寄生獣という漫画がありました。
エイリアンが地球に飛来し、人間を含めた動物に寄生していくという話しです。
主人公は右手にだけ寄生され、そのエイリアンのミギー(右手だからミギー)と共にエイリアンと戦います。まどマギのキュウベエとどこか似た可愛く憎めないながらサイコパスなIQの高さを持ちます。
*エフィカシーなどいらない?!まどマギと美魔女考 2012-10-21
その寄生獣の中で最も人気があったであろうアンチ・ヒーローが後藤です。
恐るべきことに五匹の寄生獣に寄生されたモンスターです。恐るべき力を持ちます。
五匹なので後藤(五頭)という身も蓋もないネーミングです。名は体を表わしすぎですw
で、何の話かと言えば、我々もこの寄生獣の後藤(五頭)の状況と似ているということです。
そしてそれを理解して、他の四体の寄生獣も自分のゴールのために働かせれば(足を引っ張らせずに)、ゴールが見つかり、ゴールが達成できるという話でした。
*目からも気は出ますか? 2010-12-07(手をミギーのように独立した人格とさせてヒーラーにする、というアイディアはこの頃から変わりません)
頭で考えたことと、肚(ハラ)で考えたことはしばしば異なります。
(そもそも進化論的には、腸内神経の延長型が脳です。腸から脳への迷走神経が太いはずです)
理性では止めるのに、情動で突っ走ってしまうこともあります。
右手がしたことを左手が説明できないことも。
もちろん右手、左手というのは比喩ですが、右脳と左脳であれば、神経科学のひとつの結論です。
スティーブン・ピンカーはガザニガの分離脳の研究をこのようにまとめています。
非常に明瞭で秀逸なまとめです。
「右脳が左脳に気づかれずにふるまうことができ、左脳はその後、全人格がとった行動について作話(さくわ)する」(スティーブン・ピンカー アメリカ心理学会2008年優秀科学賞顕彰表彰の辞)
*数学はとても大事だろうが、それは踊りも同じである。 2012-12-13
*身体を変えるのは、重要なのは脳であって、筋トレではないということについて 2016-06-09
「気づかれずにふるまう」という表現が良いですね。
あたかも独立した脳のようです。
いや、実際に独立しているのです。
*10月は一年ぶりのバレエスクールです!!お楽しみに!!
以前よく紹介していた「ユーザーイリュージョン」では以下のような例が挙げられていました(いまでも「ユーザーイリュージョン」はオススメです。良い教科書です)。
右目に鶏の脚を見せ、左目に積もった雪の絵を見せます。
右目は左脳に、左目は右脳につながります。
すなわち、左脳に鶏の脚を見せ、右脳に積もった雪を見せたことになります。
言語を発する左脳にニワトリを見せて、言語を発しないが運動を司る右脳に積もった雪を見せると、この分離脳のクライアントはシャベルを選びます。
なぜなら雪かきをするためです。
しかし、なぜシャベルを選んだか分からない左脳はあわてて理由をでっち上げます。
*昨日のセミナーではNakedYogaも話題に。
なぜシャベルを選んだか聞くと(雪かきをするためではなく、しかしそのために右脳は選んだのですが)言語を司る左脳は「ニワトリ小屋を掃除するにはシャベルが必要」とうそぶきます。
この奇妙な現象こそが右脳、左脳や意識ということについての大きなパラダイム・シフトを起こしてくれます。
ホモ・デウスとサピエンス全史のユヴァル・ノア・ハラリは「アメリカのCIAが国務省の知らないうちにパキスタンでドローン攻撃を行うようなものだ」と言います。
うまい比喩です。
「それについてジャーナリストが国務省の役人たちを問い詰めると、彼らはいかにもありそうな説明をしておく。実際にはメディア担当の情報操作の専門家たちは、攻撃が命令された理由については手掛かりすらないので、とりあえずは何かそれらしい話を勝手に考えるのだ。」と
*最近、久々に「サバイバー 宿命の大統領」のシーズン2を見ていたので、この「アメリカのCIAが国務省の知らないうちにパキスタンでドローン攻撃を行うようなものだ」というのは非常に臨場感が高いですw
*セスという広報官はいつも苦労させられます。大統領も広報官も、政治運営はいつも闇夜に手探りなのに、ジャーナリストからはいつも明確な説明を求められます。脳もまた同じです。
*殺人を無罪にする方法 〜心の強さではなく、ホメオスタシスの強さを信じる〜 2017-06-28(このドラマをはじめて紹介した記事です)
ポイントはこれは分離脳患者だけの話しではないということです。
我々の話しなのです。
同じようなメカニズムを、分離脳患者たちだけではなくすべての人間が利用している。私の国務省が知りもしなければ承諾もしないうちに、私のCIAが何度となく物事を行ない、それから私がいちばんよく見えるような話を国務省がでっち上げるわけだ。そして、国務省自体も、自分が考え出したまったくの空想を信じるようになる。(『ホモ・デウス』)
繰り返しますが、これは我々の脳の話しなのです。
我々は脳梁が切断されておらず、より作話がエレガントなので、実験による検証が難しいだけです(その検証を可能にしたのが行動経済学の一連の実験です。カーネマンたちが有名ですね)。
脳だけでも少なくとも2つあります。
しかし、実際はガザニガも言うようにいくつものエージェントが脳内にあり、独立して動いています。
これはユングのオカルティックな魔術召喚の解説にある「自律性を持つ心の断片的体系」(ユング)をも思わせます。
脳はいくつもの人格の統合であり(作話に失敗したり、記憶が連続しないと解離性人格障害となります)、我々はいくつもの仮面を持って日々暮らしています。
*「自らの中にある黒い炎に名前をつけるため、自らの煩悩の正体を知るため(最澄)」 2015-08-16(リガルディがユングを紹介した魔術召喚についても、インサイド・ヘッドについても書かれています)
*脳内にいる人格とは情動だけではないのです。
*余談ながら、情動がらみで言えば、昨日紹介した経頭蓋磁気刺激ヘルメットは興味深いです。脳の無駄口を減らすというのは、もしかしたらある種の情動を小さくするというサイコパスに近いように感じます。当該箇所をこのブログの最後に引用しておきます。
*岡田斗司夫さんによるとこれは商品化されているそうです。http://foc.us/
そして脳だけではありません。
身体も分割されます。
ざっくりと分けるならば、手足胴体でしょう。
上肢、下肢、胸(ハート)、肚(ハラ)、そして頭です。
手で考えるという人はいますし、足で考える人もいます。
下半身の欲求と頭の理性が相反することは良くあるでしょう。
ロミオとジュリエットではないですが、胸(ハート)と頭が相反することも。頭ではまずいと分かっていても、脚が向いてしまうこともあります。
我々は自分を統合しているのではなく、我々の自我なり意思は可哀想な広報官(もしくは国務省のメディア担当官)なのです。
逆にその寄生獣の後藤のような状態が我々です。
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*後藤が表紙です。
いや、むしろあまりにバラバラなので、ホッブズのリヴァイアサンがむしろ近いでしょう。
リヴァイアサンとはレヴィアタンという海の怪物(悪魔)で聖書にも出てきます。
そのレヴィアタンを地上の神として国家のメタファーとしたのがホッブズです。
そして面白いことにこの著作「リヴァイアサン」において、最初に身体の分析からスタートします。脳が政府で、免疫が司法、血液は輸送であり、、と国家とのメタファーが面白いです。
*悟りは全知ということではなく。リヴァイアサンとドーキンス 2012-07-22
リヴァイアサンの表紙のリヴァイアサンをよく見ると人間でできています。
国家を構成しているのが国民であるように、我々の身体を構成しているのも小さなエージェントたちです。それも自立し独立しているエージェントたちです。
その最小単位を体細胞や微生物にするのか、はたまた遺伝子にするかは視点によります。
ただ膨大であることは間違いありません。
そしてその後藤(五頭)どころか五百兆くらいの寄生獣である我々がその能力をフルに使えると
面白そうです。
これは比喩ではないのです。ガザニガたちの報告によると、本当に右手がしていることを左手が阻害したりするのです。
両半球の間の連絡が絶たれていたので、右手が伸びてドアを開けようとすると、左手が邪魔をして乱暴にドアを閉めようとするとうことがときどき起こった。(『ホモ・デウス』)
味方になればこれほど心強いエイリアンたちもいません。
そのためにはまずそれぞれの身体の声を聴くことからスタートしましょう。
独立した人格として接するのが肝です!
というのが昨日のセミナーでした(その一部です)。
ヴァーチャル受講もありますので、是非お楽しみに!!!
【ヴァーチャル受講:まといのば講座『ゴールの光と闇 〜自らの内に地獄を持て〜』】
【受講料】 3万円
【受講資格】 「まといのば」のスクール修了生、もしくはそれに準ずる方
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【書籍紹介】
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映画にもなりましたねー
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昨日紹介したヨガ本はこちら。美しいです。
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サイコパスと通じるように思う経頭蓋刺激ヘルメットについて、以下に引用します!
平たくいえば、ネガティブセルフトークによるブレーキがなくなった脳。悪魔のささやきが消えた脳であり、猛烈な集中状態です。
そのあと、ヘルメットを被らせてもらった。いつもと違うという感じはとくになく、口の中がわずかにピリピリし、金属のような奇妙な味がしただけだった。
(引用開始)
「ニューサイエンティスト 」誌の記者サリー・アディーは、狙撃兵の訓練施設を訪れて自ら効果を試すことを許された 。まず 、経頭蓋刺激ヘルメットを被らずに、戦場シミュレーターに入った。自爆爆弾を装着し、ライフル銃で武装した覆面男性二〇人がまっしぐらに向かってきたときの恐怖をサリーは次のように描写している。「なんとか一人撃ち殺すたびに、新たに三人の襲撃者がどこからともなく現れる。私の撃ち方では間に合わないのは明らかで、パニックと手際の悪さのために、銃を詰まらせてばかりだった」。幸いにも、襲撃者は周りを取り巻く巨大なスクリ ーンに映し出されたビデオ画像にすぎなかった。それでも彼女は、自分のお粗末な対応ぶりにひどく落胆したので、ライフルを投げ出してシミュレーターを出たくなったほどだ。そのあと、ヘルメットを被らせてもらった。いつもと違うという感じはとくになく、口の中がわずかにピリピリし、金属のような奇妙な味がしただけだった。それにもかかわらず、彼女はランボーかクリント・イーストウッドにでもなったかのように冷静に粛々と、バーチャルなテロリストを一人、また一人と狙い撃ちにし始めた。 「二〇人の襲撃者が武器を誇示しながらこちらに駆けてくるなか、私は落ち着き払って自分のライフル銃を向け、間を取って深呼吸し、最寄りの敵を狙い撃ちにしたかと思うと、そのときにはもう、静かに次の標的を見極めていた。ほんの一瞬ぐらいにしか思えないうちに、『よし、そこまで』という声がした。シミュレーション室の照明が明るくなった……突然の静寂の中、死体に取り囲まれた私は、もっと襲撃者が現れるものとばかり思っていたので、担当者たちが私の頭の電極を外し始めたときには少しがっかりした。顔を上げた私は、誰かが時計を進めたのではないかと訝った。不可解なことに、すでに二〇分が過ぎていた。『私は何人倒しましたか?』とアシスタントに尋ねた。すると彼女は不思議そうな顔でこちらを見て、『全員です』と答えた」この実験のせいでサリーの人生が変わった。その後の数日で、彼女は自分が「スピリチュアルなものに近い体験」をしたことに気づいた。「その経験の特徴は、自分が前より賢くなったと感じたり、物覚えが良くなったりするというものではなかった。愕然としたのは、生まれて初めて、頭の中の何もかもが、ついに口をつぐんだことだった……自己不信と無縁の自分の脳というのは新発見だった。頭の中が突然、信じられないほど静まり返った……この経験の後の数週間というもの、いちばんやりたくてしかたなかったのは、あそこに戻ってもう一度電極をつけることだったと言ったら、共感してもらえるといいのだが。私はじつに多くの疑問を抱くようにもなった。私の心には怒りと敵意に満ちた小鬼たちが住みついて、私を怖がらせて、やりもしないうちから物事を諦めさせてきたけれど、やつらを別とすれば、私は何者だったのか?そして、あの声はみな、どこから聞こえてきていたのか ? 」これらの声のなかには 、社会の偏見を復唱するものも、自分の個人史を反映するものも 、遺伝的に受け継いだものをはっきり表現するものもある。それらがすべて合わさって目に見えない物語を生み出し、私たちの意識的決定を、自分ではめったに把握できない形で方向づける、とサリーは言う 。もし、私たちが内なる独白を書き直すことができたら、あるいは、そのような独白をときどき完全に黙らせることさえできたら、いったいどうなるのだろう?二〇一六年現在 、経頭蓋刺激装置はまだその揺籃期にあり、成熟したテクノロジーになるのか、なるとすればそれはいつかは定かではない 。これまでのところ、利用者の能力を短期間高められるだけであり 、サリー・アディーの二〇分の経験は例外中の例外かもしれない(あるいは、ひょっとしたら悪名高い偽薬効果の結果でさえあるかもしれない)。発表された経頭蓋刺激装置研究のほとんどは、特別な状況下で作業をしているごく少人数のサンプルに基づいており、長期的な効果や危険はまったくわかっていない。とはいえ、もしこのテクノロジーが成熟すれば、あるいは、もし脳の電気的なパターンを操作する他の方法が見つかれば、そのせいで人間社会と人間はどうなるのか?人々は、テロリストをもっと上手に撃つためだけではなく、より日常的な自由主義の目標を達成するためにも、自分の脳の電気回路を操作するだろう。すなわち、より効率的に勉強したり働いたりするためや、ゲームや趣味に没頭するため、数学であれサッカーであれそのときどきに自分が興味を持っているものに集中するためなどだ。ところが、もしそのような操作が日常的なものになれば、消費者の自由意志とされるものもまた、ただの製品として購入されるものに変わるだろう。ピアノの演奏を習得したいけれど、練習時間が来るたびにテレビを見ていたくなる?大丈夫。ヘルメットを被って、適切なソフトウェアをインストールするだけで、ピアノを演奏したくて居ても立ってもいられなくなるから。(引用終了)
愕然としたのは、生まれて初めて、頭の中の何もかもが、ついに口をつぐんだことだった……自己不信と無縁の自分の脳というのは新発見だった。頭の中が突然、信じられないほど静まり返った
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