というわけで、本日(9月18日)は「はじめての気功」です。
今回は、かなりのボリュームなのと、新しい人が驚くほど多く(そして追加開催をするには驚くほど直前なので)ブログ上である程度、情報提供をしておきます。
まず「はじめての気功」では本当にはじめて気功をする人のために、ガイダンスがあります。
レジュメの冒頭はこんな感じです。
これは毎回変わりません。
そして、初参加の人がいないときはここの項目は割愛されます。レジュメには残っていますが、扱いません。
*毎回、レジュメにあるこの絵画はご承知のとおり、アモーレとプシュケーです。
アモーレとはクピド(キューピット)ですね。
アモーレは自分の持っている矢で自分の指を怪我します。そしていたずらをしようとしていたプシュケーに恋に落ちます。プシュケーとは息というギリシャ語で転じて生命とか魂という意味です。
0.気功とは「言葉(Logos)」を意識にあげること
0.はじめに情報空間ありき
1.手を重ねて、手(という言葉)を意識に上げる
2.「手」という概念を意識に上げることで、手という情報とその写像である物理的な手自体が変容する
3.手を重ねて、息を吹き込み(プシュケー)、手の中の温かな空気を感じることで、その空気を「気の玉」と名付ける
4.気の玉を四隅に配置することで、結界とする
やりたいことはシンプルです。
気功を使えるように知識を仕入れて、伝授を行い、そしてセルフでワークをして、ペアワークをしてもらって、一気に気功を身近なものにしてもらいます。
はじめに情報空間ありきとは、もちろん聖書の冒頭の章句「はじめに言葉があった(はじめにロゴスありき)」(ヨハネ1:1)のパロディーです。厳密にはパロディーというか、本質的な説明のつもりです。
気功を考える上で、情報空間という概念を導入する必要があります。
これはシンプルにモデル化するならば、xy座標の第一象限を用います。
高さのY軸方向が抽象度の階層性をあらわします。
最も抽象度が低いところが物理空間です。x軸が全部物理空間と考えてください。
ですから、物理空間は情報空間の対概念ではなく、物理空間は情報空間に包摂されるのです。
そしてロゴス(言葉)というのは情報空間にプカプカ浮かんでいます。
たとえば私たちが見つめる「手」というのは、まず情報空間に「手」という概念が先に存在し、その写像として、物理的身体的な「手」が生じると考えます。
写像(しゃぞう)という音がなんとなくShadowに似ています。影ですね。影を落とすようにして、物理的存在が現れます。物理的な肉体としての手は情報空間の影にすぎないのです。
その証拠に一瞬一瞬でその構成要素は変わっていきます。これを代謝と言います。
じゃあ、情報は一瞬一瞬でその構成要素が変わらず永久不滅なのかと言えば、それも違います。そのような情報をイデアなどと言ったこともありますが、今はそう考えません。
「手」という情報空間の情報(概念)もまた何かの影です。何かの写像だと考えます。
まあ、いずれにせよ、物理的な肉体としての「手」を変えたいと思ったときに、気功師は情報空間にアクセスします。
情報空間にアクセスというと不思議な感じがしますが、ものすごく簡単です。
ものすごく簡単なのですが、その方法をここに書き記すにはあまりにも余白が足りないので、セミナーで伝えます(冗談です)。
情報空間や情報場にアクセスする方法は、、、、言葉を意識にあげることです。
とても簡単です。
それを観ると言ったりもします。実際に観てもOKです。ただし観ているときに我々は猛烈に言葉を意識にあげています。言葉なしでは人は何も観ることはできないのです(何もは言いすぎですが、ほとんど観ることができません)。
すなわち、『手』という言葉を意識にあげると、なぜか手という情報が情報空間を抽象度の高い方向へ移動します。そして、、、その結果として、情報の写像である物理も変化します。
これが気功の基本的な考え方です。とてもシンプルです。
「言葉を意識にあげるだけなんて簡単!!」と思うと思いますが、次のフェイズがあります。
その「言葉」を知らなくてはいけないのです。
その言葉と言っても、特殊な呪文などではありません。そうではなく、適切な用語を知らなくてはいけないのです。
平たくいえば、知識がなければ、気功による書き換えができないのです。
というわけで、情報空間の紹介でした。
その次に気功の定義を行います。
気功の定義とは「共感覚による内部表現書き換え」です。これはドクター苫米地による定義です。
もしくはRゆらぎです。RゆらぎのRとはリアリティーのことです。
リアリティーのRが、RゆらぎのRです。
このRゆらぎの下位概念として、気功をはじめとして、呪術や魔術や陰陽師の技や魔法使いの技、錬金術が存在します。すべてはRゆらぎに統一されます。
牛や馬や豚や人が哺乳類に統一されるのと同じです。これが抽象度の階層性です。
包摂関係があるもの同士で、情報量の大小で順序が決まるのです(包摂関係のある情報同士の情報量の大小を抽象度と言います)。
分析哲学の存在論における包摂版順序束は当然ながら必須項目です。ヒーラーにとっても、コーチにとっても。
*水戸納豆のように上界と下界は閉じているのです。上は「空」で、下は「矛盾」で。
*納豆が糸を引くように、情報同士もネバネバとつながり、意図を引くのです(^o^)
*抽象度のオーダーではなく、重要性によって概念を並べ替えると、重要性関数のグラフ化となります。これが自我の定義です。自我とは重要性関数のことです。自分にとって重要なものを近くに、重要でないものを遠くへ置き、それを重要性の濃度で並べ替えます。
物理的に目の前にあっても、重要性が無いので見えない現象をスコトーマと言います。
そんなこんなで気功技術を伝授して、気功のワークに入ります。
気功技術の名称は「はじめての気功」という「はじめてのお使い」みたいな名前の技術です。
セミナーの名称と同じですね。
これはいわば気功基本セットみたいなものです。気功を始めるならこれだけでOKという技術ですね。
気を出したり、気を感じたり、気の玉を作れたりします。それもかなり高度なレベルで。
正直、プロのヒーラーとしてやっていくのであっても、これだけで良いのではないかと思うレベルです。あとは自分でがんばるだけです。
で、伝授されたら(あ、伝授に体感はほとんどありません。無くて構いません。稀にめっちゃ感じてしまう人もいます。「まといのば」には多いです)、使っていきましょう。
先程の「共感覚による内部表現の書き換え」とか「Rゆらぎ」とか、「言葉を意識にあげること」などをうっすら意識にあげながら、、、、まず手を重ねます。
*手をつなぐのではなく、自分の手を重ねます
*手を重ねるのは胸の前で。しかし合掌ではなくてOKです。
手を重ねることで、手のひらを意識にあげます。
重ねるという行為に意味があるのではなく、意識にあげることが重要です。
繰り返しますが、手のひらを意識にあげることが重要です!!
意識にあげてください。手のひらの感触や、熱感を。細やかに細やかに意識にあげればあげるほど良いです。
このように意識にあげて反応を観ていく作業を「まといのば」では重視します。
それをフィードバックを取ると言います。
まといのばはフィードバック命ですw
というのも、気功はToolでしかなく、結果が大事だからです。我々にとっての果実は気功技術そのものではなく、結果です。
どう身体が変わったか、どう心が変わったか、どう人生が変わったかが大事です。
まあ、それはともかく手のひらを意識にあげます。
そしたら、重ねた手に息を吹き込みます。
寒い冬の日に冷えた手を温めるような感じです。
そうすると息を感じます。
温かい空気を手の中に感じます。
それらを意識に上げます。
温かい空気を「空気の玉」として手の中に感じます。空気の玉を意識にあげると、それが「気の玉」です。
意識に上った物理というのは脳内情報として転写されます。
気とは情報であり、空気の玉は物理的な存在から、情報的な存在(情報)に変わります。
それが気の玉です。
気の玉をパントマイムのように取り扱いましょう。
パントマイムと言えば、マルセル・マルソー
あたかもあるかのように取り扱うのです。
Assume a virtue, if you have it not.
(ないならせめてもっているふりを)
これが気功のコツです。
本当に気の玉がリアルに目の前に存在してペットボトルと同じくらいに存在していると確信できたなら、、、、、病院へ行きましょうw
あたかもあるかのように取り扱うことで、実際に結果という果実を手に入れるのが気功です(「結果」という言葉自体が、「実(果)を結ぶ」ですね)。
ここはめっちゃ重要なポイントです↑
あたかもあるかのようにパントマイムのようにやることです。
だからこそ、フィードバックが重要なのです。
相手にどんな変化があるか、自分の身体にどんな物理的な変化が起こるかを、よく観ることです。
こまかく観察することです。
気の玉ができたら、それを軽く押してみます。
押すと気の玉が反発します。
その反発を感じながら、ずっと押しているとだんだん気の玉が大きくなってきます。
気の玉ができたら、それをお互いに触ってみましょう。
ペアワークは基本的に隣の人と行います。
*丁寧なご挨拶からはじめましょう。
挨拶って重要な気功のワークです。礼や所作というのを「まといのば」では重視しますが、なぜならその動作が気功の空間を構成するからです。
ペアワークで何をするかと言えば、まず挨拶します。
そしてお互いに自分で気の玉をつくります。
手を重ねて、手のひらを意識に上げ、手の間にそっと息を吹き込み、温かい空気を意識に上げることで、気の玉をつくります。
その気の玉をお互いに触り合います。
ここで気をつけてほしいのは、丁寧さです。
気の玉はいわば自我そのものです。乱雑に扱われるとかなり不愉快です。
丁寧に丁寧に触ることを心がけましょう。
そして意外なことに、自分の気の玉はぼんやりしているのに、人の気の玉ははっきり分かったりします。しかし、これは意外でも何でも無く、自分の気には慣れてしまっており、他人の気は新奇でわかりやすいということがあります。
ちなみにここでのポイントはリラックスです。
筋肉というのは運動期間であると共に感覚器官でもあります。
筋肉が緊張していると、感覚器としての筋肉の働きは鈍くなります。
リラックスして、筋肉が緩んでいると、筋肉の感覚が鋭敏になります。
リラックスしましょう。
そして、できるだけ言語化しましょう。
何かを感じたらすぐに言語化する努力をします。
たとえば反動や圧を感じたら、それを言葉にし、ピリピリしたらそれを言葉にしましょう。
重さや熱さを感じたら、それをなるべく具体的に言葉にしましょう。
言語化は気功をする上ではきわめて重要な能力です。
気の玉のワークがだいたいできたら、封入をしたり、結界を張ったりはそのときどきでやります。
封入はたとえば下腹部に気の玉を押し込みます。
結界は四隅にコピーした気の玉を張ります。
これらも非常に面白いワークなのですが、本編に入れなくなるので、ほどほどに!!
*脳を鍛えていきましょう!身体も(^o^)