ゲーデルの不完全性定理のイメージはオセロの石が白になったり、黒になったり、白になったり、黒になったりを繰り返すイメージです。
真偽値と考えても良いですし、証明可能か証明不可能かでも良いのですが、コロコロ変わるのです。
そのコロコロ変わる感覚をゲーデル自身が「嘘つきのパラドックス」とも密接に関わっていると言っています。
嘘つきのパラドックスとは、「この文は間違っている」というような自己言及パラドックスです。
この文が指すのは「この文は間違っている」全体です。
「この文は間違っている」が正しいとしたら、「この文は間違っている」という命題が正しいということになり、この文は間違っているということになります。
厄介なのですが、この命題Aが正しいとしたら、この命題Aは間違っているということなるわけです。
もう一度厄介なのは、この命題Aが間違っているとしたら、「この文は間違っている」という命題が間違いなので、すなわち「この文は正しい」というのが正しいということなります。
すなわちこの命題Aが間違っているとしたら、この命題Aは正しいとなるのです。
これがこのパラドックスの肝であり、ラッセルのパラドックス、そしてゲーデルの不完全性定理のベースとなるパラドックスです。
「私は嘘つきです」とか、「この命題は証明できない」など様々なバリエーションがあります。
でも、女の子が上目遣いに「私、嘘つきなの」とボソッと言ったというシチュエーションで、「なるほどそれは不可避的に自己言及のパラドックスを構成するね」など言ったりはしません。
それほどまでに論理学というのは、日常言語と離れています。
ただ論理学のトレーニングというのは、無味乾燥のようですが、どこかで通過しておくと良いと思います。論理学を学んでも、論理性は鍛えられませんがw、論理学を知ることはできます(当たり前か)。論理性を鍛えたいと思ったら、原書講読などが良いのかもしれません(でもその論理性は多くの人には受け入れられませんがwただ何かを考える上では大きな武器です)。
この嘘つきのパラドックスが新約聖書に出ています。
クレテ人のうちのある預言者が「クレテ人は、いつもうそつき、たちの悪いけもの、なまけ者の食いしんぼう」と言っているが、この非難はあたっている。だから、彼らをきびしく責めて、その信仰を健全なものにし、ユダヤ人の作り話や、真理からそれていった人々の定めなどに、気をとられることがないようにさせなさい。
テトスへの手紙1章12節~14節
クレテ人がクレテ人を嘘つきと言う典型的な自己言及パラドックスです。
しかし、もちろんこの手紙は自己言及パラドックスについては一切関知していません。
ゲーデルの不完全性定理は素数を縦横無尽に用いた非常に魅力的な証明ですが、その証明の汎用性はほぼありません。ニュートンのプリンキピア・マテマティカみたいなものです。その幾何学を駆使した証明に触れる人はほとんどいません(物理学者でプリンキピアを読んでいる方が稀です)。
ですから、不完全性定理の証明を肴にいろいろな分野に触れることが肝要かと思います。
たとえば、カントールの対角線論法は無限集合論ばかりか、ラッセルのパラドックス、そしてゲーデルの不完全性定理にもそのアイデアは活かされています(それが冒頭のオセロの石のイメージです)。
寺子屋ではもっと手を広げて、龍樹の中論と古代ギリシャの哲学者ゼノンのパラドックス、そしてアリストテレスの可能無言論をやりました!
それが加速学習の肝かと思います。まずは浅く広くそして楽しくでしょう!!
ちなみに、論理命題はほぼ無限にあります。その命題をすべて書き出して、遡上に載せるためにゲーデルは自然数という無限をうまく使いました。
あまりの鮮やかさに脱帽です。
無限の部屋を持つホテルの話を聞いたことがあるでしょうか?
部屋数が無限なのですが、あいにくその日は満室です。
全室にお客様が入っています。
そんな日に限って、VIPがお見えになりました。
ホテルのフロントはどうしたでしょう?
断ることはできません。
しかし無限もある部屋はすべて満室です。
でも断れないVIP。
そこで、館内放送を流します。そしてすべてのお客様に隣の部屋へ移ってもらいます。
1号室の人は2号室へ、2号室の人は3号室へ。
100号室の人は101号室へ、100523号室の方は100534号室へです。
無限にある部屋であれば、これが可能です。
そしてめでたくVIPは1号室に入ります!
無限集合論にはこんな奇妙な話がたくさんあります。
満室の無限のホテルに、無限のお客様が来たりもします。
こんなときは??
n号室のお客様全員に、2n号室へ移ってもらいます。
そして新しいお客様にn+1号室に入ってもらえばOKです。
このカラクリと素因数分解の一意性を見事に使ったのがゲーデルの不完全性定理です。
そのゲーデルの不完全性定理を、チューリングはチューリングマシンで証明し、チャイティンは仮想マシンではなく、現実のLispで示しました。
ユニバーサルコンピューターの発想で言えば、これらのコンピューターは同じものです。
新しいプログラムがいつ停まるかを事前に知ることはできないということです。
やってみなくちゃ分からないのです。
この感触は、蓋をあけてみないと生きているか死んでいるか分からない哀れなシュレディンガーの猫を思わせます。
そしてハイゼンベルクの不確定性原理そのものを思い出させます。
それ以上に遠くて、しかし似ているのはクリプキ様です。
規則は行為の仕方を決定できない、なぜなら、いかなる行為の仕方もその規則と一致させられ得るから。
これはもちろんウィトゲンシュタインの『探求』からの引用ですが、そこからモーツアルトのように新しい変奏曲を生み出します(明らかにウィトゲンシュタインの意図を超えた理論が展開されます)。
プログラムもシュレディンガーの猫も走らせてみる(開けてみる)までは分からないのです。それは神さまにも!!
*というわけで、リニューアル版寺子屋「ゲーデルの不完全性定理」の配信もお楽しみに!おそらく、、、、6月前には配信できるかと。
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p.s.寺子屋受講生の方が紹介してくれたプリンキピア・マテマティカの全文PDFはこちら!
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