マドンナがはじめてマリファナを吸った時、このクソ不味いものを私の手から奪って、と叫んだとか、マドンナらしいエピソードと思いました。
まずいお酒もまずいドラッグもいらないのです。
というか、なぜまずいお酒を飲むかと言えば、それでわずかにトリップできるからでしょう。
そのドラッグの陶酔感によって、もしくはトランスによって、現実が忘れられるみたいな幻想があります。もしくは快楽を得られる、と。
でも、それならばとびきり美味しいお酒を飲みましょう!
*とびきり美味しいお酒と言っても、何も高いお酒を飲めということではなく(それでももちろん良いのですが)、安酒でもとびきり美味しくする方法はあります!(多分w)
ジャンクフードはなぜ美味しいのでしょう。
食べちゃいけないものはどうして美味しいのでしょう?w
ジャンク情報はなぜ楽しいのでしょう。
目にしては有害と分かっている情報はどうして魅力的なのでしょう。
それは純粋にシステムの問題です。
カラクリはシンプルです。
海水を飲んで乾きを癒そうと思っている人は、飲んでいる瞬間は幸せかもしれませんが、結果的に身体は脱水症状を起こします。幸いにも海水を飲み続けたらすぐに限界が来ますが(生存の限界が)、もし身体が海水の塩分濃度に対して、慣れたら?
それも飲めば飲むほど慣れてしまったとしたら、その人は乾きを癒そうとして、もっと海水を飲むでしょう。
そして大量の海水を飲めば飲むほど、身体は慣れていきます。
(海水に慣れるはずもないのですが、これは比喩です)
なぜ慣れるのでしょう?
これもシンプルです。我々のホメオスタシスという機能ゆえです。
ホメオスタシスはどんな環境にも適応しようとします。
暑ければ汗をかき、寒ければ身体を震えさせて熱を産生して、対応します。
大量のインスリンが分泌されたら、そしてそれが長いこと持続したらインスリン抵抗性を生じさせます。慣れさせるのです。
アルコールも同様で、アルコールに慣れていきます。
それを「酒に強くなった」などと、褒めたりしますw
同様に、乳糖不耐症がほとんどの国民に学校給食で牛乳を飲ませるのも同じです。何度もお腹を壊し、何度も壊し、そして慣れます。小学校6年生のころには、牛乳を一気飲みしたりします(良い子は真似をしてはいけません)。
植物毒の多い野菜を子供は嫌いますが、「好き嫌いなく食べなさい」という躾(しつけ)のもと、繰り返し摂取しているうちに、慣れていきます。抵抗性を生じるのです。
甘い物が食べれない子供は意外とたくさんいますが、繰り返し糖分を摂取しているうちに、耐性がつきます。
そこにわずかでも報酬があると(海水にも水は存在し、一瞬は喉の乾きが癒やされます)、ループができます。
はじめてタバコを吸った時は、こんなクソ不味いものをなぜみんな吸っているんだと思うものの、ニコチンが切れたときに、タバコをなぜかまた吸いたくなり(報酬系が刺激され、ドーパミンが出て)、もう一服するとそれが満たされます。渇望感が満たされます。
しかしタバコを吸うことが、海水を飲むのと同じく脱水症状を起こし、血中のニコチン濃度が下がれば、またニコチンを摂取したくなるのです(「いやいや、ニコチン中毒だけではないでしょう」というツッコミはわかりますが、とりあえず議論をシンプルにしています)。
ループするのです。ループ(循環)と言っても、悪循環です。
そしてこのループの最初の方は楽しいのに、最後のほうが義務感ばかりとなってきます。
限界効用は逓減します。
一杯目のビールは美味しいけど、二杯目、三杯目となればなるほど、ますます喜びが増すのではなく、もう4杯目は別のお酒でも良いかな〜となります。
でも、このループの罠にひっかかっていたら、飲みたくないのに飲み続けることになります。
身体は欲するけど、意識はもうウンザリです。身体が欲すると言っても、それは脱水症状と同じで、乾きがあるだけです。
身体が喜ぶのではなく、中毒の甘い罠に深く落ちているだけです。
Drugは目の敵にしやすいのですが、それがコカインであっても、小麦であっても、砂糖であっても
お酒(アルコール)やタバコでもです。情報的なAddictionもたくさんあります。
DrugもAddictionもそれ自体は本来は良くも悪くもありません。
わかりやすく目に付きやすいDrug自体を目の敵にすると、魔女狩りや禁酒法みたいなことになるのです。本当に大切なものは目には見えないのですw
c.f.「ほんとうに大切なものは目には見えないんだよ」いや、大切ではなくても見えていないんだよ 2014-10-02
*宇多田ヒカル『Addicted To You』
♫だけどそれじゃ苦しくて
毎日会いたくて
この気持ちどうすればいいの
(略)
会えない日の恋しさも
側にいる愛しさも
同じくらいクセになるんだ♫
なんであってもループに入れば、「クセになる」のです。
Drug自体が問題なのでありません。
ある種のシステムが機能不全に陥っている場合に、そのシステムを停止できないことが問題です。
中毒が問題なのではなく、中毒が問題なときに、それを解決できないことが問題です。
目の敵にしやすいドラッグ自体を禁止しても意味がありません(いま、政治的な話をしているのではなく、個人の問題の話しです。政策は我々の代表者が適切に決めてくれるはずです。グリーンラッシュに乗り損ねて国益を損ね続けるのもまた我々が選んだ者たちの合理的な判断なのでしょう)。
我々は具体的な事象に目を奪われて、わかりやすい敵を求めがちですが、それでは禁酒法と同じ轍を踏みます。
たとえば海水は悪ではありません。我々に豊富なミネラルと水をもたらしてくれます。たとえばサバイバルに長けた者たちのように、塩と水とをそれぞれ分けて取り出せるならば、それは非常に有益です。「海水を飲み続けてしまう」というループが問題なだけです。
そのシステム、もしくは回路が機能不全を起こしているだけです。
砂糖は定義上、Drugでしょうが、それは高度に精製された炭水化物であり、炭水化物が悪なはずもありません。ただ「精製」という抽象化、そしてそれを身体に摂取したときに起こる回路が問題を起こす可能性があるというだけです。
抽象度が高いものは毒にも薬にもなります。
その回路やループ(もしくはシステム)をAddiction(中毒)と我々は呼んでいます。
人は麻薬のみで中毒になるにあらず
なのです(「人はパンのみにて生くるにあらず」をもじっています)。
というか、以前も紹介しているとおり、高濃度のモルヒネを長時間、体内に入れ続けてもジャンキーにはならない人はたくさんいるのです。
それはマドンナと同じく、そんな快感では、我々が満足しないからです。
これはネズミの実験でも同じです。
ケージに入ったネズミにただの水と、ドラッグ入りの水を示すと、ドラッグ入りの水を飲み続けます。
でも、話はそれで終わらず、もしネズミに仲間がいたら、たくさんのオスとたくさんのメスがいたら、ドラッグ入りの水に目もくれず、ひたすらにただの水を飲みます(次に一人酒を飲むときに、胸に手を当てたい話しですwいや、楽しく飲んでいるなら良いのですが)
c.f.人はパンのみにて生くるにあらず 〜人は麻薬のみにて、中毒になるにあらず〜 2015-08-21
*Everything you think you know about addiction is wrong | Johann Hari TEDレクチャー
*「中毒についてあなたが知っていると考えていることはすべて間違い」
しかし、そうやって罠から逃れられるのは、最初の瞬間だけ、もしくは「慣れる」までだけです。
慣れてしまったら、どんどん抜け出すことが困難になります。
わかりやすい中毒はまだ良いのです。アルコール依存症であったり、ニコチン依存症もしくはヘビースモーカーなら、問題は比較的見えやすいのです(だからと言って、解決が簡単なわけではありません。ただ問題が可視化しやすく、本人が認識しやすいならば、手を付けやすいというだけです。多くのaddictionは問題であることすら認識できません)。
一方でわかりにくいAddictionはたくさんあります。
そして新しく出てきたAddictionもたくさんあります(インターネットは人類の歴史の中では思いっきり最近のものです。Webで提供されるコミュニケーションやSNSやポルノも)。
我々が自分の能力を上げたいと思い、効率的に生きたいと願い、生産性を上げたい、もっと幸福になりたい、もっと夢を実現したいなどと思うことは、ナチュラルなことです。
そしてそれを構造的に妨げているのは、悪いAddictionかもしれません。それもいくつもの見えないAddictionかもしれません。
そのうちに妨げられることに慣れていきます。耐性がつくのです。
そしてそれを補償するようにホメオスタシスが作用して、諦めグセのようなものがつき、エフィカシーがダダ下がりします。
僕にはAddictionがトゲに見えます。トゲが刺さっているので、パフォーマンスが上がらないのです。ノイズであり、我々にチクチクと生産性を下げるものでもあります。
何かに集中したいときに、わずかなノイズで発狂したくなります。
とは言え、重要なのは知識であり、抽象度です!
「もうお酒は飲みません!」
「もうタバコは吸いません!」
みたいな短絡的な話しではありません。
Sugarにせよ、小麦にせよ、ポルノにせよ、同じです。
イエス・キリストではないですが、
しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。(マタイ5:34)
と言いたくなりますw
もし誓うならば、これからは「美味しいお酒しか飲みません」「美味しいタバコしか吸いません(もしあるなら)」と誓えば良い気がします(同時に「たまに誓いを破ります」とも誓っておきましょうw)。
美味しい和菓子、美味しいケーキ、美味しいご飯、楽しくジャンクフードを食べます!と誓えば良いのです。
ジャンクフードもジャンク情報も美味しいものです。
でも、それは美味しいと思えるところでおしまいにしておけば良いのです(たまには、ピザを食べるのも楽しいと思います。楽しければ)。
それよりは中毒がもたらす義務感に囚われるのをやめれば良いことです。
でも、思い出して欲しいのは、我々には自由意志はないということw(リベット)
自由意志がどう考えようが、どう決意しようが、あなたはこのブログを読み終わったら、タバコを吸い、お酒を飲み、小麦を食べ、コーラを飲み、精製された砂糖菓子を食べます。
それは良いのです。
罪悪感はループをより強化するだけです。
止められない衝動を意志で止めようとしないことです。
ドン・キホーテのようなものです。
そこに意志力を使わずに、もう少しレイヤーの高い世界で我々ができることをしましょう。そうすると、そのうちに(意外と素早く)その情報は物理空間に降りてきて、そして我々の生活を一変させます。
少し結論を急ぐと、これらの方法論を「まといのば」では瞑想と名付けています。
上記の「もう少しレイヤーの高い世界で我々ができること」が瞑想です。
ただし瞑想には良い瞑想と悪い瞑想があります。ですので、総決算スクールでは良い瞑想を仮にLemonと名付けました。
瞑想という概念は体操とか、気功とか、運動とかと同じくらい非常に広い射程を持ったものです。ざっくりすぎる言葉であり、行動指針になりづらいのです。
僕らがやりたいのは広大な瞑想の世界のほんのわずかな部分のことです。
瞑想という概念は広すぎて、そしてほとんどがあまり質の良くないものです。
余談ながら、低品質ながら厄介なのは、瞑想をしないよりはゴミでも瞑想をしたほうがマシということです。もちろんそんな瞑想を続けていて、人生が詰むケースはあります(魔境ですね)。しかし、そのケースはほとんど体験談に乗りません(当たり前か)。
ですので、ゴミを排し(ゴミはゴミ箱へ)、良い部分だけをやりたいのです。そしてその良い部分をLemon(仮)と名付けました(笑)
*レモンがあるならレモネードをつくればいい。
"When you have a lemon, make a lemonade."
これは一度覚えれば、簡単です。
そして、その視点から見るとaddictionが本当に構造的に見えます。
構造的に見えるというのは、カラクリが手に取るように、手触りを持って分かるということです。
そしてどう対策したら良いのかも見えてきます。
で、その技術を教えるスクールをやります!!!
という告知につなげても良いのですが(いつものことですが)、このLemon(瞑想)は「まといのば」のインフラにしたいと思っています。
最低限、このタイプの瞑想はできるよね、という集団にしていきたいと思っているので、今月末のスクールに間に合わなくても大丈夫です!
ちなみに、、、、
夜中の通販番組風に言えば、、、
いまLemonをご購入の方にはもれなく「システム1の書き換え方」もついてきますw
それ以外にも、、
いや、もっといろいろとついてくるのですが、安っぽいスピリチュアリズムの夢のようなので、みなさん自身がエビデンスになって、お互いに楽しみましょう!!
これがインフラというか、基礎というか、土台になれば、いろいろと楽しいことがたくさんだと思います。もっと過去のインフラ(陰陽師やら魔術師やら錬金術やら)も使いやすくなると思います。
というわけで、まずは今月開催のヴァージョンアップした瞑想スクールをお楽しみに!!
【瞑想スクール!!!】
【日時】 4月27日(土)15:00~20:00
4月28日(日)13:00~18:00
【場所】 東京四ツ谷のセミナールーム(最寄り駅はJR四ツ谷駅、丸ノ内線四谷三丁目駅、都営新宿線曙橋駅)
【受講料】 230,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください)
【受講資格】 「まといのば」セミナー受講生(もしくはそれに準ずる方、他で「まといのば」の主宰のセミナーを受けている方もOKです)
【持ち物】 筆記用具
【お申し込み】お申し込みはこちらから。