ある書物にこんな風に書いてありました。
大声で笑わない。音を立てて放屁をしない。口を覆わずにあくび、くしゃみ、大笑いをしない。
これはまさに漂白化っぽい感じがします。
かつてバンカラというのが流行った時代がありました。
バンカラというのは、ハイカラに対するアンチテーゼです。欧風化するハイカラに対して、学ランや長髪や高下駄のイメージで、バンカラを気取っていたいものです。
バンカラのバンは野蛮の蛮です。
それは人は外見ではない、中身だ!という抵抗運動でもありました。
Wikipediaから引用します!
(引用開始)
バンカラ(蛮殻、蛮カラ)とは、ハイカラ(西洋風の身なりや生活様式)をもじった語である。明治期に、ハイカラに対するアンチテーゼとして粗野や野蛮を創出したもの。一般的には言動などが荒々しいさま、またあえてそのように振る舞う人をいう。(略)粗末な衣装によって「表面の姿形に惑わされず真理を追究」という姿勢を表現したものとされている。また、ハイカラのアンチテーゼとしてのバンカラは武士道にも通じ、「単に外見の容姿のみに留まらず、同時に内面の精神的なものも含めた行動様式全般」とも理解されていた。
(引用終了)
粗末な衣装によって「表面の姿形に惑わされず真理を追究」とか、「単に外見の容姿のみに留まらず、同時に内面の精神的なものも含めた行動様式全般」というのは、ずいぶんと都合の良い解釈のようですが、当時は大真面目でした。
いや、今もそれが残っている人は多くいます。時間経過は空間分布しますので。
ただ、社会自体はLookismを忌避しながら、Lookismそのものの社会になると思います。無意識でやっていることと、表現が乖離するのはよくあることです。清潔も整形も脱毛もとことん日常化していくのでしょう。
僕自身は漂白化は良いことと思っています。
(まあ、悪いことと感じていたとしても、変化に抗うことができない以上は、認めてしまい、むしろ積極的に突っ込んで行くほうが合理的です)。
暴力性にしても、セクシャリティにしても漂白されるのは良いことと思っています。清潔になることが、医学の進歩以上に人類の寿命を伸ばしたのは事実でしょう。
行き過ぎた清潔はたしかに問題ですが、20世紀初頭に戻りたいとは思いません。
時代の変化の速さに嫌気が差してきたら、悠久の時に身を委ねてみてはどうでしょう。
今回のスクールで採用しようと思っていて、見送ったのが、こちらです。
ナシーム・ニコラス・タレブの(何度も使っている)引用ですね。
(引用開始)
今夜、私はレストランで友人と会う予定だ(「食堂」は少なくとも25世紀前からある)。私はオーストリアのアルプス山脈で発見されたミイラが5300年前に履いていたのとそんなに変わらない靴を履いて、レストランまで歩いていく。レストランに着いたら、メソポタミアの技術である銀食器を使う。指がやけどすることなく、子羊の脚を切ったりできるのだから、十分に"キラー・アプリケーション”の名にふさわしい。それからワインを飲む。6000年以上も前から愛されているお酒だ。ワインはグラスに注がれるが、私の祖国・レバノンの人々は、フェニキアの祖先たちがガラスを発明したと主張している。納得できないって? それなら、少なくとも2900年前から、この地域でガラス製品がアクセサリーとして売られていたのは事実 だ。メインコースを終えると、もっと原始的な技術が登場する。アルチザン・チーズだ。私たちは、何世紀も前から製法の変わっていないチーズに、ふつうよりも高いお金を払うのだ。
(略)
食事はとても古い技術(火)を使って料理される。調理には、古代ローマ時代から変わっていない台所用品や器具が使われる(使われている金属の質は違うだろうが)。私は(少なくとも)3000年前から使われている「椅子」という名の道具の上に座る(しかも、古代エジプトの豪華な椅子と比べれば味気ない)。(ナシーム・ニコラス・タレブ『反脆弱性』)
我々が未来予測をしたいと思ったら、いや現在とは全く違う時代でも楽しく生きたいと思ったら、悠久の時に身を委ねて、変わらないことに着目することです。
セネカやプラトンを読んでいると現代の人が書いているかのような錯覚に陥ります。もしくは、未来人が書いているかのような。普遍性という言葉をあまり使いたくありませんが、普遍的なものは存在します。
そこにフォーカスしていれば、表面のさざなみのような変化などに惑わされずに済むのです。
チャラカ・サンヒターと呼ばれるアーユルヴェーダの教科書は少なくとも2000年は使われています(いまだに現役です。古典ではありますが、現役の教科書です)。
その一節にこれからの漂白化を予言しているような章があります。
大声で笑わない。音を立てて放屁をしない。口を覆わずにあくび、くしゃみ、大笑いをしない。鼻孔をほじくらない。歯ぎしりをしない。爪で音を立てない。p.163『チャラカ・サンヒター』第8章[19(3)]
「歯ぎしりをしない」に僕はウケました。
昭和という時代には、歯ぎしりしている人いましたねー。
短期的な変化に対して敏感になることも大事ですが、悠久の時に身を浸して、大いなる智慧に身を委ねると安心して、加速して成長することができます(加速度的に成長するというのも、Moreの暴君であり、前時代的かもしれませんが、それでも僕等は成長が好きだし、好奇心旺盛な動物です。多分)。
というわけで、「アーユルヴェーダの龍脈」の動画配信は近日公開予定です!
お楽しみに!!!
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