手を上にしてアンオーの位置にしたとしても、手の平が天井を向いていたらそれは、日本舞踊であり、バレエのような洋舞ではありません。
バリ舞踊は手の動きが独特で(目の動きも独特で)、フラメンコも手の動きは独特です。
身体の動きは中央から始まり(たとえば丹田であったり、たとえば腹横筋であったり、股関節であったり)、それが全身に広がるのが良いとされます。
アウターマッスルではなく、インナーマッスルを使いましょうとか、外側を固めて使わないなどと言います。
しかし逆転の発想をしてみましょう。
もし、手が全身の動きを司っているとしたら?
アンオーの手が内を向くか外を向くかで実は身体自体が大きく変わるとしたら?
手の表現や指先が大きく身体に影響を与えるいう逆転の発想はもしかしたら面白いかもしれません。
(従来の概念で言えば、漫画『寄生獣』のミギーとか、映画アダムスファミリーの「Hand」などでたとえてきました。手が独立した生命体のように動き出すイメージです)
たとえば、グランワルツを踊る時に、手の動きだけを意識してみましょう。
いや、もっと丁寧にやるのであれば、グランワルツのイメージ・トレーニングをするときに、一秒ごとにコマ送りするようにゆっくりと動きを確認しながら、いま自分の手はどんな状態かをモニターしてみます。
するとポッカリと意識が抜けている瞬間が必ずあります。それが弱点であり、気が抜けた瞬間です。
意識は連続しているところだけを記憶するので、途中に抜けたとしても自分自身では気づけません。だからこそ、超スローモーションにして再現することで手の動きの抜けが発見でき、そして弱点が補強できます。
ザンレールを回れないときは、ゆっくりと五番スッスッからプリエしてジャンプするときのアームスの動きをものすごく丁寧に確認してみましょう。するとたとえばプリエの瞬間や、プリエからジャンプへ切り替える瞬間などに手から意識が消えるのが分かります。
もっとシンプルでもっと重要なところで言えば、バーレッスンです。
バーレッスンを漫然とやるのではなく、手の動き、手の表現が途切れないように、バーレッスンを踊りきってみましょう。
ビデオなどを撮ったり、誰かに見てもらうと、あまりにおざなりになる瞬間が多いの驚かされます。
特にバレエはテクニック重視なところが多分にあり、心を殺しても(心をなくしても)テクニックができれば良いというところがあります(逆に心が無いほうがテクニックはつきやすかったりするので)(心を無くすというのは、心を動かさないということです)。
たとえば、心は手に現れます(というと安い自己啓発みたいですが、、)。
ビートたけしさんでしたかが、ダメな役者は演技をするときに、タバコを吸うか、ポケットに手を突っ込むことで、手の演技を省略する、という意味のことをおっしゃっていました。裏返すと、手が雄弁であると言えます。
テクニックはできていても面白くない踊りというのは、手に表情が無いからかもしれません。
もちろんその雄弁な手というのは、手自体が軽薄にヒラヒラと情報量が多いのではなく、手の微妙な表現が身体を操作しているのです。手が身体を支配しているというイメージです。
すると指の使い方が変わってきますし、手の使い方が変わります。
そしてそれは直接身体操作に大きく関わってきます。
手首、労宮、それぞれの指を意識して手を操作し、そのことで身体を操作してみましょう。
たとえば、グランワルツでトンベパ・ド・ブレといくときは、小指が引っ張れるイメージで動いていみましょう。
アンオーにするときは中指で天井を押すイメージで。
ザンレールのときは親指でその上の空気を押し上げるイメージです。
バットマンやアラベスクなどのときは中指が身体全体を引っ張るようなイメージで。
猛烈に動ける身体になるときのささやかなコツが実は自分の手に平の中にあったのかもしれません。
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ゴールが人生を導いてくれるように、手が身体を導いてくれる
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