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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した〜私達は死を賭した お前は何を

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壁にぶつかることが非常に重要と考えています。

 

以前は「絶望」と表現していたこともあるのですが、シークレットスクールでも伝えたように、むしろそれは単なる壁と考えるのが適切かと思います。

 

それは壁にぶつかっても乗り越えようという力強さが欲しいというような、スポ根系の話ではなく、壁にぶち当たることで世界のカタチを早くに知ることができるからです。

 

 

絶望というのは、壁にぶつかったときの情動的な反応でしかありません。

壁にぶつからないと、ふわっとした生き方になるのです。

圧倒的な壁、絶望的な壁、乗り越えることが不可能な壁に触れることができると、世界のカタチが見えてきます。

 

 

世界の片隅(カタスミ)ではなく、世界のカタチですw

 

 

余談ながら、壁と言えば、ENBのジゼルは素晴らしかったです(良さはダンサーやバレエファンにしか分からないと思うので、一般向けではありませんが)。

ENBとはタマラ・ロホ率いるイングリッシュ・ナショナル・バレエです。

ロホが率いて、ENBは大きく変わりました。

そのひとつの現象がこのアクラム・カーンのジゼルかと思います。

 

アクラム・カーンも見事ですが、ジゼルのタマラ・ロホが素晴らしい。

 

*タマラ・ロホ!

 

 

 

まあ、それはさておき壁です。

 

壁を知りたいのです。

 

自分の限界というのは早めに自覚しておきたいのです。

 

そうすると、その制限の中で自分が何をできるかがわかります。

制約や制限の中でこそ、自由は存在します。

制約が可視化されていなければ、どれほど自由を感じていたとしても、不自由なままです。まあ、それを感じなければ、その不自由さは存在しないということになるのかもしれませんが。

 

 

*壁と言えば、進撃の巨人w、関連記事は以下の通り!

「気功はともかく遠隔気功って何か怪しくないっすか?」〜ご質問は計画的に?!〜 2014-12-01

「この新しい大衆は、彼をとりまく世界に甘やかされてきたのである」(オルテガ) 2015-12-14 13:05:15

躾に一番効くのは痛みだと思う。お前に一番必要なのは言葉による「教育」ではなく「教訓」だ 2017-12-03

 

 

シークレットスクールでのテーマは、ロゴスも重要だが、ミュトス(Mythos)も重要であるということでした。

 

たとえば、幾度となく紹介した、詩篇はシンプルな叙述ながら、胸をかきむしられるような激情がそこにはあります。

 

*バビロン捕囚

 

1 われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。

2 われらはその中のやなぎにわれらの琴をかけた。

3 われらをとりこにした者が、われらに歌を求めたからである。われらを苦しめる者が楽しみにしようと、「われらにシオンの歌を一つうたえ」と言った。

4 われらは外国にあって、どうして主の歌をうたえようか。詩篇137:1−4

*初出は「タンジュは出せないまでも、楽に5番に入りました!」2012-08-08

われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。 2016-04-09

 

故郷に戻ることは叶わず、自分たちを拉致したものから、楽しみのために歌をうたえと言われるという残酷な情景です。

バビロン捕囚のことを知らなくとも、ダビデ王が王となる前は美しい音色の竪琴を弾く羊飼いの少年であったことを知らなくとも(知っていればなおさら)感動を誘います。

 

この怒りや絶望こそが、壁として機能する何かなのです。

彼らはきっと「主の歌」をうたい、生き延びたのでしょう。怒りを心に秘め(数千年も)いつか報復しようと祈ったことと思います。

 

しかし、いま騒いだとしても、意味がなく、いま怒りを表現したとしてももちろん意味がないのです。

 

心に秘めた強い怒りや哀しみや絶望こそが、彼らの支柱の1つであり、そして故郷に戻ることの喜びもまた彼らの支柱の1つでしょう(絶対に戻れない故郷に)。

 

 

 

ヒーラーになるのはかなり容易な時代となりました(もちろん時代のせいにする気はなく、僕らが意図した結果ですが)。

しかしその成功を何年も続けるには、それ相応の「壁」が必要なのではないかと思います。

 

メンターの教材の中で、かなり残酷な「予言」をしています。

それは、多くの優秀なヒーラーは自分の親しい人を亡くしている、と。

その人を気功で治せるかもしれないと思い、実際に気功で効果が上がったかに見えるものの、努力の甲斐もなく亡くしている、と。

そのときの無念さや、自分の非力に対する絶望からスタートすると、数年や数十年かかってもたどり着けないレベルに一気に飛躍することがある、と。

 

 

そういうヒーラーはどれほど奇跡的なヒーリングをしたところで、どれほどクライアントから喜ばれたところで、どれほど経済的に恵まれるようになったところで、目の奥底が暗いのです。暗いというか、深いのです。

自分が助けられなかった(という物言いも傲慢なのですが)人々の列がいつも頭に去来するのです。

死者たちは我々の記憶の中に生きていて、我々に語りかけ続けます。

 

(引用開始)癒着した胸の空洞から 忘れがちな死者の声が聞こえてくる ――私達は死を賭した お前は何を賭しているのか?(引用開始)(谷川俊太郎「空の青さをみつめていると」 p.291)
*ブログでの最初の紹介は「練習をしていると、息があがり、筋肉がちぎれそうになって、『もう無理』と感じる瞬間が必ずやってくる 2014-02-24

 

その世界のカタチからスタートすることが大事だと、最近は特に思います。

以前の言い方で言えば、絶望からスタートすること、圧倒的な壁を認識することから始めること、です。

 

 

次々と成功していく「まといのば」のメンバーを見ていると特にそう思います。より厳密に言えば、小さな成功ですぐに小さくまとまってしまう残念な彼らを見ていると特にそう思います。

「まといのば」のメソッドであっさりとヒーラーとして成功すると(彼らは成功とすら思っていないのですが、以前の彼らの視点からすれば大成功です)、なぜか悪魔がささやき出すようです。

 

もっともっと強いコンプレックスなり、怒りなり、悲哀なり、絶望がなければ、ささやかな評価とささやかすぎるお小遣いで煩悩をきっちり満たされて、牙を抜かれてしまうようです。

 

じゃあ、逆になぜ目の奥が昏(くら)いヒーラーたちが、恐怖と後悔と絶望に血塗られていても、でもなぜヒーラーであり続けるかと言えば、その先にもしかしたら、自分が救いたくて、救えなかった人を次は救えるのではないかという希望があるからでしょう。

 

その先に、あのときに自分が救えなかった人を救えるかもしれない(もちろん時間を遡行できないので、不可能ですが)という絶望的な期待があるのです。

 

 

 

 


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