アランはこんな風に書いています。
もし蓄音機が突然君に罵詈雑言を浴びせたとしたら、君は笑い出すであろう。
と。
何の話かと言えば、誰かに罵倒されたり、批判されたりしても、それは壊れかけの蓄音機が唐突に動き出したと思えば良いことです。
うるさければそこから静かに離れるだけです。
自分まで一緒に壊れかけの蓄音機になることはありません。
その言葉に意味はなく、何か意味があるかのように気分が盛り上がっているだけだ、と。
それは話す人も聞く人もです。
(引用開始)
もし蓄音機が突然君に罵詈雑言を浴びせたとしたら、君は笑い出すであろう。もしある不機嫌な男が、何かの理由でほとんど声の出ないほど不機嫌になって、その怒りを満足させるために罵詈雑言をいう蓄音機をかけたとするなら、たまたまひどく傷つけることがあっても、そういう罵詈雑言が自分に向けられたものであるとは、だれも思わないであろう。しかし、罵詈雑言を浴びせるのが人間の顔である時には、それはみな以前から考えていたことであると、少なくともその時にはそうあ考えていたと、だれでも思いたくなるものだ。情念のゆたかな説得力によってだまされてしまうのである。人間の口から出る内容のないことばが、たいていの場合、何か意味のあるような格好をしているためだ。(引用終了)(アラン『幸福論』)
繰り返しますが、もし蓄音機が突然、僕らに罵詈雑言を浴びせてきたら、僕らは笑うでしょう。
笑いましょう。
笑うのは大事です。
壊れかけの、、、と言えば、壊れかけの蓄音機(レコード)ならぬ、壊れかけのRadioですねwww
逆に笑うしかないような事態が進行しているときには、アランの言うように「上機嫌」が大事です。そして、笑うしかないような事態が進行していないときなどそもそもないのですから、いつでも上機嫌でいましょう(自戒をこめてw)。
もちろん自分が副腎疲労だったり、自粛要請の中、日長ずっとメディアの垂れ流す(メディアは絶好の機会に涎を垂れ流しているのかもしれませんが)くだらない情報を浴びていて、ストレス値が高くなったりすると、たとえばイライラしやすくなります。
もちろんイライラするように巧妙にデザインされた情報がシュガーコーティングしてばら撒かれています(それで儲かる人がいます)。
イライラならまだ良いですが、パニックになったり、失意に落ち込んだり、お先が真っ暗に見えたり、、、。
そしてそのはけ口を誰かにぶつけようとします。
(WHOは外出禁止と自宅警備員増加によるDVに増加を懸念しています。DVというのは平たくいえば家庭内暴力です)
そのときはハワイにいるならばサーフィンでもしましょう(サーフィンのための外出はOKだそうです)。その国によりますが、ランニングやペットの散歩はOKとされています。ペットだけではなく、人間も外に出ないと、おかしくなります(政府が指定する以上に過剰な自主規制を言ってくる隣組みたいなお節介が、、、)
ただその状態を創り出しているのは自分の認識だと理解することです。
いまなすべきことは、免疫を高めること。同様に社会としては、早めに抗体保持者を増やして、R0(アールノート:基本再生産数)を減らしていくことを期待することです。感染者のまわりを抗体を持っている人が取り囲めば、R0は0になります。というか、抗体保持者は感染の拡大を防ぎます(不顕性感染の人が表にほとんど出てこないのも面白いです。十分に健康であり免疫が普通に働いたことは、良いニュースでしょう。あ、メディアにとっては良いニュースは価値のないニュースですね。それは進化論的には妥当ですが)。
こぼれたミルクはもとに戻ることはないのに、もとに戻そうとしていたら、それはおかしなことです。
誰が号令を出しても、自然の法則は変えられません。単にエントロピーは拡大していくだけです。ですから、どんどん広がるだけです。そのスピードを遅くしたいのは、それを受け入れる施設の問題です(重要ですが)。
ただし抗体はできます。自然免疫は十分に期待できます。
もっと都合の悪い事実を隠して、あたかも被害者を装うのはそろそろやめたほうが良いでしょう。
どちらにせよ、その撒いた種は刈り取らねばいけないので。
(健康状態が重症化の肝であること、そしてパニックになったり、ある種の整合性が取れない情報を受け入れてしまうことで、心が汚染され、身体に種々の病気として症状が出ます)
まあ、そんなことはともかく、、、
人格批判や人権侵害が職場であったというご相談がありました。
いまは退職によって、その場を離れているそうなのですが、ご本人を含めておそらくは怒りがおさまっていない感じです。
でも、そもそも「人格」なる概念というのはかなり人為的なものですし、人権というものも歴史を紐解けば神様の存在を前提にしています(もちろんだからといって、基本的人権を否定しているわけではありません。ただ、社会のコンセンサスは尊重するものの、それによって、自分の思考まで不利益を被ることはないのです)。
ですので、人格批判でも否定でも、人権侵害でも何でも良いのですが、壊れかけの蓄音機が、ガーガー鳴っていると思って、笑ってしまいましょう、という提案です。
(引用開始)
だれかがぼくのことをロシア語でののしっても、ぼくはかまわない。でも、たまたまロシア語を知っていたらどうなる?実際のところ、ののしりことばはすべて、訳のわからないことばである。そのことをよく理解するとは、悪口には理解すべきどんな意味もないと理解することだ。(引用終了)
悪口には理解すべきどんな意味もありません。
でも、悪口でも何でも人間が言っていると思うと、イラッとします。
アランのように鬼畜なサイコパスのように考えましょう。
人間の口から出る内容のないことばが、たいていの場合、何か意味のあるような格好をしているためだ。
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アランはデカルトの情念論を高く評価しながら、その内容を引いていますが、デカルトもまた人間は機械だと考えた人です(もちろん魂は別に存在しますが)。
(引用開始)
デカルトは『情念論』という本を書いている。これは彼の著作のなかでもっとも美しいものであるが、読み人があまりにも少ない。そこで彼が説明しているのは、まさに、どうやってわれわれの身体(マシーン)が、からだの形を通して、習慣のひだを通して、簡単に思惟を装うことができるのか、である。(引用終了)
機械である以上は蓄音機と同じです。
僕の師匠は「人間の言葉を覚えたゴリラが口を利いている」というような意味のことを言いますが、ゴリラは動物なだけ、機械よりもマシかもしれませんw
僕らは機械と動物と人間の間をゆらゆらとゆれています。でも、天が振ってくるぞと叫ぶ狼少年たちが多すぎて、動物を通り越して機械になってしまいそうなので、冷静に頭を使って人間サイドに戻りましょう。
無駄にして良い時間など1秒もないので。