今日はブログをはじめて10周年記念!!
ということで、何か面白い企画を8月にやりたいですねーーとか思ったりしています。
でも、全く絵が見えないので、何か面白いアイデアがあったら教えてください。
まあ逆向きに歳を取るとタレブが言うところのリンディ効果で言えば、この先10年続く可能性が少し出てきたという感じですね。あくまで可能性でしかありませんが。
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とは言え、2020年上半期はこの10年の中でも一二を争う危機でした。具体的に「まといのば」を潰すレベルの。
とは言え、「私を殺さないものが私をいっそう強くする」(ニーチェ)のであれば、そういう危機は本来は歓迎なのでしょう。
*ムンクの描くニーチェ
私を殺さないものが私をいっそう強くする (フリードリッヒ・ニーチェ)
Was mich nicht umbringt,macht mich staerker.
c.f.RayZapのカラクリはVital(極限状況)ではなく、Design(デザイン)と伴走者の存在 2016年03月15日
「私を殺さないものが私をいっそう強くする」とニーチェは言いますが、ただ一方でオブライエンはその「あなたを殺さないものは、あなたをほぼ殺す」と言いました(笑)
あなたを殺さないものがあなたを強くする(ニーチェ)しかしその逆境はあなたをほぼ殺すだろう(笑) 2020年06月05日
これもまた事実ですし、実際にタレブも同じことを言っています。
過酷な環境はそいつを弱らせているだけで、過酷な環境が鍛え上げたのではないことが多い、と。
どっちだよ、という感じですねw
そこで、タレブは反脆弱性なる概念を導入します。
コーヒーカップは変動性に対して、もろいけど、生命は変動性に対して反脆い(はんもろい)のです。
バカラのグラスは割れやすいのです。まさに反脆いのです。
(しかしバカラのグラスは割れやすいからこそ、バカラのグラスというシステム全体はますます反脆弱に強くなっていくのです)
c.f.バカラ(Bacarat)のグラスを割ったことがありますか?王者のグラスは脆いもの 2017年08月11日
反脆いというのは、剛健とは違います。傷つかないということとも違います。
構成要素がもろいからこそ、反脆いのです。
よく宇宙人が来襲してきて、人間と戦うときに(そして当然のように人間が勝つときw)言われることですが、「人間は一人一人はとても弱いのに、全体となると強い」と。
この理由は「知性」と言われることもありますが、知性の限界は示されているとおりで、我々の強みはまさにタレブの言う「反脆さ」です。
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*懐かしすぎる書籍ですね。重要な基礎知識です。
*知性の限界とは平たく言えばゲーデルを嚆矢(こうし)とする不完全性定理のことです。
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*ゲーデル、チューリングの不完全性定理に関する仕事を完成させたチャイティンの著作。
*早くKindle化して、紙の本の在庫がないゆえに価格が高騰するというふざけた状態を解消して欲しいです。
繰り返しますが、ひとつひとつの構成要素が「脆い」からこそ、システムとしての全体が強い(反脆い)のです。
それを美しく表現すれば、イエスの「一粒の麦もし死なずば」でしょう。
c.f.気功師養成スクール9期はアルケミア(錬金術)”一粒の麦もし死なずば” 2015年01月24日
よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。(ヨハネ12:24)
タレブの言い方で言えば、
あなたの死は誰かの役に立つ
ということです。
(イエスは上記に続けて「自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。」と言います)
「あなたの死は誰かの役に立つ」とは、身も蓋もない言い方ですが、実際は大いなる救いです。
あなたのバカげた失敗や、あなたのバカげた放漫経営による倒産や、あなたのバカげた行いによる死は、人類の役に立つのです。
(ただ逆に責任を取らないで良いシステムはどんどん醜悪になっていきます。たとえば不要不急なロックダウンの責任をかぶるのは、政策決定者ではなく、自粛警察でもなく、リスクを取って社会に貢献したにも関わらず、上に立つものの愚かさと無反省に追随するバカのために、無残につぶれていく会社や自営業たちです。もちろん消えていくチャンスや舞台も)
というわけで、10年目の記事は一見すると暗い感じですが(笑)、非常に希望に満ちた文章だと思っています。
一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし
という聖書の言葉を僕はどこかでフェニックスのような死と再生の物語だと信じていたのですが(たとえば、一瞬一瞬プランク毎秒ごとに輪廻するような)、実際は「私」という概念の拡大です。個体としての私が死んでも、人類が存続するのであれば、拡大された「私」は不死(というか、長生き」)ということです。
ですので、もちろん「まといのば」が潰れたとしても、それはまたひとつの別な「一粒の麦もし死なずば」なのです!!