とある小学校での出来事です。
「1から100までの数を全部足してください」と先生が問題を出しました。
クラスの秀才くんは素早く頭から順番に計算していきました。
それがおそらくは求められたことでしょう。
1と2をまず足して、それに3を足して、その答えに4を足していき、素早く素早く計算して100に至ります。黙々と計算します。
一方で天才のガウス少年は、問題を一瞥して、頭の中で構造化して回答を出しました。
ご承知のように、天才のガウス少年は問題文を見て、数秒で5050と回答したそうです。
1+2+3+4+・・・・・・97+98+99+100=
という問題文の規則性と構造を考えると、面白いことが見えてきます。
まずドミノの1つ目を倒します。
すなわち最初と最後を足します。すると101となります。
同じく二番目と後ろから二番目を足すと101になることがわかります。
同じく3番めと後ろから3番目を足すと101になります。
1+100=101
2+99=101
3+98=101
4+97=101
・
・
・
と続きます。
(これは直感的ですし、もちろん証明も可能です)
すると、この101が何組あるかを考えれば、答えが出そうです。
100個の数字があり、それがペアになるので、合計で50組です。
すると101が50組あるので、
101×50=5050、
となります。
これは小学生でやる算数ですが、情報空間や抽象度と言ったときも同じカラクリがあります。
かたや1+2+3+4+5+6+・・・・・と頭から素早く計算していく秀才がいて、もう一方には全体の構造や規則性を考えて、素早く欲しい結果を得る人たちがいます。
頭から順にひたすらに計算していくことに対して、ガウス少年の方法は1つ上の抽象度の解き方です。
たしかに何もないところから、ゼロからこの解放を数秒で編み出すのは天才の技です。
しかし、知識は我々を天才にしてくれるのです。
まさに「知は力なり」なのです。
たとえば、数列の和の公式を知っていれば(丸暗記ではなく、その考え方と共に)、1から100までではなく、1から100000であっても、数秒で答えを出せます。
であれば、自分の地頭を鍛えるのも大事ですが、知ってしまうことが早道だったりします。
ただそのときに単に丸暗記するのではなく、手触りがあるところで理解して覚える方が汎用性が高くなります。
ガウスの計算であれば、実際に書いてみて、頭とおしりを足すと101になるのを、驚きと共に喜べば、その知識は力となります。
間違っても公式を無味乾燥に丸暗記しないことです。
1から100までの数(整数)を足しなさいと言われたときに、ガウスの頭には立体的に数が見えて、秀才くんたちは順番に数を足していく苦行に感じたのでしょう。
同じものを見ていながら、違うものを感じることはよくあります。
たとえば、文字や文章も同じです。
文章を構造化して読むことはとても大事です。
たとえば、タレブのこんな言葉があります。
タレブというのは、ブラック・スワンという書籍を書いたナシーム・ニコラス・タレブです。
私たちは、私たちは学ばないということを私たちは学ばないということを自然とは学ばない(ナシーム・ニコラス・タレブ)
ここに階層性を見て、正確に分析したいのです。
雰囲気で理解するのではなく、構造が先で、理解が後です。
術語論理学でポイントになってくるのは、階層性です。
かつての自然言語処理でも、人間にできてコンピュータにできないのは、この階層性の認識だと言われていました。
たとえば、
ジョンはメアリーが好きだと、トーマスが言っていたのを、マイケルが聞いた。
という文章を考えると、
John likes Mary
とトーマスが言って、
そしてそれをマイケルが聞いたという階層になっているのが分かります。
「ジョンはメアリーが好き」が一階、それを目的語としてトーマスが言ったのが二階、そしてそれを目的語としてマイケルが言ったのが三階です。
こういう構造になっているのは、人間ならばすぐに分かります(たぶん)。
しかし、かつては人工知能ではできないとされていました。
でも、人間も訓練しないと、階層性は認識できません。
再びタレブの文章を見て、考えてみましょう。
私たちは、私たちは学ばないということを私たちは学ばないということを自然とは学ばない(ナシーム・ニコラス・タレブ)
なぞなぞのような文章です。
この文章を脳内で立体的に構造が取れれば、OKです。
階層性(レイヤー)を認識できずに、べったりと理解しようとしてはアウトです。
ただ、丁寧に読むならば、構造はシンプルです。
私たちは、ーーーーーーーーーーーーーことを自然とは学ばない
がベースとなる第一階層です。
「ことを」とあるので、目的語です。目的語部分が節になっています。
SVOで言えば、私たちはがS(主語)で、学ばないがV(動詞:述語)です。
その目的語が「私たちは学ばないということを私たちは学ばないということ」となります。
なぜ目的と分かるかと言えば、「を」があるからです。
そしたら、その目的語というか目的節の部分の分析です。
「私たちは学ばないということを私たちは学ばないということ」から、「私たちは学ばないということを私たちは学ばない」を取り出すと、
「ーーーーーことを私たちは学ばない」というSVOが取れます。
私たちは」がSで、学ばないがVです。
「ことを」以前が目的のOです。
これが第二階層です。
そして残った部分が第三階層になります。
「私たちは学ばないということを」の「私たちは学ばない」が三階です。
ですので、構造化すると、
私たちは学ばない
ということを
「(ーーーーーーー)私たちは学ばない」
ということを
私たちは、(以上のことを)自然とは学ばない
という構造になります(いや、むしろ分かりにくいかも。ご自身の手を動かしながら、まとめてくださいm(_ _)m)。
この三層構造を正確に取ることが重要です。
大事なのは意味ではなく、構造です。
構造があって、そのあとに意味があります。
これを逆にする人が多いのですが、それは主客転倒しています。
というか、そのことで誤読することが多いのです。
自分が読みたいものを投影してしまいます。
ブラインドタッチを学ぶときのように(もう不要な技術となってきていますがw)、最初はゆっくりと構造を取り、そのうちに素早くできるようになり、次第に猛烈なスピードでできるようになります。
最初は亀の歩みでも、すぐにウサギを追い抜くのです。
文章の論理(ロジック)を正確に取ることは、ガウス少年がやってみせたことと似ています。
遠回りのようで、圧倒的な速度となるのです。
気功の世界も同じです。
思い込みや妄想から離れて、非常に散文的に見えたとしても、科学的に分析して、構造を取ることが肝要です。
最初は亀の歩みでも、そのうちにウサギを追い抜きます!
そして知識はその歩みを加速してくれます。我々は知識によって、後天的な「天才」になりうるのです。ただ知識を得るためには、ロジックを取る訓練は不可欠です。