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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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クリプキ様の可能世界の感触をぼんやりとでも味わったあとで受講するYogaはとても味わい深く

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あることについて学ぶときに、一方的な視点ではなく、他の視点から見てみるという体験も面白いかと思います。

「まといのば」の発信者側からの情報がブログには次々と出ています(発信者が書いているのですから、当たり前のことですが)。
読者としては、では、受信してそれを自分の中に同化させていく人の風景はどうなんだろう?と興味がわきます。

それを受講生のお一人が言語化してくれましたので、紹介します。


(引用開始)

週末は、寺子屋、Yogaスクールと
続けざまにありがとうございました。

クリプキさまの可能世界の感触を、ぼんやりとでも味わったあとで受講する
Yogaは、とても味わい深いものがありました。

でも、どちらもちょっと自分のなかで
モヤっとしているので…

うまく言葉にできないのですが、
モヤモヤしながらも
いま感じていることを言葉にしてみます…


まず、寺子屋から。

名指しと必然性のときに「名前だけが大切」ということと
「その名前を持つ人が何をどうしたかなどということは不問」ということのつながりが
感覚的にどうもしっくりこなかったのですが(いまもまだわかっていないですが)…

そのしっくりこなさの裏側に、
わたしの
「どうしても、そこに”正しさ”を探したくなってしまう」クセが関係しているのかも
という気がしてきました。
「正しさ」というか「真理」のようなものでしょうか。
「この見方をすると、物事の全体像がよくわかる」というような…
そんなものとして、クリプキを読んでしまうようなところがあります。

でも、クリプキさまの言っている事は
あくまでも「言葉」と「言葉」の「関係性」についてであって
正しいも、正しくないも、ないんですよね。

そのあたりの自分のなかのギャップが
なかなか調整できないまま、もがいていました。

ここをクリアにできると、
「ただ”間”だけが大切」という縁起ネットワークの感覚が
もっと身に落ちてきそうに思います。

ふと思ったのですが
元々、シンタックスから入っている人にとっては
このあたりのモヤモヤ感ってあまりないのでしょうか。
どうも私には、「論理学」と「数式」の結びつきが
ピンとこなくて。
だから「意味」のほうにばかり引っ張られてしまうのかも?と
思います。
(ピントがはずれた感想でしたらすみません)


また
「グルー」「クワス算」を見ていくなかで、
【過去】の瞬間も、【現在】の瞬間も、【未来】の瞬間も
それぞれすべてが
可能世界として独立しているのだなと感じました。

そしてそれにともなって、時間は連続的ではない、ということが
ちょっぴり身近になってきたような…

過去の積み重ねが現在だととらえてしまうと
「グリーン」はいつでもグリーンでしかありえないし
「ブルー」はいつでブルー。
「68+57」はいつだって「125」なのだけど
無限の可能世界が同時に立ち上がると考えると、
それが「グルー」になったり「=5」になったりということが
不自然ではなくなります。

適切な表現かはわからないのですが
それはとても「自由」ですね。



的外れかもしれないのですが
いま感じていることを言葉にしてみました。

何度もレジュメを読んで
とかく、ズレてしまいそうな思考を
押し戻したいと思います。

「小さな系をぐるぐるまわし」て!


そしてYogaスクールは、
本当におもしろいです!

ぼやんとしていた
身体の意識を明確にし、さらに構築しなおしていくための
キーをいただけている気がします。


レジストの感覚は、強烈です。
これまで「美肌クリームの壷」が面白い!と
思っていましたが、
ふんわりしすぎでした。

レジストを意識すると、「力を込める」のとはまた違った
なんとも面白い感覚が立ち上がりますね。

特に、腕をねじって戻していくワークで
その面白さを実感しました。
先生が「全身のすべての関節を伸ばしたいんです」と
おっしゃっていましたが、
ただ力を込めるのではなく、
抵抗を感じてそこに沿わせていくと
「伸びていく」実感がもてます。

脚でもやってみましたが、こちらも、かなり面白いです。

頸椎に圧を感じながら持ち上げる、
足の裏を地面に押し付ける、
坐骨を座面に押しあてて、お尻を椅子にめりこませる、
など生活のなかでいろいろと試してみています。

前屈やY字などもがんばっていますが…
うーん。
また先生に
「座れるのはわかりましたから、前屈を」
って言われちゃうかもしれません(笑)。


それにしても…
寺子屋もYogaも、
まさに「Key」の感覚を手にするための
贅沢なトレーニングですね。
ありがたいです。

(引用終了)

新しい世界に飛び込み、もがきながら丁寧にひとつひとつ学ばれている様子が伺えます。

すべての議論は同じことを指し示しているのですが、指し示している指は分析できても、月が見えないということはよくあります。なまじっか月が見えていると誤解するよりは、「どうして私には月が見えないのだ」と慟哭する徴税人のほうがまだ良いのですが。

フィードバックを下さったまゆさんが、こんな素敵なモーションキャプチャーの映像を紹介してくれました。イッセイ・ミヤケです。素材はアーティストによって調理されない限り賞味できないですね。



ドットとそれを結ぶ直線のイメージ(グラフ理論で言うエッジとノード)が洗練されて紹介されています。

いわゆる抽象度の高い世界の臨場感をリアルに指し示しているように思います。
そこで思い出すのは、intention(意図)です。

このCMが指し示しているのはリアリティというのは、ドットとラインと音声だけで記述可能ということです。むしろ抽象度の高い世界のリアリティを上手に示しているように思います。
抽象度が上がると臨場感が下がるのは事実です。情報量が少なくなるために、臨場感が下がります。しかし高い抽象度で少ない情報の中にも圧倒的な臨場感というのは存在します。その風景がこちらです。



ちなみに、分析哲学において、コピーが自身をオリジナルとして主張するのはこのintentionによります。我々は一瞬、一瞬コピーされている存在です。代謝によって。しかし現在の私がオリジナルだと主張します。受精卵は着床時はオリジナルですが、今は違います。

詳しくは過去記事を読んで欲しいのですが、AppleのこのCMは明らかに哲学のintentionを意識し、クリプキの可能世界の固定指示詞としてのNamingを意識しているといことです(意識しているというかそれはすでに前提の世界にいるということです)。それを彼らは彼らしくour signatureと表現しました。Namingです。

You may rarely look at it.
But you'll always feel it.
This is our signature.
And it means everything.

見ることはないかもしれない、
しかし感じることはできる。
これが我々の署名であり、
それが全てを意味している。


it means everything
というのは、meansという同値を意味する動詞でつながれて
it = everything
という関数です。(SVCなので。S=Cです。beやmeansに対して、seems to beなどがニアリーイコールですね)

すなわちAppleの理念と行動のすべてを圧縮したのが、our signatureであるということです。



それに対してあるものを記述するのは「機能」でしかないという確信で突き進んだのが、こちら。
サムスンのギャラクシーギア、CMが低俗過ぎると海外で袋だたきに―韓国紙
世界観を比較するには面白いと思います。



あるものを記述するには、機能を示すというのは、クリプキ以前のパラダイムであるということです。機能が優先される社会であるならば、低スペックなiPhoneが評価されるはずがありません。機能から世界観へ移動し、その世界観を実現するためには、以下の指標が役立ちます。


We don't believe in coincidence.
Or dumb luck.
There are a thousand “no's”
For every “yes.”
We spend a lot of time
On a few great things.
Until every idea we touch
Enhances each life it touches.





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