ヨーガ体質とでも言うべきものを1つの目標としたいと考えています。
ヨーガ体質というのは勝手に作った造語で、「ヨーガする」と言ってもいいのですが、24時間「ヨーガする」身体になるということです。
感覚として近いのはダンサーやボディビルダーではないかと思っています。
いわゆる筋肉の特殊な使い方をする人々ということです。いや、ここで言う特殊というのは変わっているということではなく、マイノリティであるということです。しかしそれは動物としてはおそらく普通なのだと思います。動物の中ではマジョリティということです。ちなみに、動物の中で人間と似ているのはおそらくはペットと呼ばれる動物たち、もしくは飼われている動物たちかもしれません(同じか)。ですので非常に平たく言えば「野生を取り戻す」という感覚なのですが、野生を取り戻すと言っても、ヌードプレテストのフェメンのように裸で抗議運動するというような話ではもちろんありません。彼らも「野生を取り戻す」などと考えていないでしょうし。
哲学っぽく言えば「身体への回帰」です。ただこれも手垢のついた言葉でしょう。なんとなく観念的になってしまい、もとの意味が失われてきています。頭の中だけ身体に回帰しても仕方ありません。
ヨーギーラージ(ヨーガ行者の王)の称号を持つ成瀬先生はこう書きます(全インド密教協会から授与されているそうです)。
(引用開始)
ハタというのは文字通り「猛烈」「猛烈な努力」「力をいれて」「力ずくで」というような意味である。
(引用終了)(成瀬雅春著 ハタ・ヨーガ完全版 p.229 以下の引用もすべて同著書より)
もちろんこの言葉の真意はハタ・ヨーガとはクンダリーニ・ヨーガであるということです。
ヨーガは大きくわけて、体操法であるハタ・ヨーガ、エネルギーを循環させるクンダリーニ・ヨーガ、そして瞑想のラージャ・ヨーガの3つに分けられます。長時間、長期間の瞑想に耐えうる身体をハタ・ヨーガでつくり、エネルギー感を身体に得ることで、瞑想という情報空間を自由に移動する力を得るのでしょう。
ハタ・ヨーガ、クンダリーニ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガは学ぶための段階と考えられがちですが、そうではなくハタ・ヨーガにすべてがあるというのが成瀬先生の主張かと考えます。
ちなみに、成瀬先生いわく、クンダリーニ・ヨーガの行者は実際にはクンダリーニ・エネルギーを上昇させることができておらず(p.228)、ラージャ・ヨーガの行者がしっかりとした瞑想ができていない場合が多い(p.16)と成瀬先生は言います。瞑想が妄想になったり、幻想になったりしている、と(p.16)。
「瞑想を続けても、信仰を続けても最終的に肉体に対する執着からは解放されないからだ。ハタ・ヨーガで肉体をコントロールし、肉体を大切に扱い、肉体の存在のすべてを知り尽くすことで、完全に肉体に対する執着から解放されるのである。」(p.17)
ハタ・ヨーガとクンダリーニ・ヨーガの同一性についてはこうあります。
(引用開始)
つまりハタ・ヨーガは、シャクティを上昇させる、つまりクンダリーニ・エネルギーを上昇させるという目的に向かっているので、シャクティチャラニー・ムドラーがハタ・ヨーガの最終的な修行法となるのである。
またシャクティを上昇させることは、シヴァ神とシャクティ女神を合一させることであり、それは解脱を得るということである。そういう観点で見れば、ハタ・ヨーガに限らず、ラージャ・ヨーガ、クンダリーニ・ヨーガ、カルマ・ヨーガなど、すべてのヨーガにおいても最終的に獲得されなければならないのが、シャクティチャーラーニー・ムドラーと言える。
(引用終了)
この論理構造で言えば、シャクティチャーラーニー・ムドラーにあって、ハタ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガ、クンダリーニ・ヨーガ、カルマ・ヨーガなどすべてのヨーガが同列に並びます。
ちなみにシャクティ(sakti)とは「力」で、チャーラーニー(charani)は動かすことです(p.228)。もちろんシャクティはシヴァ神のお妃の名前でもあります。
ロゼッタストーン式を持ち出すまでもなく、「力を動かす」ということです。ムドラー(mudra)は「印」「締める」「閉じる」です。締めるや閉じるは似ている概念ですが、それが印と結ばない気もしますが、実際に印を結ぶときには、手を締め閉じます。手をコントロールしてある特定の形をつくるのが印(ムドラー)であるように、全身をコントロールしてある形をつくるのもムドラーです(p.221)。
シャクティチャーラーニー・ムドラーとは力を動かすアーサナということです(ムドラーと言う言葉を与えられているのにあえてアーサナ=坐法と切り替えるのはわかりやすさのためです)。
これは平たくいえばクンダリーニ覚醒です。気功や中国の伝統で言えば、仙骨に龍が眠っていると考えますが、インドやヨーガではムーラーダーラチャクラに3回半とぐろを巻いた蛇の形で眠っているのがクンダリーニ・エネルギーです。それは力(シャクティ)であり、それを仙骨から脊椎に沿って移動させるのがクンダリーニであり、シャクティチャーラーニー・ムドラー(力を動かす坐法)です。シャクティが蛇で、チャーラーニーが(蛇の)移動ということです。
ざっくりと言ってしまうと、シャクティとは力であり、仙骨という人体の中にある潜在能力のことです。そしてそれはクンダリーニでもあります。そしてハタ・ヨーガのハタもまたこのシャクティ、クンダリーニと並ぶ「力」の別名であるということです。
それがタイトルにもなった以下の引用です。
(引用開始)
ハタというのは文字通り「猛烈」「猛烈な努力」「力をいれて」「力ずくで」というような意味である。
(引用終了)
この部分を強調したいと考えています。ハタとは「猛烈」「猛烈な努力」「力をいれて」「力ずくで」というような意味、です。
いやいや「ハタ」とは「ハ」が太陽であり、「タ」が月ではないかと、太陽と月が吸う息と吐く息に対応しているのではないですか?という疑問もあるでしょう。成瀬先生はそれも踏まえてこう断定されています。
(引用開始)
『ゴーラクシャ・シャタカ』では「ハタ」(hatha)という言葉をha=太陽、tha=月と説明している。また他の文脈によれば、hatha=太陽ー月=吸息ー吐息という解釈も見られるが、これらはあとから補足されたものである。
(引用終了)(p.228)
「あとから補足されたものである」として、本来の意味はハタとは「猛烈」「猛烈な努力」「力をいれて」「力ずくで」というような意味である、とされます。この「力」というのはなにかと言えば、シャクティということであり、クンダリーニということです。シャクティもクンダリーニも猛烈な力です。そこにハタという言葉も連なるということです。
シャクティ=クンダリーニ=ハタ=猛烈な力(宇宙根源力)
という図式です。
ただあとから補足されたものとは言え、ハタという言葉に「力」以外にも吸気、吐息という意味があるというのは、思考と言葉の節約になります(意味が重複すると伝達手段としてはどちらか分からないという意味では混乱しますが、自身のマントラとして使う場合は、含まれる重要な意味が多いほうが時間の節約になります。ハタというトリガーがクンダリーニと呼吸を示すのですから。そしてクンダリーニと呼吸法こそがヨーガの全てと言っても過言ではありません。それがハタというNamingに集約します)
本題はここからなのですが、長くなったので、成瀬先生の引用を続けて御覧頂いて終わりにしたいと思います。ここまでコラージュのように引用してきた内容がつながると思います(コラージュにしたのは分かりやすさのためだったのですが、もしかしたら最初から成瀬先生の書籍を読まれたほうが理解が早いかもしれません)。
(引用開始)
シャクティ(sakti)は「力」のことで宇宙根源力を表す。またシヴァ神のお妃の名前である。チャーラーニー(carani)は「動かすこと」という意味であり、シャクティチャーラーニー・ムドラーは人体内に潜む宇宙根源力を動かして解脱に至るための修行法である。
(略)
ハタ・ヨーガの修行は、クンダリーニ・エネルギーの上昇を成功させて、初めて完成するのである。だから、このシャクティチャーラーニー・ムドラーはハタ・ヨーガの最後の修行ということになる。
シャクティチャーラーニー・ムドラーがなぜハタ・ヨーガの最終的な修行法なのかは、ハタ・ヨーガのハタ(hatha)という言葉の意味からも理解できる。
『ゴーラクシャ・シャタカ』では「ハタ」(hatha)という言葉をha=太陽、tha=月と説明している。また他の文脈によれば、hatha=太陽ー月=吸息ー吐息という解釈も見られるが、これらはあとから補足されたものである。
ハタというのは文字通り「猛烈」「猛烈な努力」「力をいれて」「力ずくで」というような意味である。つまりハタというのは、非常に大きな力を表しているのだ。そうすると内容的にシャクティ(宇宙根源力)と同一の意味合いになる。
つまりハタ・ヨーガは、シャクティを上昇させる、つまりクンダリーニ・エネルギーを上昇させるという目的に向かっているので、シャクティチャーラーニー・ムドラーがハタ・ヨーガの最終的な修行法になるのである。
またシャクティを上昇させることは、シヴァ神とシャクティ女神を合一させることであり、それは解脱を得るということである。そういう観点で見れば、ハタ・ヨーガに限らず、ラージャ・ヨーガ、クンダリーニ・ヨーガ、カルマ・ヨーガなど、すべてのヨーガにおいても最終的に獲得されなければならないのが、シャクティチャーラーニー・ムドラーと言える。
(引用終了)
こうしてみると非常に無駄がなく完結な論理構造だと思います。
シャクティは力であり、シヴァ神の妃ですよとさりげなく冒頭で紹介しておいて、シャクティを上昇させるとはシヴァ神とシャクティを合一させるというマリアージュであり解脱であるという話で締めくくるというデザインも素晴らしいと思います。
やはりヨーガもIQなのだと感じます(というわけで本日IQ講座です)
【書籍紹介】
この成瀬先生の著書は先生の本の中でも僕は一番好きです(おそらく成瀬先生の著書はすべて揃えています)。
空中浮遊について真正面から取り上げてあるのはおそらくこれだけです(先生のHPでのみ発売している電子書籍は別として)。またハタ・ヨーガについて、ご本人がモデルとしてアーサナをされていますし、名称や気をつけるべきポイントなどについてもかなり詳細に書かれています。
またじっくり読むと先生のヨーガに対する見方がかなり赤裸々に率直に書かれていて(上記で見たようなクンダリーニやラージャ・ヨーガの行者に対する批判など)面白いです。先生も「今後ヨーガ修行を続ける人は、活字の裏側まで読み取るつもりで良く読んで欲しい」とおっしゃいます(p.178)。眼光紙背に徹しましょう!
ちなみに、たとえば180ページの「アーサナを連続させる」はあえて休息のアーサナをいれず、そして太陽礼拝のように決っているわけではなく、即興的に次々とアーサナを繰り広げるという修行です(このあえて休息のアーサナをいれないというのも、ヨーガとしては画期的です。この話しは膨らませたいのですが、また次の機会に)。この修行としてのアーサナを舞台で一度、先生の実技で拝見したことがあります。最後にシヴァ神の手をつかみに行くところで終わったと記憶しています。
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ハタというのは文字通り「猛烈」「猛烈な努力」「力をいれて」「力ずくで」というような意味である。
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