自由意志の問題はさんざん議論してきたので、過去記事を参照して欲しいのですが、基本的に我々は物理法則に支配され、そしてそのベースにある生化学的な営み、ホルモンや神経系にそして何よりも脳に支配されています。
我々の自我というのもがあるとしたら、それはユーザーイリュージョンでしかなく、それが実体なのではなく、それは影だということです。
逆に、その裏に走っている冷酷非情なシステムを理解して、ハッキングできれば、我々は自分が望ましいと考える結果を手にすることができるかもしれません。それもまた予期されていたことだとしてもです。
気功をやる上で、理解した方が良いのは、我々は世界を自分の思い通りにすることができるのではなく、世界が望む通りに自分が振る舞うことしかできないということです。
そこは徹底的に受け身なのです。
与えられた役割を果たすだけであって、そこに自由意志は無いと考えたほうが、逆説的ですがより自由になれます。ある種の洗脳や教育から自由になるということはとても重要ですが、それ以上により本質的なカラクリ(それはシンプルなものなので)に踏み込む方が賢明です。洗脳からの解放は大事ですが、堂々巡りする可能性があります。
気功などは全能感を持ちやすいのですが、そのような傲慢はすぐに市場(マーケット)によって罰せられます。罰するというのが擬人的すぎるのであれば、作用反作用の法則のようなものです(これもまた因果報応のようですが)。アルゴリズムは間違いに対しては、容赦しないので。というか、機械と話しているのと同じで、エラーにはエラーを吐き出すのです。
月が複雑な計算をはじめて、抽象化に成功して、自我という副産物を持ち得たとしたら、月は地球を自由意志でまわっていると考えるのでしょう(表題のセリフはアインシュタインです)。
でも僕らも月も同じく物理法則に従っているだけなのです。
そこからスタートすれば、くだらない袋小路にはまったままで、人生を終えなくて済むのかもしれません。もちろんそこから抜けてもまた巨大な袋小路の中なのですが。