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映画「きっと星のせいじゃない」の中で、生きられる時間を意識せざるを得ない主人公が「0と1の間にある無限、0と2の間にある無限、3までは行けなくても」と恋人に語るシーンがあります。
0と1の間には無限があります。
正確には無限の実数があります(当たり前ですが整数はゼロ個ですw)
0と1の間にはたしかに無限があるのです。
では、わたしたちは0から1へ移動できるのでしょうか?
「3までは行けなくても」という以前に1へも行けないかもしれません。
なぜなら無限がそこに横たわっているならば、そこを通過するには無限の時間がかかるからです。
そんなことを考えた古代ギリシャの賢人がゼノンです。
ゼウスではなくゼノンです(ゼウスはゼノンほどの知性を持ちませんw)。
ゼノンという人はたくさんいるのですが、ゼノンのパラドックスで知られるゼノンです。
どのパラドックスもカラクリはシンプルで、もし空間と時間が無限に分割できるのであれば、我々は移動することも、アキレスが亀を追い抜くことも、飛んでいる矢が飛ぶこともできないというものです。
アキレスと亀の競争も有名です。
アキレスはお母さんのおかげで不死身の強靭な肉体を持ち、お母さんのせいで足首に弱点を抱えた勇者です。不死身にするために、アキレスのママは冥府を流れる川ステュクスに赤ん坊(アキレス)をひたします。でもそのときに足首を持って、アキレスを沈めたために、足首だけが川にひたされなかったというオチです。
その弱点を知ってか知らずか、あのパリスがアキレスのアキレス腱を射抜いて、アキレスを殺します。それ以来、アスリートやダンサーにとってアキレス腱は弱点です。
パリスはあのトロイア戦争の原因となった女神の美人コンテスト(パリスの審判)のパリスです。「もっとも美しい女神へ」と書かれた黄金のリンゴ(ってオレンジのことですが)を3人の女神の足元へ投げたら、大騒動になってしまったというあれですね。
*寺子屋「美学(絵画編)」でおなじみですね(この美学のシリーズだけはヴァーチャル教材になっていないのですが、、どこかで撮り直して教材にしたいですね)。
まあそれはともかく「イーリアス」でも駿足のアキレスと言われるほどに足の早いアキレス
が目の前にいる亀に追いつけないというパラドックスがゼノンのパラドックスでした。
ゼノンのロジックはシンプルです。
亀に少しハンディをあげて、1mほど先からスタートさせる。アキレスが亀より1m後ろです。
そこでヨーイドンでスタートして、アキレスは即座に亀が元いた位置に到着します。
しかしそのとき亀はそのわずかな時間でちょっと先へ進んでいます。
もちろんアキレスはその「ちょっと先」にも到着します。しかしそのわずかな時間で亀はまた「もうちょっと先」へ到着します。
この繰り返しです。
この繰り返しが永遠に繰り返され、その試行回数は無限回であるために、無限回にかかる時間は無限の時間ということで、アキレスは亀に追いつけないのです。
*宇宙を支える亀なら、アキレスもさすがに追い抜けないかも。
もちろんこれはパラドックスであり、アキレスは瞬時に亀を追い抜くでしょう。でもこのパラドックスへの反論は2500年間、難しかったのです。
実際にアキレスが亀に追いつくまでを無限級数の和として記述することは可能です。すなわち無限の試行回数があるとみなしても良いのです(ただ一方で追いつくまでの時間も無限の和として計算でき、その結果はもちろん有限です。ですから無限に足していっても有限であることがありうることはオイラーやガウスに言われなくても、当然なので、その時点でパラドックスは解かれているとも言えます)。
このパラドックスはニュートンによって強化されます。
ニュートンの呪いです。
すなわち、ニュートンもまた時間と空間を無限分割できる連続なものと定義しました。
ご承知のとおり微積分学です。
この微積分学の大成功がゼノンのパラドックスをのさばらせる原因となりました(大げさか)。
で、結論から言えば、ニュートンは間違っており、ゼノンの逆理もまた前提が間違っているのです。時間と空間は素朴に考えれば、無限に分割できそうですが、実際は最小単位があるのです。プランク定数で知られる最小単位があります。
ですので、ゼノンの逆理に反論するならば、時間にせよ空間にせよ無限に分割できるという前提が誤りということです。
(いや、そもそもはゼノンは無限分割可能という自然観の批判のために、あのパラドックスを持ち出したのだと思いますが)
ニュートンについても、プリンキピアマテマティカ(数学原理)といみじくも彼が言ったように、数学宇宙の原理なのです。それを物理宇宙に近似してみたというのがニュートン力学であり、実際に良い近似なのですが、前提は誤っているということです。
数学宇宙においては、アキレスは亀に追いつけないかもしれませんし、飛んでいる矢は止まっているかもしれません。
しかし、物理宇宙は連続的ではなく、離散的なのです。飛んでいる矢はある一瞬であっても止まっていないのです。
というか、ある一瞬を定義しようとしたら、プランク秒なので、それは一瞬ではなく、大きさのある時間の最小単位です。そしてそのときの位置は不確定性原理より決定不能です。(正確には時間とエネルギーが相補的ですが、まあ)。位置と運動量も正確には決定できないのです。まあ何が「正確か」は議論があるところですが。不確定性原理によって、もしくは波動方程式によって記述される曖昧な確率論的な記述こそが「正確」です。
まあ、それはさておき、今回のテーマはエントロピーです。
結論から言えば、エントロピーとは無知の尺度であるということです。
ある存在を観測したときに、既知のbitと未知のbitがあり、その未知のbitがエントロピーです。
で、bitとは未知の情報の量(素粒子の運動状態の記述の情報の量)の桁数と考えるとシンプルです。
たとえば千とか万とか書くよりも、1000や10000の方が扱いやすいです。
そして1000や10000よりも、10の3乗や10の4乗のほうが見やすくなります。
千 → 1000 → 10の3乗
万 → 10000 → 10の4乗
そして、この3とか4だけを抜き出したのが、bitのイメージです。
これは十進法ですが、二進法を使うので(binary digit=2進数なので)略してbitです。
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*昨日の寺子屋「シャノン」でもBitをbyte(もといbite)しましたねw
ですので、bitとは桁数だと考えましょう。
たとえば300bitは2進数で300桁あるということです。
そして2進数で300桁あれば、全宇宙の素粒子の数を数え上げられます。
(この桁数の感覚が、マタイ効果や複利効果やサラリーマン巡回問題などで感じられる計算量の爆発、R2-D2問題=フレーム問題とつながっていきます)
で、ポイントはたしかに数学宇宙においては、0と1の間に無限の数があるのかもしれないけれど(実無限などなく、可能無限だけというアリストテレスの立場もあります)、物理的現実世界には最小単位があり、空間も時間も分割できる回数はたかだか有限回なのです。
とすると、一個のリンゴのbitの数も計算可能です。
すべての素粒子の数とその運動量と位置、そしてスピンまでも数え上げても有限です。
僕はこの数え上げられるというセス・ロイドの主張に、イエスの言葉を思い出します。
またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。マタイ10:30
しかしその膨大なbitのうち、我々が知ることができるbitはわずかです。
知ることができるということは、そこからエネルギーを引き出すことができるということです。
我々はリンゴから活力を引き出すことができます。
しかしほとんどのbitは未知です。そしてその未知のbitをエントロピーと言うということです。
宇宙は巨大な量子コンピューターであり、たえず量子同士が衝突しながら計算をしています。
未知のbitは既知のbitを侵食します。これがエントロピーの増大です。
(引用開始)すでに見たように、エントロピーとは、小さすぎてどんなに強力な顕微鏡でも見えない、原子のミクロな振動に属する情報である。風船の中にある一個一個のヘリウム原子は、それぞれ二〇ビットを記録している。だが、個々の原子が風船の中のどこにいてどれだけの速さで動いているかがわからなければ、それらビットがどうなっているかは知りようがない。要するに、見えない情報にほかならないエントロピーは、無知の尺度でもあるのだ。(引用終了)(セス・ロイド『宇宙をプログラムする宇宙』)
これが現代物理学のひとつの結論です。
この結論を支えるのが、宇宙は量子コンピューターであり、量子ゆらぎという猿が叩くコンピューターであるということです。
そして、bitは無限には存在せず、有限であるということです。しかしその有限のbitのうちに我々の意識にのぼるのはわずかであり、残りはエントロピーとして認識されます。
逆向きに言えば、エントロピーとは主観的な尺度なのです。
とすると、マクスウェルのあの言葉が蘇(よみがえ)ってきます。
マクスウェルの魔として知られるある種のインテリジェンス(知性)をパラドックスとして提示したときの手紙の一節です。
おそるべきことにマクスウェルはパラドックスとして熱力学の第二法則を破るような思考実験を問題を提示したばかりか、その解決まで書いているのです。
これを踏まえると、エネルギーの散逸という概念は、我々の知識の程度しだいということになる。取り出せるエネルギーとは、望ましい経路ならどんなものにでも導くことのできるエネルギーだ。散逸したエネルギーとは、手に入れることも、意のままに導くこともできないエネルギーで、たとえば、我々が熱と呼ぶ、分子の混沌とした運動状態がそれにあたる。ところで、この混沌とは、相関名辞と同様、物質自体の属性ではなく、それを認識する心との相関によって規定される。(マクスウェル)
エネルギーの散逸とはエントロピーと読み替えると、そのままセス・ロイドとなります。
エントロピーとは我々の知識の程度次第なのです。
そこからエネルギーを取り出せるか否かは知識によって決まります。
牽強付会でしょうが、比喩として考えると、これをルー・タイスに言わせれば、スコトーマということでしょう。
目の前に解決策があるのに、混沌(エントロピー)として見えるのは、知識の程度次第なのです。
エントロピーは無知の尺度なのです。
未知のbitなのです。そして未知は既知を侵食していきます。
コーヒーとミルクを混ぜると、時間が経てばたつほどエントロピーを増していきます。
ミルクを落とした瞬間を考えれば、ミルクの場所はかなり特定できますが、どんどん未知になっていきます。未知のbitが既知のbitを未知に変えていくのです。

そのエントロピーが増大したものを、ビッグバンに落としたとしたら、、、、ビッグバンはすべてを吸い込む宇宙の巨大な穴(というか高重力の天体)です。光すらも吸い込み、温度は定義上、絶対零度です。
すなわち、ミルクコーヒーはブラックホールに落ちると、そのエントロピーが減少するということになります。
これが再びあらわれたマクスウェルの魔(ブラックホール版)ですw
この本家のマクスウェルの魔と同様に我々の常識を打ち砕くものでした(詳しくは寺子屋「ブラックホールの熱力学」にて)。

*近くの星を容赦なく吸い込むブラックホール
エントロピーや情報という雲をつかむようなものを、なるべく抽象度の高い視点から捉え直すと、スッキリといろいろ整合的に見えてきます。それは楽しい経験です!
是非、その喜びを味わい尽くしましょう!
ちなみに来月は「イエスの聖書学」です!!
3月はイスラームについて寺子屋ではじめて取り扱いますので、同じセム系宗教として楽しんで学んでください!!
【リニューアル寺子屋『イエスの聖書学 〜誰も知らないイエスの素顔〜』】
【日時】 2月27日(火) 19:00~21:00(21:30まで質疑応答!)
【場所】 東京・四ツ谷の「まといのば」のセミナールーム
【受講料】 3万円(銀行振込、もしくはPayPal決済)
【受講資格】 ブログ読者
【持ち物】 筆記用具と熱い情熱
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