*寺子屋「天才たちのリレー」の元ネタである「世界を変えた書物展」は来週月曜日までです!!
@上野の森美術館、FeeFree
若い頃の小泉今日子さんに似たメンター受講生から、「情報空間とは何ですか」というご質問をいただきました。
もちろん理論的には情報空間という概念を十分に理解しているのですが、実際にどうやって情報空間にアクセスしたり、情報空間で移動したり、情報空間で情報を操作したら良いか、分からないとのことでした。
これは非常に重要なところです。
シンプルに言えば、情報空間とは記憶です。
脳内と言っても良いですし、内部表現と言っても良いのですが、その実体は記憶です。
ただその記憶は過去方向にだけ伸びるのではなく、未来にも伸びていきます。
記憶の操作が情報空間の操作です。
過去に向かうときは、「思い出す」となり、未来に向かうときは、「思い描く」ということになります。
過去・・・思い出す
未来・・・思い描く
過去という情報空間にアクセスすることを、記憶を想起するとしたら、未来という情報空間にアクセスすることは、思い描き、想像することです。
いま仮に時間軸というものを想定しましたが、脳にとっては時間軸は存在しません。
足場として時間軸を使いましたが、建物を建てたら、足場は不要です。
建物が完成したあかつきは、足場を見せてはいけない(ガウス)
過去を思い出すときも、未来を思い描くときも、どちらも脳内情報を組み合わせて、それらしいVISIONを脳内に広げるだけです。
いやいや現在(いま)の認識も同じです。
外界から入ってきた刺激と脳内にある情報の断片を組み合わせて、モザイクのように現実をリアルに脳内に繰り広げているだけです。
極端な言い方をすれば、それは現実(リアルな外部世界)とは似ても似つかないものです。
*プシュケーにキスをするアモール(キューピット)
*プシュケーの頭の上に蝶々が飛んでいます。これがパズルのピースです。
過去現在未来というのは、認識においては、その意味ではすべて脳内情報でしかありません。
厄介なのは、この脳内情報という内部表現がそのまま外部世界となぜかつながっているということです。
かつては内部表現と外部世界というのは、(比喩的な意味で)頭蓋骨で隔てられていました。
脳内が内部表現、脳外が外部世界です。
外部世界を我々は感官を用いて認識するというのが従来のパラダイムでした。
これを天動説だとすれば、
現代の地動説は、我々が認識したように世界が変容するというものです。
(引用開始)
三才
私に過去はなかった
五才
私の過去は昨日まで
七才
私の過去はちょんまげまで
十二才
私の過去は恐竜まで
十四才
私の過去は教科書どおり
十六才
私の過去の無限をこわごわみつめ
十八才
私は時の何かを知らない
(引用終了)(「生長」谷川俊太郎)
認識はそのまま存在と繋がるのです。
理想の未来を引き寄せたいと思ったら、その理想の未来を思い描くだけです。
余談ながら、、、ゴール設定のためのパーソナルセッションなどで、そのお手伝いをすると、多くの人は拒否反応を起こします。
「いやいや私なんて」と。
これが内なる悪魔くんです。
Creative Avoidance(創造的回避)くんです。
厳密には未来の私と現状の私は違うと考えることです。
全く違う時間、全く違う場所の、全く違う自分なのです。
スター・トレックのワープと同じです。
全く同じに見えるけれど、未来の自分は現状の自分のコピーです。
コピーですが、そこに移動しようという意図があった以上は、現状の自分の方がCopyとなるのです。
いまの私は仮の姿(Copy)ということです。
ただ、Copyのまま人生を終わらせないように、Copyとしての機能を果たしましょう。
それが意図するということです。
平たくいえば、理想の未来を思い描くことです。
徹底的に思い描くのです。ふわっと思い描けば、ふわっとしか叶いません。
ふわっと成功を思い描いたら、大成功している隣人を観ることになりかねません。
自分が成功するようにリアルに思い描き、リアルに設定することです。
目の前にある指と同じくらいリアルに思い描くことです。
この思い描く作業こそが、情報空間へのアクセスであり、思い描けてその世界の中に入ることを情報空間での移動と言います。
そして移動した先で周りをよく見て、きっちり細部を観ることを情報空間の操作と言います(いや、これをアクセスと呼んでも構いません)。
まずは思い描きましょう。
そして思い描き方にもコツがあり、修練があり、鍛錬が必要です。
自分ではうまく歌えているつもりでも、ツッコミどころはたくさんあります。
自分ではうまく踊れているつもりでも、直すところはたくさんあります。
ゴール設定や情報空間へのアクセスも同じです。
自分ではうまくできているつもりでも、もっとうまくやる方法があるのです。
それを理論的にそして身体に落とし込みながら、一歩一歩学んでいく場が「まといのば」です!!
【書籍紹介】
いまさらでしょうが、ホモデウス。
面白いです。
懐かしい音楽を聴いているような心地よさ。
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僕らは想像力が貧困なのです。
そのことを知っていれば、想像力をもっと筋力のように鍛えようと思えるはずです。
著者はインターネットとの出逢いをこう描いています。
我々は想像力が貧困で、そして未来を想像するに不自由なのです。
しかし鍛えれば、応えてくれます。
(引用開始)
私は初めてインターネットに出合った日のことを今でも覚えている。一九九三年のことで、私はまだ高校生だった。二人の仲間と友人のイードーの家に行った(彼は今、コンピューター科学者だ )。私たちは卓球がしたかった。イードーはすでに大のコンピューター愛好家で、卓球台を広げる前に、最新の驚くべきテクノロジーを見せると言って譲らなかった。そして、電話線をコンピューターに接続し、いくつかキーを叩いた。一分ほどは、耳障りな甲高い音やビーッという雑音しか聞こえず、その後はうんともすんとも言わなくなった。うまくつながらなかったのだ 。私たちはぶつぶつ文句を言ったが、イードーはもう一度やってみた。それから、もう一度、さらにもう一度。やがて、とうとう歓声を上げ、自分のコンピューターを近くの大学の中央コンピューターに接続できたと宣言した。「それで、その中央コンピューターには何があるんだ?」と私たちが尋ねると、「うん、まだ何もない 」とイードーは認めた。「だけど、入れようと思えば、ありとあらゆる種類のものを入れられる 」という。「たとえば?」と私たちが訊くと、「わからない。ありとあらゆる種類のもの」と彼は答えた。たいして期待が持てそうになかった。その後、卓球をし、それから何週間も、イードーの馬鹿げた考えを物笑いの種にするという新しい暇潰しを楽しんだ。(本書の執筆時点で)それから二五年もたっていない。それならば、今から二五年後に何が起こっているかなど、知れたものではないではないか。(引用終了)
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