Want to〜を「〜したい」と訳すことに違和感があります。
Want toはWant toです。
ちなみにWant toをウォント・トゥと発話するのは、一つの習慣ですし、否定はしませんが、お父さんを「おとうさん」ではなく、「おとーさん」と発音するように、ト・トゥとは発音しないかなーと思います。もちろんDr.Tの著作はほぼすべてウォント・トゥと書かれており、かつコーチングの世界ではそのように発音する習慣があるのは承知の上です。僕自身はあえてカタカナ表記するならば「ウォントゥー」が自然かと思っています。
たとえば、「〜したい」ではうまく行かず、Want toだとうまくいくという感触です。
訳さない方が良いことってたくさんあるのです。
Wantはやはり欠けているというニュアンスがあり(a wantと名詞にすれば欠乏とか欠落とか欠如の意味)、その欠落を補うためにTo以下の行動があります。
最近のセッションやRaySalonセラピストBootCamp講習会などでも、話題に出ましたが、ゴールや夢というのは、「こうなりたい」ではなく「なぜ、私はこうなっていないのだ」という方が感触としては近いのです。
「なぜ、私はまだゴールを達成していないのか」、と自らに問うてしまうようなものが、Want toであり、ゴールです。
こんな逸話はいかがでしょう?
ミルトン・エリクソンの娘の長男がまだ赤ん坊だったころに、ママ友と会話をしていました(←わかりにくい)。
ミルトン・エリクソンの娘がいます。
そのベティ・アリス・エリクソンの長男が赤ん坊だったころ(この赤ん坊はエリクソンの孫になります)、ベティのママ友と会話をしていました。
その会話の中で、「息子のためだったら、自分は死ねる」というようなことをベティが言い、ママ友である友人がそれに同意して、「私もそう思うわ、そうすると思う」と答えたそうです。
ベティは何か違和感を感じ、その話を父であるエリクソンにしました。
すると、エリクソンは即座にこう答えたそうです。
父は直ちに、「思う、と言っているだけなら、彼女は実際にはそうしないだろう」
この感触がきわめて大事だと思います。
僕等メンターも、相手のゴールが「思う」なのか、それとも「する」なのかを見分けます。「思う」のゴールはどこまで言っても、思うだけで、行動することには繋がらないからです。当然、叶えることなどありえません。
棚ぼたに夢が叶うことなどありえず、シンデレラストーリーなど無いのです。
c.f.「おとぎ話のような人生こそ、おとぎ話だわ」(グレイス・ケリー)些細なボタンの掛け違いだけななのに 2018年12月16日
なぜ夢が叶わないのだろうともし疑問に思ったら、それは「思う」なのか行動するものなのかを自分に問いただすと良いかもしれません。
この点については、かなりミルトン・エリクソンは厳格でした。
すなわち、本当に叶えたいのかどうかについては厳格だったのです。
彼は情報空間のカラクリを熟知していました(多分)。
たとえばこんな話があります。
娘らしい気軽さでエリクソンに向かって、「パパ、そんなにやり手の精神科医なら、体重を減らせるダイエット法を教えてよ」と聞いたことがあります。可愛いとは言え、不躾(ぶしつけ)な質問です。
とは言え、不躾であることが問題ではありません。エリクソンはこのあとに背筋も凍るような対応をします( ̄ー ̄)ニヤリ
どんな回答をしたかは、是非、書籍を読んでみてください。
【書籍紹介】
かつて、父が休んでいたベッドのそばに座って父と話したことがあります。私の長男はそのときまだ赤ん坊で、私には同じ年齢の息子を持つ女友達がいました。母親になったばかりの人がよくやるように、友人と私は息子たちを見ながら「私たちこんなに子どもを愛しているなんて、素敵よね」とおしゃべりしたのですが、私はそのときのことを父に話したのです。私は友達に「もしそれが息子に幸せで良い人生を与えることになるなら、列車の前にだって身を投げ出すわ」とも言い、すると彼女は「私もそう思うわ、そうすると思う」と答えました。それから私たちはまたほかの会話を続けました。でも私には何かが引っかかっていました。それが何か私にはわからなかったので、父に「どう思う?」と尋ねたのです。父は直ちに、「思う、と言っているだけなら、彼女は実際にはそうしないだろう」と答えました。そして「どうしてかわからなくても、お前にはそれがわかってしまったのだよ」と言ったのです。(p.46『ミルトン・エリクソン/アメリカン・ヒーロー』)
三〇代前半のころ、「パパ、そんなにやり手の精神科医なら、体重を減らせるダイエット法を教えてよ」と、新聞を読んでいる父に言ったことがあります。父はゆっくりと新聞を下げ、私の目をジッと見据えて、「本当に、ダイエットしたいのか?」と尋ねました。
私は「いえ、パパ」と答え、彼は「それならいい」と言って、新聞に戻りました。私は初めて、多くの患者が感じていたことを感じました。父は本当に恐ろしい人でした。後で、父になぜあんなふうに言ったのかと聞いたところ、父は本気でないとわかっていたからと、言っていました。でも私が本気だったときは、いつでも父は助けてくれました。(p.53『ミルトン・エリクソン/アメリカン・ヒーロー』)(太字は原文ママ)