明らかに存在するけど、言葉にできない、、、。
真摯にゴール設定を続けていくとそんな体験をします。
なにか光は見えるし、体感もあるけど、それが何であるかを表そうとしても適切な言葉がない。
それを言葉にできない。
そんな感覚です。
より具体的に言えば、文字に落とし込めない。文章にできないのです。
そんな感じです。
言葉にできるゴールというのは、まだまだ弱くて、いわゆる結果に注目しすぎなものです。むしろ「あり方」をあらわすような不定形なものが良いゴールです(とは言え、この事実をまたクリエティブ・アボイダンスの餌にしない注意が必要です)。
ちなみに、マルチリンガル(多言語)においても重要になるのは、この感覚です。
少し本稿の主題とずれますが、強いて言えば、なるべく言葉(文字)を使いたくないのです(むしろ音を重視します)。文字ではなく、音。音も文字で見えてくるものではなく、音が喚起する情動に注目するイメージです。人の出す音(声)には呪術的な力があるのです(ブーバ/キキ効果)。
それは言葉(文字)にできないけれど、明確にある感覚です。
それは手触りがあり、存在感があり、色も形もあり、感情も生まれ、明確に「ある」のに、何かを示せないものです。
逆に言葉(文字)に頼りすぎて、心のおしゃべりをさせすぎると、どんどんと本質から離れていき、くだらないおしゃべりだけが永遠に心から排出されていきます。
ゴール設定や理論について話させると永遠に何かの引き写しのように話せる人がいます。
でも、主観的な世界の中で実践できていなければそれは画餅(がぺい)でしかないのです。
口下手であっても、言葉にできなくても、実際に手触りがある中で、手応えがある中で日々進歩している人が強いものです(もちろん、それを言語に写像させようとし続ける挑戦は重要です)。
ソクラテスは話し言葉を尊重し、書き言葉(文字)を嫌いました。
それは死んだ言葉であり、そこにロゴスの魂は無いとみなしたのです。
ですからソクラテスは一冊も本を残しませんでした(イエスもブッダも同様です)。
(皮肉なことに弟子のプラトンが残した書籍によって、ソクラテスの話した言葉は我々の耳に届くのですが)
*死刑により自殺する瞬間までも意気軒昂なソクラテス。鍛え上げられた肉体が見事です。
ソクラテスはこんな風に言っています。
古代ギリシアの哲学者ソクラテスは、エジプトの神トトの物語の中で文字の二面性を指摘している。文字の発明者であるトトは、その手柄に祝福の言葉をもらおうと、王のもとへやって来る。そのトトに王はこう言う。「文字の父であるおまえは文字への愛着のあまり、文字が実際にもっているのとは反対の力を文字のものだと言っている・・・・・・おまえが発明したのは記憶の霊薬ではなく、記憶を呼び出す薬だ。おまえが教え子たちに与えたのは真実の智慧ではなく見せかけの智慧だ。だから彼らは教えられなくとも多くものものを読み、それゆえ多くのことを知っているかに見えるが、実際にはほとんと無知なままなのだ」。 (文字の起源と歴史 創元社 pp.02-03)
王の口を借りて、ソクラテスはこう言います。
ここでは知恵の神であるトート神が王の前で、まるでガキの使いのような扱いになっているのが興味深いところです(トート神をヘルメチックカバラの祖と崇めたエリファス・レヴィたちに聴かせたい話です)。
「おまえが教え子たちに与えたのは真実の智慧ではなく見せかけの智慧」であり、「それゆえ多くのことを知っているかに見えるが、実際にはほとんと無知なままなのだ」と。
文字にしてしまい、言葉だけで完結させてしまうと容易だと感じることはたくさんあります。
本だけを読んで、文字だけを読んで分かった気になるということはよくあることです。
そしてそれは巨大な罠なのです。
それに比べて、実践というのは、現実にはそんなに簡単ではありません。
だからこそ、実際に試すことが大事であり、その経験の中で、言葉や文字にすることが困難な叡智をつかむことが重要です。
実践を重視することで、本当の叡智が手に入り(そしてそれは言語化を拒み)、我々は進化成長できます。
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