モーセのように振る舞い(自分のことをモーセと呼ばせたこともあるとかつての愛弟子から告発された)フロイト先生の預言的な神託から離れるべくして生まれたのが、軽薄な行動主義という学問でした。
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「僕に12人の健康な子供を預けてみな。医者でも弁護士でも芸術家でも、いやホームレスにですら思いのままに育て上げてみせる」と行動主義の象徴的な存在であるワトソンは宣(のたま)いました(心理学の歴史については寺子屋「心理学」を参照してください)。
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行動主義はきわめてシンプルな原理からスタートしていて、フロイトやユング先生がわかっているつもりになっていて意識や無意識の世界をブラックボックスにしたことは良かったのですが、その入力と出力だけをリニアに結んで、その関数を推察しようというのは、ブロッコリーを食べると寿命が伸びるというご宣託と同じくらい馬鹿げています。
人間も生命も入力と出力だけで推測できるほど単純な複雑系ではないからです(いや、もちろん極端な事例は別です。青酸カリを致死量摂取させたらほぼ死にますし、13階からコンクリートに突き落としたらほぼ死にます。炭水化物と脂質だけをカロリーオーバーに摂取させたら肥満します)。
複雑系ということを理解し、認知科学を認めていても、我々の頭の中は原始時代と変わらない(失敬、フロイト先生やワトソンと変わらない)ものです。
すなわち、親が子供に影響を与えるという考え方です。
フロイト先生は親が子供に致命的な影響を与える可能性があり、そして実際にそうだと考えます。良い年をした大人が自分がうまくいかないのは親のせいとよく愚痴をこぼします(うまくいくのは自分のおかげですw)。トラウマが、、とか、虐待が、、、というのがそれです。親のせいにして、過去のせいにすれば、自分は責任を免れます。
ただこれは自分に対する呪いです。過去は変えられないので、自分は変わらないという呪いです。
変わる努力を放棄できます。実際は過去も変えられるし、未来も変えられます。
そして過去は自分に影響を及ぼしません(自分が及ぼさない限りは)。
この逆もまたあります。自分が親としての在り方を変えれば、たとえば怒らない、叱らない、怒鳴らない、などによって、子供に価値観を押し付けずに済むという無邪気な考え方です。
非常に強固な信念に基づいた素晴らしい発想ですが(それを科学というFRAGILEなベールで覆ったとしても)、結局はそれはフロイト先生とワトソン先生の二番煎じでしかありません。
たとえば、移民の子はすっかりその土地に馴染みます。
親がロシア語しかしゃべらないのに、子供は流暢な英語で話します。
親の影響はどこにいったのでしょうか?
イギリスの上流階級の男の子は親とほとんど生活しません。
はじめの八年間の大半を乳母や住み込みの家庭教師と過ごし、親は子供に口出ししません。姿すら見せないほどです。8歳になると、全寮制の学校で10年過ごし、そこから巣立つときはイギリス紳士になっています。
では、乳母や家庭教師やイートンやハローの先生の影響を受けているのでしょうか?
乳母や家庭教師は上流階級の人ではありません。先生方の話し方や身のこなしも異なります。
上流階級のアクセントや立ち居振る舞いは父親そのものです。息子の成長にちっともかかわらない父親そのものです。(以上、ジュディス・リッチ・ハリス「The Nurture Assumption: Why Children Turn Out the Way They Do, Revised and Updated (邦題:子育て大誤解)」から)
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By オリジナルのアップロード者は英語版ウィキペディアのKaihsuさん - en.wikipedia からコモンズに移動されました。, CC 表示-継承 3.0, Link
*イートン校チャペル
「まといのば」でも教育ということは重要な課題ですが、最近は自分が教え導くという感覚がいかに傲慢かということを痛切に思い知らされています。
きちんと指導し、アドバイスしても、教えられた側がそれをほぼすべて無視し逆を行くのは親子関係と似ていますw
むしろ天邪鬼なのではと思うほどです(どうでも良いことは良く聞くのですが、肝心なところはすっ飛ばします。そして彼らのクライアントさんからの苦情がなぜか僕のところに来ます)。
「『まといのば』の先生を信頼するからこそ、そのお弟子さんのところに学びにいったのに、こんなことになりました」という苦情です。
なんで「不肖の弟子」の後始末を僕がやらなければいけないのかいつも理解に苦しみます(いや、それでもしますけど)。それに彼ら「不肖の弟子」は典型的に「やるな」ということをやっていることが多いのに。
いや、それに信頼するなら直接「まといのば」に学びに来ればいいのに、、、とは言えませんが、、、。
「まといのば」は敷居が高いとか、「まといのば」に行って変なことを言うと罵倒されるとか、「まといのば」は怖いとか、いろいろと言われますが(全部本当なのでしょうが)、でも何かを学ぶというのはカウチポテトでワイドショーを見るのとは違うのです。その程度の覚悟ないのであれば、そこにWant toは無いと思って、さっさと他の趣味を見つけたらどうでしょう?
それでも学びたいのであれば、死地に赴く覚悟で楽しんで来てください。
ですから、これからは受講生に対してはDon't Listではなく、むしろやってはいけないことリストを「やれ」と言ったほうが、良いのではないかと思っていますw(一応、書きますが冗談です)。
ちなみに受講生の皆さんには開業にあたって、「パクリをせよ」とアドバイスします。
積極的にパクリをせよ、たとえば「まといのば」の古いブログなどをパクってリライトしろと言います。「まといのば」の気功をビジネスにするのであれば、「まといのば」をパクるのが早いので。
しかし、コピペしろとは言っていません。
かつてあるヒーラーは、「まといのば」のブログに寄せられたフィードバックを自分のフィードバックとして使いたいと僕に頼んできました。当然ながらお断りしました。そのフィードバックの著作権は著作者にあり、そもそも僕が許可を出せる類のものではありません。それにいわば虚偽の片棒をかつぐのはゴメンです。依頼する神経も疑います。
ちなみにそのヒーラーさんはそのちょっと前にも「まといのば」のスクールの告知文をそのままコピペして、スクール名だけ変えてメルマガに流して告知をしたりしました。
その件は不問に付したものの、すぐあとにフィードバックのパクリの依頼が来たときに、さすがに怒り心頭で出禁としました。
(ちなみにこれはその方が頭がおかしいのではなく、非常に良くあることです。そういう業界なのです)
パクリとコピペの違いが分からないのであれば、ヒーラーを廃業して、他の仕事へどうぞ。
頭を使わないで仕事をしたければ、Basic Incomeを期待するか、福祉政策に頼りましょう。
コピペをすることは頭を使うとは言いませんし、経験していないことをあたかも経験したかのように語ったり、考え続けていないことを、さも考え続けているかのように語るのは、さすがにすぐに馬脚をあらわします。というか、そういうことを平気でする方々は、自分の受講生を欺(あざむ)きすぎですし、なめすぎです。
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抽象度の階層性があると言っても、臭いというのはあるのです。違和感と言っても良いのですが。
その腐臭は抽象度の下の階層からでも臭うのです。その腐臭に気付かないのは自分だけです。
周りや受講生から、こいつはなんかおかしいと思われたら、いまのバブルは弾けます。
バブルすら来ていない人は、他の職へどうぞ(まだ始めてすらいない人は誠実にがんばってください)。
気功は誰でもできる仕事ですが、最低限の知能指数は必要です。勘違いした猿には荷が重いのです。
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*僕自身は「大いなる勘違いをした猿」として頑張ります。
【書籍紹介】
以前に紹介したのはこちら。
格差の世界経済史/日経BP社
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下のジュディス・リッチ・ハリスの原書がこちら。
The Nurture Assumption: Why Children Turn Out t.../Free Press
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¥2,160
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このジュディス・リッチ・ハリスの研究は橘玲さんが紹介していました。
言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)/新潮社
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そして邦訳です。
この冒頭部分をパクって本稿は書きました!
子育ての大誤解〔新版〕上――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)/早川書房
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子育ての大誤解〔新版〕下――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)/早川書房
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「僕に12人の健康な子供を預けてみな。医者でも弁護士でも芸術家でも、いやホームレスにですら思いのままに育て上げてみせる」と行動主義の象徴的な存在であるワトソンは宣(のたま)いました(心理学の歴史については寺子屋「心理学」を参照してください)。

行動主義はきわめてシンプルな原理からスタートしていて、フロイトやユング先生がわかっているつもりになっていて意識や無意識の世界をブラックボックスにしたことは良かったのですが、その入力と出力だけをリニアに結んで、その関数を推察しようというのは、ブロッコリーを食べると寿命が伸びるというご宣託と同じくらい馬鹿げています。
人間も生命も入力と出力だけで推測できるほど単純な複雑系ではないからです(いや、もちろん極端な事例は別です。青酸カリを致死量摂取させたらほぼ死にますし、13階からコンクリートに突き落としたらほぼ死にます。炭水化物と脂質だけをカロリーオーバーに摂取させたら肥満します)。
複雑系ということを理解し、認知科学を認めていても、我々の頭の中は原始時代と変わらない(失敬、フロイト先生やワトソンと変わらない)ものです。
すなわち、親が子供に影響を与えるという考え方です。
フロイト先生は親が子供に致命的な影響を与える可能性があり、そして実際にそうだと考えます。良い年をした大人が自分がうまくいかないのは親のせいとよく愚痴をこぼします(うまくいくのは自分のおかげですw)。トラウマが、、とか、虐待が、、、というのがそれです。親のせいにして、過去のせいにすれば、自分は責任を免れます。
ただこれは自分に対する呪いです。過去は変えられないので、自分は変わらないという呪いです。
変わる努力を放棄できます。実際は過去も変えられるし、未来も変えられます。
そして過去は自分に影響を及ぼしません(自分が及ぼさない限りは)。
この逆もまたあります。自分が親としての在り方を変えれば、たとえば怒らない、叱らない、怒鳴らない、などによって、子供に価値観を押し付けずに済むという無邪気な考え方です。
非常に強固な信念に基づいた素晴らしい発想ですが(それを科学というFRAGILEなベールで覆ったとしても)、結局はそれはフロイト先生とワトソン先生の二番煎じでしかありません。
たとえば、移民の子はすっかりその土地に馴染みます。
親がロシア語しかしゃべらないのに、子供は流暢な英語で話します。
親の影響はどこにいったのでしょうか?
イギリスの上流階級の男の子は親とほとんど生活しません。
はじめの八年間の大半を乳母や住み込みの家庭教師と過ごし、親は子供に口出ししません。姿すら見せないほどです。8歳になると、全寮制の学校で10年過ごし、そこから巣立つときはイギリス紳士になっています。
では、乳母や家庭教師やイートンやハローの先生の影響を受けているのでしょうか?
乳母や家庭教師は上流階級の人ではありません。先生方の話し方や身のこなしも異なります。
上流階級のアクセントや立ち居振る舞いは父親そのものです。息子の成長にちっともかかわらない父親そのものです。(以上、ジュディス・リッチ・ハリス「The Nurture Assumption: Why Children Turn Out the Way They Do, Revised and Updated (邦題:子育て大誤解)」から)

By オリジナルのアップロード者は英語版ウィキペディアのKaihsuさん - en.wikipedia からコモンズに移動されました。, CC 表示-継承 3.0, Link
*イートン校チャペル
「まといのば」でも教育ということは重要な課題ですが、最近は自分が教え導くという感覚がいかに傲慢かということを痛切に思い知らされています。
きちんと指導し、アドバイスしても、教えられた側がそれをほぼすべて無視し逆を行くのは親子関係と似ていますw
むしろ天邪鬼なのではと思うほどです(どうでも良いことは良く聞くのですが、肝心なところはすっ飛ばします。そして彼らのクライアントさんからの苦情がなぜか僕のところに来ます)。
「『まといのば』の先生を信頼するからこそ、そのお弟子さんのところに学びにいったのに、こんなことになりました」という苦情です。
なんで「不肖の弟子」の後始末を僕がやらなければいけないのかいつも理解に苦しみます(いや、それでもしますけど)。それに彼ら「不肖の弟子」は典型的に「やるな」ということをやっていることが多いのに。
いや、それに信頼するなら直接「まといのば」に学びに来ればいいのに、、、とは言えませんが、、、。
「まといのば」は敷居が高いとか、「まといのば」に行って変なことを言うと罵倒されるとか、「まといのば」は怖いとか、いろいろと言われますが(全部本当なのでしょうが)、でも何かを学ぶというのはカウチポテトでワイドショーを見るのとは違うのです。その程度の覚悟ないのであれば、そこにWant toは無いと思って、さっさと他の趣味を見つけたらどうでしょう?
それでも学びたいのであれば、死地に赴く覚悟で楽しんで来てください。
ですから、これからは受講生に対してはDon't Listではなく、むしろやってはいけないことリストを「やれ」と言ったほうが、良いのではないかと思っていますw(一応、書きますが冗談です)。
ちなみに受講生の皆さんには開業にあたって、「パクリをせよ」とアドバイスします。
積極的にパクリをせよ、たとえば「まといのば」の古いブログなどをパクってリライトしろと言います。「まといのば」の気功をビジネスにするのであれば、「まといのば」をパクるのが早いので。
しかし、コピペしろとは言っていません。
かつてあるヒーラーは、「まといのば」のブログに寄せられたフィードバックを自分のフィードバックとして使いたいと僕に頼んできました。当然ながらお断りしました。そのフィードバックの著作権は著作者にあり、そもそも僕が許可を出せる類のものではありません。それにいわば虚偽の片棒をかつぐのはゴメンです。依頼する神経も疑います。
ちなみにそのヒーラーさんはそのちょっと前にも「まといのば」のスクールの告知文をそのままコピペして、スクール名だけ変えてメルマガに流して告知をしたりしました。
その件は不問に付したものの、すぐあとにフィードバックのパクリの依頼が来たときに、さすがに怒り心頭で出禁としました。
(ちなみにこれはその方が頭がおかしいのではなく、非常に良くあることです。そういう業界なのです)
パクリとコピペの違いが分からないのであれば、ヒーラーを廃業して、他の仕事へどうぞ。
頭を使わないで仕事をしたければ、Basic Incomeを期待するか、福祉政策に頼りましょう。
コピペをすることは頭を使うとは言いませんし、経験していないことをあたかも経験したかのように語ったり、考え続けていないことを、さも考え続けているかのように語るのは、さすがにすぐに馬脚をあらわします。というか、そういうことを平気でする方々は、自分の受講生を欺(あざむ)きすぎですし、なめすぎです。

抽象度の階層性があると言っても、臭いというのはあるのです。違和感と言っても良いのですが。
その腐臭は抽象度の下の階層からでも臭うのです。その腐臭に気付かないのは自分だけです。
周りや受講生から、こいつはなんかおかしいと思われたら、いまのバブルは弾けます。
バブルすら来ていない人は、他の職へどうぞ(まだ始めてすらいない人は誠実にがんばってください)。
気功は誰でもできる仕事ですが、最低限の知能指数は必要です。勘違いした猿には荷が重いのです。

*僕自身は「大いなる勘違いをした猿」として頑張ります。
【書籍紹介】
以前に紹介したのはこちら。
格差の世界経済史/日経BP社

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下のジュディス・リッチ・ハリスの原書がこちら。
The Nurture Assumption: Why Children Turn Out t.../Free Press

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このジュディス・リッチ・ハリスの研究は橘玲さんが紹介していました。
言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)/新潮社

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そして邦訳です。
この冒頭部分をパクって本稿は書きました!
子育ての大誤解〔新版〕上――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)/早川書房

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子育ての大誤解〔新版〕下――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)/早川書房

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