「なぜTOSCAはあれほどまでの悲劇なのですか?」という質問に対して、歴史を振り返ってみたら多くの物語が悲劇であることを踏まえ、なぜギリシャ悲劇をはじめ多くの良いとされる物語は悲劇なのですか?と質問に質問で答えたくなります。
全てのどのルートを通っても運命の轍(わだち)から逃れられないというのは真の悲劇です。
TOSCAしかり、オイディプス王の物語しかりです。
c.f.例え恋人が空砲で銃殺されず、旅券があってもトスカはスカルピアの殺人犯だから逃げ切る事は出来ない 2022年10月04日
僕は映画「TENET」のラストシーン近くの名セリフを思い出します。
c.f.「おまえはこれをなんて表現する?運命か?」「いや、Reality(現実)だ」(TENET) 2020年10月01日
おまえはこれをなんて表現する?運命か?
いや、リアリティーだ。
そうリアリティーなのです。
そのクソのようなステイタスクオのループのような凡庸な生活の轍(わだち)から抜け出せないのもまた運命であり、リアリティーなのです(悪い冗談です)。それはチョイス(選択)です。あなたが選択しており、誰もその選択を撤回できません(できるけど、しません。なぜならそれは定義上、洗脳と呼ばれるからです。本人が意図して選択するならば、お手伝いはできますが)。
(僕自身は「悪とは凡庸」と言ったハンナ・アーレントを思い出します。←雑な議論)。
c.f.アイヒマンはイヤゴーでもマクベスでもなかった(ハンナ・アーレント) 2015年01月22日
運命の女神はひたすらに、ステイタスクオ(現状)に引きこもっているあなたの心の扉をノックします。ベートーヴェンの第5交響曲を背景にしながら、何度も何度も。
それに応えるかどうかは、あなた次第です。
c.f.美しい魅力的な女性は待ってくれない。 あなた自身が外に出て彼女を捕まえなければならない。 2022年05月05日
c.f.ずーっと同じことの繰り返しで同じ世界線に縛られて同じ悩みを抱え続ける人生は嫌なので。 2022年04月14日
c.f.天国で牧師は神様に「どうして助けてくれなかったのですか?」とクレームします。それに対して神様は、 2022年04月30日
チャンスは無限にあるわけではなく、基本的には一期一会です。
一生に1回なのです(一期とは一生のこと。だからこそ「末期の水」です)
そしてその1回を掴んだ人には、ほんのわずかな時間だけボーナス・トラックのように、次が提示され、それを掴んだ人がまた次の1回を提示されると「まといのば」では考えています。
1つ目の門をくぐらないと、次の門は開かないのです。
c.f.だけどそんな都合のいい方法はない。近道なんてなかった。足掻くしかない。今の自分ができる精一杯で 2020年12月04日
*目の前にあるのはたしかに分厚いですが、機会の通り道が存在する門なのです。
そして一度でもチャンスを取りこぼした人には、チャンスは二度と提示されない、と。
僕の師匠はそれを「宮本武蔵は全戦全勝だから宮本武蔵なのだ」と言います。一度でも負けたら死ぬのです。「この失敗を活かして次はがんばる」という世界線は武蔵達にはありませんでした。
そして、提示されるチャンスは毎回レベルが上がり、掴むのが困難な壮絶さを加えていきます。
そのチャンスを全部ものにしてきたからこそ、現在があるのです。
そんなメンバーさんのお一人からフィードバックを頂きました!
(引用開始)
先生の最新ブログ記事から飛んで、過去記事オイディプス王の引用箇所を読んで衝撃でした!!
シン・TENETの世界線から読むと、明らかな異世界転生、成長の物語です!以前は壮絶な悲劇にしか見えなかったですが、読んでてむしろワクワクしてブラボー‼️とスタンディングオベーションしたくなりました。自分で選択した内なる地獄の業火、塩は良いものですね!
スーパースター・イエス様の塩の比喩のお話し、何年も前にスクールで受講生同士で読解した(しようとした)事を思い出しました。あの時は全く??互いに和らぎなさいってなに??と煙に巻かれた思いでした。あの時の問いが今鮮やかに立ち上がり、交流している感覚を楽しみました。
(引用終了)
*ギュスターヴ・モロー『オイディプス王とスフィンクス』
オイディプス王の引用で良く引くのは、こちらの衝撃的なシーンです。
(引用再開)
--そして、ああ、そこにわたしたちの目にしたのは、編まれた縄を首にからみ、宙に吊られたまま、なお揺れているお妃さまの姿だったのです。 そのお姿を目にされるや、いたましくも王は、獣(けもの)のようなおそろしい叫び声 をあげて、妃の首にかかっている紐を、ほどいておやりになりました。それから、不幸なお妃の亡骸(なきがら)が床に横たえられたとき、つづいて起った光景は、まことに目を掩わしめるほどのむごたらしいものでありました。すなわちあのかたは、妃の上衣を飾っていた、黄金づくりの留め金を引き抜くなり、高くそれをふりかざして、御自分の両の目ふかく、真っ向から突き刺されたのです。こう叫びながら。--もはやお前たちは、この身にふりかかってきた数々の禍も、おれがみずから犯してきたもろもろの罪業も見てくれるな!いまよりのち、お前たちは暗闇の中にあれ!目にはしてはならぬ人を見、知りたいとねがっていた人を見分けることのできなかったお前たちは、もう誰の姿も見てはならぬ。
(ソポクレス 藤沢令夫訳 岩波文庫オイディプス王 pp.94-97 1967年)
(引用終了)
そして、塩の話はこちら。
聖書の一説であり、最も謎多きシーンの1つだと思います。
(なぜなら地獄=火=塩の肯定だからです)
もし、あなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出しなさい。両眼がそろったままで地獄に投げ入れられるよりは、片目になって神の国に入る方がよい。
地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。
人はすべて火で塩づけられねばならない。
塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互に和らぎなさい」。(マタイ9:47)
RaySalonセラピスト同士がとても仲が良いのは、地獄めぐりをしているからです(多分)
お互いがお互いの抱える地獄をわずかであっても認識しているからです。
完全無欠な人など存在しませんし、お互いがお互いの過ちや愚かさを認め、そしてフォローしあっているからこそ、互いに和らぐことができるのです。
c.f.自分の中に獰猛な獣を棲まわせている人間でないと、俺の相手はできない(マイク・タイソン) 2021年03月03日
(引用開始)
自分の中に獰猛な獣を棲まわせている人間でないと、俺の相手はできない。相手の中に獣が見えないと、俺は敬意を払えないんだ。目に宿ったかすかな表情にそれを感じ取ることもある。驚いたことに、マリリンの中にはそれが見えたんだ。
しばらくすると、マリリンが人助けに人生を懸けていることがわかった。想像がつかないと言う人もいるだろう。他人の世話に人生の全精力をそそぐ人間がいるなんて。そういう人間には不純な動機があると、俺たちは教わってきた。だが、彼女は心に使命をいだいていた。(引用終了)
*我々もマリリンでありましょう!