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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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アリストテレスの先生はアリストクレス?プラトンとジャイアント馬場、宮殿の瓜売りと砂上の楼閣

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こんな話があります。

 

小学校の同級生がいて、二人はとても仲良しでした。

 

一人は成功して宮殿に住むようになり聖人と呼ばれ、ひとりは瓜を売っていました。瓜売りですね。

 

で、あるとき2人は再会し、じゃあせっかくだからということで、瓜売りがその聖人の納入業者となることになりました。

 

「うちに瓜を売りに来てよ」と聖人くんは言いました。

 

瓜売りは「OK」と答えます。

 

そして瓜売りは張り切って仕事をするのですが、、、、残念ながら宮殿の召使いたちからは、その瓜があまり評判がよくありません。端的に言えば、まったく美味しくないのです。

 

宮殿の家臣に言わせると「あいつはとんだ食わせ物ですぜ」となります。

なぜなら「やつが持ってくる瓜は質が悪い」「あなたさまのご学友かもしれませんが、ちょっとたちが悪い気がします」という報告が聖人に上がります。

 

でも聖人としては昔の友人を助けたいし、彼が悪意をもってやっているとは思えない。

 

*画像は本文とは一切関係ありません(いや、後半とは関係しますが)。

 

 

というわけで、聖人は家臣にこう提案します。

 

「わかった、わかった。じゃあその買った瓜は使わなくて良い。ただ瓜売りが来たら、彼が持ってきた瓜を切って差し上げなさい」と言います。

「ただし、その瓜よりもちょっとだけ品質が良いものと一緒に」と。

 

すなわち、瓜売りがもってきた瓜をAとすると、そのAともうちょっと品質の良いBを食べさせるのです。

 

A < B

 

ですね。ちょっとだけ良いやつです。

 

すると、瓜売りは自分が持ってきた最高だと思っている瓜よりも、もっと美味しいものがあることを知り、それを探すようになります。

 

そうして持ってきたBの瓜よりも、もうちょっと品質の良いCを食べさせます。

 

B < C

 

ですね。ちょっとだけ良いやつです。

 

すると瓜は上には上があることを知り、また探します。

 

これを繰り返すことで、、、瓜売りは宮殿にふさわしい瓜を見分けられる納入業者になりましたとさ、という話です。

 

 

 © Caito - Fotolia.com

 

 

瓜売りに最初から最上級の瓜を見せても、食べさせても、おそらくは認識できません。

むしろ「これ、腐っているのでは」などと思うかもしれません。

そういうものです。

(豚に真珠というのはかなり普遍的な法則です。でも我々は豚から方法論さえ間違えなければ、進化できるのです)

 

でも徐々に提示されると、一歩一歩階段をのぼるように理解が進みます。

 

そして気づいたら、高みへと移動しているのです。

 

 

これはインドのお話ですが、そう言えば古代ギリシャも同じような話がありました。

 

我々の世界とは実は暗い洞窟の中で、壁に映るシルエットを見て、それが現実世界だと思っているようなものだという話です。

 

暗い洞窟の中に適応していると、もし万が一太陽を見ても、きっと何も見えません。

でも、洞窟を照らす松明からはじめて、目を慣らしていき、目が慣れたら、星々をゆっくり見上げて、星々にも慣れたら、月を見れば良いとアドバイスしました。

 

順に慣れていけば良いと。

 

ご承知のとおり、プラトンが語るソクラテスです。

 

ちなみにプラトンはソクラテス以前にはクラテュロスに師事しています。

クラテュロスからヘラクレイトスについて学んでいます。ヘラクレイトスと言えば「同じ川には二度と入ることができない」でお馴染みの万物流転です。東洋風に言えば「諸行無常」です。

 

同じ川に入ったと思ったとしても、川の分子は以前と同じではありえず、その意味で違う川です。そして同じ川に同じ肉体で入ったとしても、代謝によって身体の分子構成は変わるので、同じ肉体ですらありえません。

 

テセウスの船(プルタルコス)ですね。ある船があり、その船が修理によって長年にわたり部品が交換され続け、とうとうすべての部品が交換されたとき、それは同じ船と言えるのかというパラドックスです。肉体とはテセウスの船です。

 

プラトンはこのヘラクレイトスの思想の影響を受けており、プラトン自身はもしかしたら縁起説だったのかもしれません(一方でヘラクレイトスは自然界はたえず変化する一方で、その後ろに変わらないロゴスがあると考えているので、これがプラトンのイデアにつながるのかもしれません)。

 

ちなみによくセミナーでも言いますが、プラトンとはあだ名です。

プラトンはレスリング選手で体格が立派で、肩幅が広かったので「広い」という意味で「プラトン」と呼ばれていました。「ジャイアント馬場」という名前と似ていますね。

 

プラトンが「身体を動かせ」とよく言うのはなんのことはなくご本人がフィジカルエリートだったということです。

 

 

(引用開始)
人生において成功するために、神は人にふたつの手段を与えた。

教育と運動である。

しかし前者によって魂を鍛え、後者によって体を鍛えよ、ということではない。

その両方で、魂と体の両方を鍛えよ、というのが神の教えだ。

このふたつの手段によって、人は完璧な存在となる。

(引用終了)

 

 

ちなみに、プラトンの本名はアリストクレスです。

もしレスリングの先生がアリストクレスくんにあだ名をつけなかったら、、、、大変でした。

 

たとえばラファエロのアテナイの学堂の中心にいる2人。

もちろんプラトンとアリストテレスですが、それが「アリストクレスとアリストテレス」ときわめて紛らわしいことにw

 

*あだ名が通称にならなかったら「アリストクレスとアリストテレス」と後世に書かれていたでしょうw

 

ちなみに、アリストテレスの名前はギリシャ語の aristos (最高の)と telos (目的)から来ているそうです。最高の目的、、、すごい名前です。自分の名前を強烈なアンカーにできます。

 

そう言えばラファエロは大天使ラファエルに由来し、ミケランジェロはそのまま大天使ミカエルです。

ルネサンスの三大巨匠のうちダ・ヴィンチだけがレオナルドというライオンです。ヴィンチ村のライオンくんです(正確にはラテン語 "leo" 「ライオン」とゲルマン語 "harti" 「堅い」の合成名だそうで)。

アマデウスがデウス(神)に愛されたと(間違ったラテン語とは言え)名付けられるように、名前は面白いものです。というか重要ですね。

 

 

まあ、それはさておき、段階的に上方の世界に慣れていくというのは大事です。

 

一足飛びには移動できないので、楽しみながら、一つ一つ理解し、一つ一つ階段を登るしかありません。

 

気功も同様です。

 

とは言え、そんなに先を急ぐことはありません。はっきり言えば、気を出すと気の玉がしっかり分かれば、ほとんどのことはできます。ほとんどのことというのは、今望んでいるようなことはだいたい可能であるということです。

 

逆に気功技術ばかりを追いかけても、基本と実践が足りないと砂上の楼閣になりかねません。

 

(いやいやゴールについても砂上の楼閣の方が多いように感じます。ゴールを設定しているのに、そのゴールについてあまりに知らなすぎるとしたら、、、それは本当にWant toなのでしょうか?

本当にやりたいことなのでしょうか?

 

ゴールの設定とは恋に落ちることと似ています。寝ても覚めてもその子のことを考えてしまい、その子のことであれば何でも知りたくなるのと似ています。

 

気づいたらそのことについて調べてしまい、いつもそのことを考えてしまうのがゴールです。

 

 

って、この話を以前、パーソナルセッションでしたら、、、「僕は恋に落ちたことがありません」と言われました、、、、(汗)

 

うーーーーん、そういうこともあるのですね、、、、、

 

まあ、だとしたら、何かに熱中したときのことを思い出し、何かにハマったときのことを思い出しましょう )

 

 

危うい土台に危うい楼閣を立てたら、崩れるのが時間の問題となります。

着実な足場をつくりましょう。

我々が望んでいることなど、シンプルな気功技術でほとんどは叶いますので。

 

 

だからこそ、もっともっと自分に期待して、もっともっと自分に課した方が良いのです。ゴールが小さすぎるから、何も見えないのです。その状態でどんな高度な技術を召喚したところで、そしてそれが成功したところで、ほとんどどこへも行けません。まずは「自分は本当は何を求めているのか?」を見つけることにもっと時間を費やしましょう!

 

暇つぶしの快楽に目潰(めつぶ)しされすぎないで、本当は何が好きなのか、本当は何がやりたいのかを真剣に自分に問い続けましょう。

 

 

ただこれも一歩一歩です。

より美味しい瓜を選ぶように、一歩一歩上がっていきましょう!

 

 

 

*もし暇つぶしの快楽をどうしても享楽的に選びたいのであれば、肉体の開発は最高です。


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