なぜシンプルなことを複雑にして、複雑なことをシンプルに考えすぎるのだろうと思います。
気功を教えていて思うのは、そういう考え方をしているからそんなに成長に時間がかかるんだよ、ということです。
たとえば、オイルトリートメントを考えてみましょう。
オイルトリートメントにせよ、気功整体にせよ、指導者はあなたに「肩を下げるように」と指導します(おそらく)。
そしたら、肩を下げれば良いのです。
それなのに多くの人はそこから膨大なお喋りを始めます。
たとえば、
教師:「肩を下げて」
と言ったのに対して、生徒たちは様々なバリエーションで考え始めます。
(いや、ほぼ全部が創造的回避です。真っ直ぐに注意を受け入れればシンプルなのに、、、)
生徒1:いや、、、肩は下がっています。
生徒2:また、肩を下げるように言われた!
生徒3:先生から見たら、これは下がっていないことになるのですか?
生徒4:私はいかり肩なので、これ以上は下がりません。
生徒5:先生は「肩を下げる」ということで何を言いたいのだろう?
生徒6:肩を下げるの定義とは何だろう?
いや、だから肩を下げれば?と思うのですが、考え始めたら、止まりません。
もっとシンプルなのです。あ、肩下げようと思えば良いことです。「また言われた」と思うかもしれませんが、また直そうと思えば良いことです。
バレエの世界であれば、10年近く言われ続けます。上手になっても言われます。
気が狂いそうになるまで言われます。
でも、正確にフィードバックを返してくれないと、自分では気付けないのです。
猛烈に意識していても癖は出るからです。
そして意識して、意識し続けて、少しずつ癖を変えていくのです。
踊りも施術も無意識に身体を動かすものなので、意識的に無意識を書き換え、身体を書き換えていくしかありません。
面白いのはこの先がまだあることです。
教師と生徒の間に偽預言者が入り込みます。
にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。(マタイ7:15)
そして、生徒の側に立って、教師との対立を煽ります。
偽預言者「いや、その先生の深い闇が、同じ注意を繰り返させているんだ(本当はあなたはできているのに)」「あなたに嫉妬しているんだよ」などとささやきます(意味不明ですがw)。
そしてその偽預言者と過去の記憶についてのセラピーなどをやりながら、長い長い時間を過ごして、「そんな教師のもとに通わなくても、あなたは今のままで立派なヒーラーだよ」などと言われて、不思議なエフィカシーを持って、市場から淘汰される日を待つことになったりします。
その脇道というか、何か意味のある風な迷宮に迷い込むのは自由ですが、それはゴールからは遠ざかり、なぜか満足感だけが高くなります。
暇人たちがお互いの傷を舐めあっているだけであることに気付き、シンプルに肩を下げれば良いのです。
そんなところで立ち止まっているから、あとのものが先になり、後輩たちからどんどん抜かれていくのです。いつまでも自分が若いと思ってはいけません。
c.f.道理で四年間も生物学をやってきた君たちに僕がさっさと追いつけるはずだよ 2013年07月04日
これに関連して言えば、オイルトリートメントの指導では、徹底的に必要なことだけを絞って、加速学習しています。
c.f.「イエスは黄金と乳香と没薬を贈られた」ってその知識、アロマセラピストに本当に必要ですか? 2021年03月18日
そもそも教師はあなたに何も期待していません。
期待ではなく、単に理想のあなたを観ているだけです。
ただ、あなたがあるゴールを目指したいというから、そちらの道へ行く最善の方法を示しているだけです。
その「あなたのゴールに向けた最善の方法」に対してすら、「教師は僕に『こうあって欲しいというい生徒像』を押し付けている」と被害妄想を膨らます人もいるようですが、、、、アホかって思います。
ヒーラーもメンターもコーチも、あなたに何も期待していないし、何も求めていません。
強いて言えば、その人が自分のゴールを見つけ、そしてそちらの方向へ楽しんで行くことを望んでいます。でも、それもどちらでも良いのです。
「肩を下げる」生徒が欲しいわけでもありません。
単純にヒーラーとして、オイルセラピストとして、気功整体師として圧倒的な結果を出したいのであれば、「肩を下げると良いよ」とアドバイスしているだけです。
身体も楽だし、気も大量に出るからです。肩を上げて良いことは何もありません。
「肩を下げろ」と言われたら、シンプルに肩を下げれば良くて、誰もあなたの感想や意見を聞いてはいません。そしてそこで「考える」ことは無駄です。もっとシンプルに機械的に自分を傀儡(くぐつ)のように感じ、自分を「わらの犬(老子)」のように感じ、言われたとおり肩を下げればよいのです。この傀儡感がある人が成長します(傍から見ると、エフィカシーが地を這っているように見えるでしょうが、その方の目が悪いだけです。彼らには見えていない風景が成長する人には予感されているのです。それがニュートンの大海なのです)。
「私たちは浜辺で、より美しい貝殻や、より滑らかな小石をあちこちさがし求めている子供のようなものである。未知の真理の大海は眼前にはてしなく広がっている」(ニュートン)
I do not know what I may appear to the world, but to myself I seem to have been only like a boy playing on the sea-shore, and diverting myself in now and then finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.
c.f.一粒の砂にも世界を、 一輪の野の花にも天国を見(ウィリアム・ブレイク) 2017年04月27日
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c.f.私、安倍晴明は占事に疎くて、将来においてもマスターできるとは思えない(占事略决:陰陽師の教科書) 2021年02月17日
【気功整体師養成スクール特別編 〜禁断の気功整体〜】
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*Zoomによるライブ受講あります!!
*動画教材(当初はZoom版、その後高画質版)によるヴァーチャル受講もあります!
【受講資格】 「まといのば」のセミナー受講生、メンター生・修了生
【持ち物】 情熱とゴールと筆記用具、動きやすい服装
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