられる。けれども、そこへのせるのにじゃがいもしか持っていない。これではどうにも格好がつかないな。」

私は笑って、この見事なたとえ話を喜んだ。

 

 

 

 

じゃがいもしか持っていないとは、ドイツ人らしい言い草です。

 

*ゴッホ『馬鈴薯を食べる人々』

 

このゲーテのシェイクスピア評を子供の時分に、母に紹介したら、「私は黄金の林檎よりも、馬鈴薯に惹かれる」と言っており、そのような考え方もあるのだなと思いました。

 


*ルーベンス『パリスの審判』(1636)

3人の女神(アテネ、アプロディーテー、ヘラ)の真ん中に投げ込まれた「もっとも美しい女神へ」と書かれた黄金の林檎。

 

黄金の林檎と言えばパリスの審判であり、トロイア戦争のきっかけとなったオレンジのことです。

 


RaySalonセラピストのYukaが言うように、誰から学ぶかと言うのはとても大事です。

 

*Yukaがブログも引っ越したらしいので(最近、お店を引っ越しました)、新しいブログで読者登録と「いいね」をよろしくお願いします!若き才能を伸ばすのも潰すのもあなた次第( ー`дー´)キリッ

 

 

僕も多くの知識を両親から学び、学校の教師達から学び、大学教授たちから学び、友人たちからも多くを教わり、そしてドクター苫米地から全てを学び直しました。

 

「愛の讃歌」については、弟の挙式でも牧師の口から聴きましたが、それは尊敬する大学牧師からでした。コリント書13章を省略することなく読み、そしてきちんと理解している牧師の口から聴くのはありがたいことでした。

 

もちろん大学の授業でも(キリスト教概論、略してキリガイにおいても)このコリント書13章を学びました。

 

 

(引用開始)


コリント書の第13章を知ってるか?

(主人公:「知らない・・・」)

最高の道である愛
たとえ人間の不思議な言葉
天使の不思議な言葉を話しても
愛がなければ私は鳴る銅鑼(どら) 響(ひび)くシンバル

たとえ予言の賜物(たまもの)があり
あらゆる神秘 あらゆる知識に通じていても
愛がなければ私は何者でもない

たとえ全財産を貧しい人に分け与え
たとえ賞賛(しょうさん)を受けるために自分の身を引き渡しても
愛がなければ私には何の益にもならない

愛は寛容なもの
慈悲深いものは愛
愛は妬(ねた)まず、昂(たか)ぶらず、誇らない
見苦しい振る舞いをせず 自分の利益を求めず
怒らず 人の悪事を数(かぞ)えたてない

愛は決して滅びさることはない
予言の賜物ならば廃(すた)りもしよう
不思議な言葉ならばやみもしよう
知識ならば無用となりもしよう

我々が知るのは一部分
また預言するのも一部分であるゆえに
完全なものが到来するとき
部分的なものは廃れさる

私は幼い子供であったとき
幼い子供のように語り
幼い子供のように考え
幼い子供のように思いをめぐらした
ただ 一人前のものになった時 幼い子供のことはやめにした

我々が今見ているのは ぼんやりと鏡に写っているもの
そのときにみるのは 顔と顔をあわせてのもの
私が今知っているのは一部分
その時には自分がすでに完全に知られているように
私は完全に知るようになる

だから 引き続き残るのは 信仰 希望 愛 この3つ
このうち もっとも優れているのは 愛


(引用者注:以上、コリント書13章1節~13節)

お前はこんなセンテンスも知らない
あんな色欲牧師と一緒に暮らしていたから
聖書のことですらちゃんと把握してない

わかる?

神様のことなんも知らないってことだよ!


(引用終了)

 

ベートーヴェンと相まって非常に感動的ですが、、、、

 

ですが、ここだけを切り抜けば良いのです。

 

ここだけを。

 

 

シェイクスピアは(いや、シェークスピアは)、どこを切り抜こうが全体を読もうが素晴らしいのですが、この作品はここだけを切り抜きたいのです。

 

ベートーヴェンとパウロが天才的な女優と出会う会遇することで奇跡が起きているのですが、しかし、、、、パウロのコリント書が無くなると、、、おかしなことになります。

 

三文芝居を見せられているような違和感が生じます。

 

*「お前って言うな」

 

 

やはり、コリント書13章の部分だけを切り取るべきなのです。

それ以外は蛇足。

 

尊敬するライムスター宇多丸さんは絶賛ですが、同じく尊敬する岡田斗司夫さんはワンパターンすぎると批判します。岡田さんは「過激ぶりっ子」と言いますが、ただこの話は実話ベースです(現実が薄っぺらなのかもとも思います)。

 

 

 

とは言え、コリント書13章をベートーヴェン7番2章で重ねることで、強烈な体験になります。

 

*僕の好きなカラヤンを引いてくるところがさすが。

 

同様なことで言えば、「ツァラトゥストラはかく語りき(これ自体がニーチェの著作)」を「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)」で観るとか。

 

数年前、2001年宇宙の旅を取り上げたら、半数の受講生が知らなくて衝撃を受けました。

いまは、一人も知らなくても仕方ないです。

こんな話です。

スタンリー・キューブリック監督が1968年に撮った作品。

 

 

1 われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。

2 われらはその中のやなぎにわれらの琴をかけた。

3 われらをとりこにした者が、われらに歌を求めたからである。われらを苦しめる者が楽しみにしようと、「われらにシオンの歌を一つうたえ」と言った。

4 われらは外国にあって、どうして主の歌をうたえようか。詩篇137:1−4

 

蛇足ながら、スクール8期2講で紹介したジョブズの言葉を引用します。
孫引きです。
(引用開始)
「人が最初に問題にぶち当たったときには、単純な方法で簡単に解決できるように見える。それは、まだ問題の複雑さを理解していないからだ。でも解決策が単純すぎたら,それはうまくいかない。そうしていったん問題の細部に足を踏み入れると、そこではたくさんの問題が複雑に入り組んでいることがわかってくる。込み入った問題のそれぞれに、手の込んだ解決策を考え出さなきゃならなくなるわけだ。たいていの人はこの段階で止まってしまう。確かにこういう方法でもその場しのぎはできるからね。でも、本当に優秀な人材はそこに留まらずに、問題の背後にある本質を見つけ出す。そして、美しくて簡潔明瞭で、しかも見事に機能する解決策を思いつくんだよ」
(引用終了)
「シンプル」とか「デザイン」とはファンクションであるということです。

 

 

その映画の冒頭(オープニング)が「ツァラトゥストラはかく語りき」。

R.シュトラウスの交響詩です。タイトルはニーチェより。

映画と音楽とニーチェ哲学の美しい調和があり、強烈な映像体験となります。

 

 

 

 

 

 

リヒャルト・シュトラウスはモーツアルトやワーグナーと並ぶドイツの三大オペラ作曲家と言われますが、やはり交響詩です。

ワーグナーのお友だちであったニーチェの有名な書物にインスピレーションを受けた
「ツァラトゥストラはかく語りき」は映画「2001年宇宙の旅」に使われました。

ちなみに2001年と言えば、
ヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」も強烈です。

 

 

*ここで舞姫との出会いの一節が紹介されています!

 

余裕があれば、こちらの記事も面白いと思います。

 

「こういうことを言ったドイツの哲学者がいるーー「神にすら地獄がある。すなわち、人間に対して抱いている愛だ』とね(パウロ・コエーリョ『悪魔とプリン嬢』)

 

 

 

マシュマロ・テストは決して我慢できるかのテストではなく、貪欲度をはかるテスト 2016-03-22

 

ニーチェですね!

 

おのれの感情をよく抑えておかなくてはならない。感情に流されるなら、すぐに頭脳も流れ去ってしまう。

 ああ、同情する者たちがしたよりも大きな愚行が、この世にあるだろうか。同情する者たちがした愚行よりも苦しみを与えたものが、この世にあるだろうか。

 同情を超えた高みを知らぬ、愛する者にわざわいあれ。

 かつて悪魔がわたしに語った。「神にも地獄がある。人間への愛だ」。

 つい最近も、悪魔はこう語った。「神は死んだ。人間への同情のゆえに、神は死んだ」ーーー。(フリードリッヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』)

 

 

 

 

そして余談ながら、銀の皿にジャガイモの一節のあとに続くのが、マクベスであり、そしてコリント書なのです。

 

 

「シェークスピアは」とゲーテはつづけた、「銀の皿に金の林檎をのせて、われわれにさし出してくれる。ところがわれわれは、彼の作品を研究することによって、なんとか銀の皿は手に入れられる。けれども、そこへのせるのにじゃがいもしか持っていない。これではどうにも格好がつかないな。」

私は笑って、この見事なたとえ話を喜んだ。
ゲーテは、それから、ベルリンでの『マクベス』の上演についての、ツェルターから受け取った手紙を読んでくれた。(略)
「『マクベス』を」とゲーテはこの機会にいった、「私は、シェークスピアのなかで、いちばん芝居向きの作品だと思う。舞台に関する理解が、すみずみまで行きわたったものだからね。けれども、君が彼の自由な精神を知ろうとするなら、『トロイラスとクレシダ』を読むがいい。『イーリアス』の素材を、彼流に扱ったものだよ。」(略)

 私たちは、それから、バイロン同様否定的な傾向を承認されなかったブラーテンについて、話し合った。「彼が、多くの輝かしい特性をもっていることは、否定するわけにはいかない」とゲーテはいった、「しかし、彼に欠けているのはーー愛だ。彼は、読者や同時代の詩人を、自分自身と同様、ほとんど愛していない。このばあい彼にもまた、あの使徒の言葉が当てはまるわけだ。『たとい我もろもろの国人(くにびと)の言(ことば)および御使(みつかい)の言を語るとも、愛なくば鳴る鐘や饒釟(にょうはち)の如し」さ。

 

ここで、再びゲーテの口からコリント書13章が語られるのです。

ウロボロスの蛇というか、円環の理が閉じる感じがします。
我々は必要な数少ない言葉を繰り返し口の中でEchoさせて、身体に刻み込みたいのです。そしてそれは自分の血肉となるのです。

 

人はパンのみにて生くるにあらず。神の言によって生きる。

 

イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。マタイ4:4

 

 

【蛇足】先の文章の続きです!

「彼が、多くの輝かしい特性をもっていることは、否定するわけにはいかない」とゲーテはいった、「しかし、彼に欠けているのはーー愛だ。彼は、読者や同時代の詩人を、自分自身と同様、ほとんど愛していない。このばあい彼にもまた、あの使徒の言葉が当てはまるわけだ。『たとい我もろもろの国人(くにびと)の言(ことば)および御使(みつかい)の言を語るとも、愛なくば鳴る鐘や饒釟(にょうはち)の如し」さ。近ごろまた、プラーテンの詩を読み返してみて、彼の豊かな才能を認めないわけにはいかなかった。しかし、今いった通り、彼には愛が欠けている。だから、彼も、あれだけの才能があれば当然もっと影響を持っていいのだかが、決してそれほどの影響を与えはしないだろう。人びとは彼をおそれるだろう。そして、彼は、彼のような否定的になりたい人たち、しかも彼ほどの才能を持たない人たちの神となるだろうね。」

 

 

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3544

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>