情報と物理は明らかに別なものですが、その違いが明確に分かったあとで、情報と物理は本来は同じものであることに気付けば、より良いと言えます。
というようなことを書くと、言葉の表面しか読めない人が「矛盾している!」と叫んだり(そもそも「矛盾」の意味分かっているのか分からないような人がw)、もしくは「それすごく分かります!」と何でも分かってしまう君が登場したりします。
もっと冷静に普通になって欲しいものです。
矛盾して見えるとしたら、こんな喩えで考えてみましょう。
たとえば、犬と猫は明らかに違うものです。
それは物理と情報と似ています。
ただ、哺乳類という視点で考えれば、犬も猫も哺乳類という点では同じです。
抽象度の階層性を意識すれば、ある視点(抽象度)では明らかに異なるものが、ある視点(抽象度)では明らかに同じであるということは良くあります。
男と女は明らかに違うものですが、人間という視点で見れば両者は同じです。
物理と情報も同様です。
物理と情報は明らかに異なるものですが、超情報場という視点では物理と情報は同じものです。
それだけのことです。
それは概念論が存在論に鮮やかに切り替わる瞬間を観ると良く分かります。
Ontological Networkの議論のほとんどは概念についての話しです。
概念というのはネットワーク上になっています。それは縁起の思想と共通します。
バナナというものを定義しようとしたら、黄色であったり、果物であったり、甘さであったり、炭水化物であったり、様々な概念が必要となります。
バナナを定義しようとしたら、バナナ以外のもので定義しなくてはいけないのです。
バナナという概念は、膨大な「バナナ」以外の概念に囲まれており、それらの結節点として存在するのです。
自我や自分も同様です。
自我や自分を定義しようとしたら、自分のお父さん、お母さんのことを言わなくてはいけないですし、住んでいる場所、出た学校、職業や好きなこと、趣味、、、、、それは全て「自分」ではないものです。自分ではないものを語ることによって、自分を定義します。
しかし、そこで並べられた他の概念もまた他の概念を必要とします。そしてその概念は他の概念を必要とします。この概念の連鎖というか、定義の連鎖というのは、永遠に続き、宇宙全体を包摂します。いや、物理宇宙ではなく、情報宇宙を包摂するのです。
バナナを定義しようとしても、自我を定義しようとしても、宇宙全体を必要とするのです。
これを釈迦は、縁によって起こると言いました。縁起ですね(「縁起」自体はナーガルジュナが
定義したので、釈迦は縁起と空を悟っていないというのが1つのT理論ですが、今はそれを脇に置きます)。
繰り返しますが、自我を定義しようとしても、その自我を定義する概念が存在し、その概念を定義する概念が存在し、、、、、と繰り返していくと、宇宙全体にネットワークが広がるのです。
これが「宇宙と自我は表裏一体」のカラクリです。
話が飛びましたが、概念ということ(たとえばバナナという概念)を考えても、そのネットワークは宇宙全体に広がっていきます。情報宇宙全体に、です。
これが概念の哲学的定義です。「概念論」の1つです。
ただここに超情報場の視点を入れれば、概念に座標を加えれば、存在になります。
座標というのは時空間での場所のことです。
待ち合わせと同じです。
「何年何月何日の何時何分にどこそこの場所に集合」というのが座標です。
(x,y,z)で位置座標と、( t )という時間座標を与えます。
ここでも、一応確認ですが、アインシュタインによれば、時間と空間は同じパラメーターです。
*アインシュタインとチャップリン
c.f.神と悪魔が戦っている。その戦場は人間の心なのだ!〜鎧の人と中の人、本音と建前と「身銭を切る」 2020年07月05日
*私に人気があるのは、誰もが私を理解できるからです。
あなたに人気があるのは、誰もあなたを理解できないからです(チャールズ・チャップリン)
ですので、仮に(x,y,z, t)と書けるようなものです(厳密には虚数がつきますが、少なくとも同じ関数の中で書けます。分けることはないのです)。
物理空間には排他性がありますので、波動のように同じ時空間に違うものが存在できないのです。椅子取りゲームと似ています。誰かかが座っている場所に他の人は座れません。
ですので、概念としてアメリカンショートヘアがあったとして、ある時空間の一点をその概念が占めたとしたら、それは存在になるのです。
ドーベルマンの太郎がある時ある場所にいたとしたら、それはドーベルマンという概念というだけではなく、物理空間に写像された存在として同定されるのです。
社会学者の見田宗介さんだったかと思うのですが、社会学の教科書の最後あたりにこんなことを書いていて、それが今だに鮮烈に衝撃としてあります(というか、見田先生が亡くなっていたことに今頃知りました。この4月ですね。ご冥福をお祈りします)。
僕のイメージだとこんな感じです。
ピクニックでもゼミで何でも良いのですが、素晴らしい人々で集まり、良い時間を過ごしたとします。そして別れの時間がやってきます。
そのときに、先生がこんなことを言います。
「諸君、たしかにこの素晴らしい時間は永遠には続かない。
でも、我々がいまここに集って、時間を過ごしたという事実は永遠なのだ」と。
(これは記憶で書いているので、全く正確な引用ではないです。いつか見つけたいと思っています)
これを大学生当時に付き合っていた彼女の部屋にいて、所在なげに待っていたときに、何気なくパラパラと開いた本に書かれていました。見田さんスゴイ!と思った瞬間であり、社会学スゴイと思った瞬間でした。
これが超情報場から見た物理空間の感覚です。
物理空間の中にいると、すべてがサラサラと流れていきます。
同じ川には二度と入れず、過ぎ去った時間は取り戻せません。
でも、超情報場から観ると、その宝物のような時間は永遠なのです。
それは一望できるのです、思い出せる限りは。
というわけで、シン・TENETスクールお楽しみに!!!
*我々は超情報場仮説の先の理論を楽しく習得し、実践するタイミングがやってきました!
c.f.なぜ我々は鵺(ぬえ)を見て、Echoを好み、シャナを背中に感じ、ナマステを重視するのか? 2022年04月24日
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