「まといのば」では基礎的な知識を補うことを目的として、学習用の講座として「寺子屋シリーズ」というのを開講しています。
基本的に「気功」というのは「概念」で構成されています(概念を支えるのは身体です。身体がない思考、身体がない理論、身体がない論理など存在しません)。その概念を支えるのは知識であり、教養であり、パラダイムです。
ちょっと話がずれますが、先日、医療系の講演の質疑応答でアリストテレスのプシュケーの話をしました。プシュケー論のことを日本語訳で霊魂論などと言いますが、霊魂のイメージは肉体が滅びても残るイメージです。しかし、アリストテレスがプシュケーとして言ったのは「息」です。生物と無生物を分けるのは「息」であるというまっとうな主張です。死体と生体を区別するのは「息」というのはうなづけます。5時半に亡くなった方がいたとして、その方の肉体の物理は5時29分までと5時31分では変わりません(いや、もちろん死亡時刻を厳密に定義できないなどという議論はここではしていません。もし厳密にしたければ、死亡2日前と焼却後の物理を考えてもOKです)。
アリストテレスはシンプルに、死体と生体の違いは息だと言っているのです。ですから、霊魂不滅と言ったらアリストテレスは腰を抜かします。肉体の無い「息」というのは語義矛盾です。チェシャ猫のニヤニヤみたいなものです。実体が消えてニヤニヤが残るとしたらそれは霊魂でしょう。肉体が滅びても続く「呼吸」があるならそれは魂でしょうが、ナンセンスと言えます。
なぜ質疑応答のときにこの話をしたかと言えば、原典に戻ると意外な事実に気付かされるということです。イエスの言葉とキリスト教の教えが異なっていたり、ユークリッド原論とユークリッド幾何学が異なるということは実際にあります(公理はアプリオリとユークリッドは言っておらず、「要請する」としています)。
余談はさておき、本題に戻ります。
繰り返しますが、基本的に「気功」というのは「概念」で構成されています(概念を支えるのは身体です。身体がない思考、身体がない理論、身体がない論理など存在しません)。その概念を支えるのは知識であり、教養であり、パラダイムです。
その知識を補充する場として、「まといのば」では「寺子屋」シリーズを用意しています。
すなわち、たとえばリンゴという概念を理解するには、赤い果物を指し示すだけでは十分ではないということです。リンゴと言えば、数年前に開校した第三期ヒーラー養成スクール(現在、活躍されているヒーラーさんが多くいますね)のレジュメがリンゴを中心とした世界でした。
リンゴと言えば、赤い果物かもしれませんし(青いかもしれませんし)、コンピュータ会社かもしれませんし、音楽レーベルかもしれません。禁断の果実とされた智慧の実かもしれませんし、黄金のリンゴかもしれません(先日の新国立劇場バレエ団のバレエ・リュス ストラヴィンスキー イブニング」の火の鳥はこの黄金のリンゴがテーマでした)。その実が落ちるのを見て、万有引力を観る人もいれば、その表面の曲率に時空の歪みを感じる人もいます。*リンク先と絵画の引用元は共にWikipedia「黄金の林檎」
イワン王子は火の鳥から黄金の林檎を守ります。
(もちろん我々が知っている林檎が食べれるものになったのは近代のことであり、黄金の林檎とはオレンジだそうで)
この(3期ヒーラー養成スクールの)レジュメのことは寺子屋特別編「天才たちのリレー」で少し言及しました。
すなわち、寺子屋特別編の「天才たちのリレー」という講座の進め方がかつての第3期ヒーラー養成スクールときわめて似ていました。以下がそのレジュメです。
点がランダムにあったときに、そこになぜかつながりを観るのが我々の脳の唯一の機能です。
繰り返しになりますが、端的に言えば、概念というのはネットワークの結節点でしかありません。
ある名前が何かを意味しているのではなく、ネットワークの起点であり結節点であるということです。
ちなみにこの名指しと必然性については次の寺子屋「クリプキ」のテーマです。
そのハイライトを紹介します(今回は話が二転三転します。いつものように。生々流転ですね)。
いま寺子屋の受講生たちは必死で読み解いているであろうクリプキの「名指しと必然性」のp.108からの引用です。
(引用開始)
誰か、例えば一人の赤ん坊が生まれたとしよう。その両親は彼をある特定の名前で呼ぶ。両親は、彼のことを友人たちに話す。他の人々が彼に会う。様々な種類の会話を通じて、その名前は結節点から結節点へとあたかも鎖のように広がっていく。この連鎖の末端にいて、市場かどこかでたとえばリチャード・ファインマンにことを聞いた話し手は、たとえ最初に誰からファインマンのことを聞いたのか、あるいはいったい誰からファインマンのことを聞いたのかさえ思い出せないとしても、リチャード・ファインマンを指示することができるだろう。彼は、ファインマンが著名な物理学者であることを知っている。最終的にその人自身に達する一定の伝達経路が、その話し手には実際に届いているのである。だとすれば、たとえファインマンを一意的に同定できないとしても、彼はファインマンを指示しているのである。
(引用終了)
ある名前を一意的に同定しようとして失敗する長い旅の終わりに、この一節を読むと砂漠でオアシスにふいに出会ったような感動を覚えます。すなわち、我々の思考が倒立しており、名指しは名指しであり、定義でも「一意的な同定」でもないということが分かります。
ここでファインマンが出てくることに我々は奇妙な懐かしさと感慨を覚えるでしょう。ファインマン先生にはたいそうお世話になっているからです。しかしそれだけにとどまらずアレクサンダー大王の家庭教師としてのアリストテレスは出てきますし、もちろんソクラテスも、プラトンも、モーセやヨナまで。もちろんアインシュタインも、ゲーデルも出てきます(ペアノの公理をつくってないペアノも)。天才たちのオンパレードです(天才たちのリレーです)。
この名指しは、サマリア人の喩えにおいて、律法学者が「隣人とは誰のことですか」と定義を聞いたのに対して、定義を超えよと言ったイエスをほんのりと思い出します。
話を戻しまして、両親によってつけられた特定の名前だけではなく、名前、もしくは概念というのは、膨大な意味の網の目の結節点でしかありません。リンゴを知るには、リンゴという言葉と赤い実を点と点で結ぶだけでは不十分です。それはスタートラインであり、そこから膨大な意味の世界(概念の世界)へ旅立つ必要があります。
そのささやかな手伝いが「まといのば」の寺子屋シリーズです。基礎的な知識を着実に身に付けつつ、巨大なゲシュタルトを次々と立ち上げていきます。そして普段はあまり顧みられない原典にこだわって紹介し、偉人や天才たちの肉声にも触れたいと考えています。我々はニュートンについて新しい印象を持ち、アインシュタインについて新しい印象を持ちます。偶像や虚像ではなく、彼らの生身の生に触れることが、生身の我々にとっては大きな糧となります。
寺子屋シリーズは遠方の方にも人気のある講座です。
そのため来れない場合のために、ヴァーチャル受講というシステムを用意しています。
セミナー会場でリアルに受講するリアル受講に対して、後日送られるレジュメと編集済の音声教材によって学習するヴァーチャル受講があります(ちなみにリアル受講した受講生も希望者は同じものが渡されます)。
音声教材はかなり細かに編集されています。ワークの時間や質疑応答の間の沈黙などは細かにカットしています。講師の息継ぎの間まで削除することがあります。臨場感はもしかしたら失われるのかもしれませんが、この教材は繰り返し聞くことを想定しているので(ライブ感ではなく)、生き生きとしたセミナー会場の空気を削減しても、学びやすいようにデザインしています(少なくともそのつもりで編集しています)。
繰り返し学習するためのデザインとしては、まずはレジュメがあります。参照資料やまとめを整理したレジュメをセミナー会場で受け取るだけはなく、受講生はだれでもPDFの形式でもいつでもダウンロード可能です(自分が受講していない講座でもレジュメは手に入ります)。
また、板書写真があります。板書写真も当初はセミナー当日の板書をそのままアップロードしていましたが、あまりに芸術的すぎる書と画ゆえにだれも読解できない可能性があるとして(セミナーならしゃべりながら書きますし、なんとか気圧されて読解するのですが、また分からなければ聞けばいいです)、途中からすべて書き直しています(とは言え、まだ書いていない板書がたくさんあります。昨晩「はじめての光学」の板書を書き終えて公開しましたので、受講生の皆様におかれましては、ぜひダウンロードして復習してみてください。12月はこの続きからスタートしますので)。
寺子屋のシステムはちょっと複雑なのですが、核となるのはセミナーのリアル受講です。そのセミナー音声が編集を経て、ヴァーチャル受講生に配信されます。リアル受講生も希望される方には配信されます。これはダウンロードサイトを利用しており、MP3とWavのどちらでもダウンロード可能です。
またセミナーでお配りしているレジュメはそのままPDFにして、寺子屋のサイトにアップロードしてありますので、これも各自でいつでもダウンロード可能です。同様に寺子屋セミナーの板書写真も同じくサイトにアップロードされています。ダウンロードの際はZip形式で落とせます。
寺子屋のお知らせなどは基本的には、メーリングリストを使用するか、受講生に直接メールがスタッフから届きます。ただメールは不着や迷惑メールフォルダに入ることなどがありますので(ですので、音声教材に関してはダウンロードが終了されたらスタッフに連絡をお願いしています)、ブログなどでも告知はします。
音声教材はヴァーチャル受講以外にも、バックナンバーとしても販売しています。ちなみに聞かれたことはありませんが、ヴァーチャル受講とバックナンバーでの受講の違いはありません(^^)
シンプルに言えば、寺子屋は
・リアル受講
・音声教材(ヴァーチャル受講、バックナンバー、リアル受講者も希望者には配信)
・板書写真
で構成されています、ということです。
ヴァーチャル受講が多い方向けに集中講座として、まとめて土日に一気に復習講座を開催します。これまで夏季と秋季を開催しました(次は冬季ですね。2月あたりか...)。
セミナーの文字起こしの配布や以前配布していた講座のまとめなども復活させたいとは思っています。
かなり凝縮されていますし、自画自賛で恐縮ですが噛めば噛むほど美味しい講座だとは思いますので活用してください。
ちなみに質問もメーリングリストでも、直接でも受け付けています。
というわけで、引き続き寺子屋シリーズで学んでいきましょう!
次回はクリプキです!
*写真の引用元とリンク先はWikipedia「クリプキ」
寺子屋詳細はこちら。
【書籍紹介】
名指しと必然性―様相の形而上学と心身問題/産業図書
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アリストテレス全集〈第6巻〉霊魂論・自然学小論集・気息について (1968年)/岩波書店
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アリストテレス 心とは何か (講談社学術文庫)/講談社
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寺子屋という講座の奇妙なシステムについて 〜リンゴの味はかじってみないと分からない〜
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