速読講座を数年ぶりに開催しようと準備を進めています。
かなりオカルトチックな手法から、非常に真っ当な方法まで様々な手法がありますし、それを教えることも可能なのですが、先にいつものように結論から書きます。
多くの本を読みたい、多くの本を素早く読みたいという気持ちはわかりますが、その裏の意図なり、裏に走っているアルゴリズムは何かを見極める必要があります。そしてその意図やアルゴリズムをより噛み砕く必要があります。
たとえば知識の習得をしたいのであれば、グーグル先生にはかなわないのだからやめたほうがいいと思います。人生を楽しみたいのであれば、どれほどの速度で読むかはあまり関係無いように思います。頭を良くしたいのであれば、ショーペンハウエルではないですが、多読の速読はもしかしたら役に立たないかもしれません。
大量の知識と論理に裏打ちされた圧倒的な知性を習得するために、大量の読書によって教養や知識や論理性を獲得したいという真っ当な理由であれば、じっくり難解な本を時間をかけて読むことです。
僕自身はあまりにモノを知らず、読書のスピードも早いとは言えないのですが、それでも何事かを学んできたとしたら、それは読書からというよりはむしろ人からでした。人から直接学ぶという形でほとんどの知識は習得してきたように思います。それは大学などの講義であったり、教師との対話や質疑応答の中でです。読書はむしろその教師たちから直接学んだものを再確認する場でしかなかったように思います。
寺子屋などはきわめて多岐にわたる学問分野を網羅しているように思いますが(実際そうですが)、それは僕自身が本で得た知識というよりは、大学の授業(中学や高校、小学校も含めて)やそれ以降に教師たちから直接教わり、薫陶を受けたものを噛み砕いて、再び伝え直しているに過ぎません。
長老たちがその共同体の神話を語り継いだように、我々も我々人類の遺産を次の世代へ語り継ぎます。それが科学であり、宗教であり、哲学であり、数学であるというだけです。
逆向きに結論から言えば非常にシンプルで、知識の伝達というのは、基本的には人から人へ伝達されるものであり、書籍にせよ何せよ、メディアはツールに過ぎないということです。
情報化社会などと持ち上げられて、その実、メディア(これもギリシャ神話の登場人物)のコストが劇的に下がっただけの我々の世界では、直接に人から学ぶということがこれまでに以上に重要になってくると感じます。もちろん直接学ぶ前後に必須の膨大な「予習・復習」には現在のメディアは非常に有効だと思います(テレビもラジオもインターネットもです)。
『メーデイア』イーヴリン・ド・モーガン画(Wikipedia)
というわけで(どういうわけだ?)速読のことを考えるならば、その本との出会いも一期一会と心して真剣に丁寧にじっくりと読むことが第一です。なぜなら書籍は(すべからくすべての文章は)筆者から読者への痛切なメッセージであり、それをおろそかにする人が、直接出会って学ぶときにその学びをおろそかにしないとは言えないからです。急がず丁寧に読みましょう。ガンジーではないですが、永遠に生きるかのごとく学ぶことが大切です。
"Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.
"明日死ぬかのように生きろ。永劫永らえるかのように学べ。(引用はWikiquote)
【書籍紹介】
こちらも何度も紹介している名著です。
読書について 他二篇 (岩波文庫)/ショウペンハウエル
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本を早く読む方法があるわけではなく・・・
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