ハタはどんどん封入し結界してください。
というわけで、受講生のお一人は早速、服に封入してばっちりとハタしながら、帰宅途中にバッグに違和感を感じられたそうです。そのとき、「服には封入したけど、バッグにはハタを封入していない!」ということに気付かれたそうで、2つ持っていたバッグに封入され、ついでに傘も、長靴もと、ハタ、ハタと封入されたそうです。
素晴らしいことです。
ちなみに、Yogaスクールに通われる方々は基本的には「まといのば」に通われている方々なので、気功はきちんとできます。封入・結界・チャクラ・大周天などの基本技はしっかりできます。
YogaスクールもYogaとは言え、気功のコンテキストで教えていますので、気功として学ばれています。
ですので、「ハタ」という肉体のワークであっても、それを情報状態として捉え、情報操作が可能ということです。
端的に言えば、ハタを封入することも、結界として張ることも可能ということです。
電車で持つつり革に「ハタ」を封入し、座る座席に「ハタ」で浄化したりしていると、自分自身に「ハタ」をするのが非常に楽になります。
というか、普通は周りの環境が「ハタ」を妨げます。
これを分かりやすく文学的に表現すると、友人たちが勉強ができて、いつも勉強している集団だと、自分もつられて勉強してしまうし、周りの友人が全員やせているとつられてやせるのと似ています。
太った人が多い地域に引っ越すと太りがちになります。
我々は環境から情報をインプットして、自我という関数を変えます。ですので、周囲の情報は大きいのです。
たしかに環境から我々はいつも影響を受けるのですが、その環境自体を気功の手法を使って書き換えることはある程度可能です(ある程度というのは、物理法則に反することは出来ないということです)。環境の情報を変えるということが封入であったり、結界ということです。実際には環境に対する自分の評価関数を変えるだけです。同じものを見ても、それによって喚起される情報が変われば、自我は変わらざるを得ません。それは自我にとっては、環境が変わったのと同じということです。
もちろん自我自体を変える方法もありますが、自我と環境は表裏一体ですので、どちらを変えても本質的には同じです。だとすれば、両方とも変えてしまうのが、ゴール達成には効果的ということです。
片方だけだと、もう片方にしばしば足を引っ張られます。変わろうとする自我に対して、抵抗が生じるのです。それがホメオスタシスの力ということです。
服にもバッグにも、傘にも長靴にもハタをかけ、そして自分の肉体でひたすらハタを実践したいたら、その方はかなり苦しい状態になってしまい、息切れがしてきたそうです。
ハタのワークの際に、呼吸ができなくなったり、胸がつかえる感じがすることがあります。力みすぎていて、苦しいこともあります。
これは脱力やリラックスの正反対に感じます。
いや、「ハタ」自体が猛烈な力ですので、脱力の正反対に感じるのです。
しかし、脱力とは「無駄な力」を抜くことです。粗熱のように無駄な力を削ぎ落していき、最後に猛烈な「有効な力」を残す(残る)ことが、脱力の本来の意味です。
これはスポーツなり武道を徹底的にきわめている人にとってはきわめて当たり前の話でしかありません。
すべての力を抜いたら立つことなどできません。アルコールでも麻酔でもいいのですが、力を入らなくさせたら、立つことも座ることもできません。そういう話ではないのです。
「力を抜いたら動いたり、踊ったりできない」という生徒に対して、教師は「力は抜くけど、最低限の力は入れます」などと苦し紛れの返答をします(僕もします)。しかし「最低限の力」というのは、その言葉とは裏腹に猛烈な力です。決して、小さな力ではありません。精密な猛烈な力をコントロールして出すような感じです。焚き火の火ではなく、ガスバーナーの火を細く激しく完璧にコントロールして出すようなものです。
そのガスバーナーの強烈な火を擬似的にでも教師から導入されて、生徒が体感すると、自分がものすごく力を入れているように感じます(実際に入れています)
すると、「これは脱力と違うのではないか!」と思ってしまいます。
ある種のスポーツなり、武道なり、舞踊の訓練を受けている人にとってみれば本来の「脱力」とはある種の激しい力であることを知っています。それは筋力というより、筋力を引き起こそうとする想念なり、意志の力です。筋力はもちろん使うのですが、出力を最大にして、吹き出し口を引き絞るようなイメージです(ですから、間違っても頭だけで完結させようとしないことです。実際に筋肉がブチ切れるくらいに筋力を発火させないとダメです。切れた筋繊維は回復しますが、手を抜いた記憶はあとあとまで尾を引きます。暴力的に自分を追い込まない限りは、身体は変わりません。身体は心以上に怠け者です。しかしきちんと追い込めばきちんと応えてくれます)。
ハタをやり続けると猛烈な力をいれるたびに、身体が高度に調整されていくのを感じます。
しかし息苦しく、そして身体は自分のものではないようにぎこちなくなっていきます。
逆パワードスーツと言っていますが、何か持ち上げようとするだけでもハードになります。重力を感じ、身体の筋力の抵抗を感じます。まさに逆パワードスーツです。猛烈に力を込めないと、指一本動かせない感覚です。
しかし、その感覚と辛さと裏腹に、柔軟性はアップし、引き上げは加速し、スタイルは劇的に改善します。
Yogaが教えるように、肉体は魂の乗り物なのです。乗り物であるならば、きちんと手入れして、ハイスペックにしたいものです。その方法の1つがYogaであり、ハタヨガです。ともかく加速度的に我々は身体を生まれ変わらせたいのです。
しかし急速に身体を変えれば、猛烈な空気抵抗があります。それがホメオスタシスの抵抗であり、身体に関する古いアイデアが出てきて、元の固い身体に戻そうとします。そのせめぎあいが認知不協和となり、苦しさとして感じます。
では、我々はどうすればいいのか?
シンプルです。
第一に、このカラクリを知ることです。
古いアイデアと新しいアイデアがせめぎあうのは、進化を続ける人の特長です。次々と新しいアイデアに乗り換えて行くのですから(新しいパラダイムとも)、いつも古いアイデアが抵抗勢力となります。しかしそういうものだと思えば、逡巡することなく、アクセルを踏めます。認知不協和のカラクリは上記のとおりです。
第二に、理想の身体を複数設定することです。
理想の身体を観念的に求めてしまうと、その身体は大概は自分自身の現状の最適化になります。すなわち、ブレーキを激しく踏むことになります。そうではなく、今であればプルシェンコでも羽生くんでもいいので、あこがれの身体をたくさん持つことです。ミーハーな感覚で良いのです。というか、むしろそのほうがいいでしょう。プルシェンコの身体を理想とすると、あの腰痛まで被ってしまうのではなどと、いらぬ心配をしている人がいますが、大丈夫です。そのレベルまでコピーできるのであれば、ヒーラーとしてもアスリートとしても1年以内に世界に出れます。コピーというのは完全にはできません。完全どころか、自分のレベルを上限とするきわめて小さな範囲でしかコピーできないのです。
だからこそ、たくさんのあこがれの身体を集め(写真でも動画でも)、自分の周りに配置しておくことです。パスケースの中にいれてもいいし、壁紙にしてもいいでしょう。折にふれて見て、パスケースを触るだけで、その身体がありありと浮かぶレベルにすることです。性別も問いませんし、種も超えていいのです。ガゼルに惚れてもいいのです。ユーグレナや大マゼラン雲でもいいのです。それが理想の身体でも。
第三に、ひたすらハタをすることです。
ともかくありとあらゆる瞬間にハタをして、気付いたら無意識でハタをしてしまうくらいでちょうど良いのです。ともかく数をこなし、質を上げ、そして数をこなすことです。特に初期の段階でどれだけ追い込めたかがその後の人生を大きく変えます。スタートダッシュが肝心です。
躾だと思って、最初にガツンと教え込みましょう。そしてそれ以外の選択肢を身体に示さないことです。変えるときは一気呵成です。
身体ができはじめると、オートパイロット状態になります。勝手に身体がハタになっていきます。そしたら、ハタの度合いをどんどん進化させ、ゴールをより高く設定し直し、負荷をかけ続けます。
一度コツをつかみ、身体がきっちり変われば、ますます楽しくなります。
快適な身体というのは、快適なのです。
Yogaスクールで圧倒的な身体をつくりましょう!
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ハタをしていて苦しくなったら、、、もっとハタで追い込む
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