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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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向いてないなら 仕方ない ようやく出来る程度では 無駄に死ぬだけ きっと夢も努力も徒労に終わる

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以前も紹介したことのあるミカサ・アッカーマンの名言が



向いてないなら 仕方ない ようやく出来る程度では 無駄に死ぬだけ きっと夢も努力も徒労に終わる

です。



気功もバレエもきっとそうなのだと思います(・_・;)

向いていないなら仕方ない」のです。


向いているか否かはできるかどうかということもありますが、どれだけ情熱を注げるかにもかかっていると思います。下手くそでも情熱を尋常ではない量注ぎ続けると、不思議なもので量は質に転化します。

そういう人は「どれくらいやれば習得できますか?」とか聞きません。やれるまでやるからです。
むしろもっと課題を、もっとプレッシャーを、もっと地獄を見せて欲しいと望みます(マゾなのか?)



子供の頃に読んだ絵本の中に、帽子いっぱいの金貨を褒美にもらうという男の子の話がありました。
この主人公の男の子は機転を効かせては危機を脱出するのですが、最後の最後もまた智慧を働かせます。

帽子に金貨を入れても入れても、帽子はいっぱいになりません。それもそのはずで、帽子には穴が空いていて、その穴から地面に深く掘られた穴に金貨は落ちていくからです。

才能もこの穴の空いた帽子のようなものかと思います。

情熱も時間もお金も全て放り込んでも、いつまでたってもいっぱいにならず、それどころかブラックホールのように引力を増しながら、全てを吸い込んでいくものです。





件(くだん)の「向いていないなら仕方がない」と言われたエレンですが、実際は能力が無いのではなく、そもそも機械が故障していたのです。
ですから、無理ゲーを無理矢理クリアしなくてはいけないというまさに無理ゲー状態だったのです。


僕はふとモーツアルトやピカソのことを思い出しました。
どちらもお父さんが同業であり、英才教育を幼いころから施されています(たとえばマイケル・ジャクソンやタイガー・ウッズなどもそうですね)。




英才教育というのは一種の虐待に近いものかと思います(語弊がありますが)。

虐待は生き残った人にとっては、虐待自体が良い訓練として機能するのではないかと思います(きっとタレブに怒られるのでしょうが)。



社会は基本的に不条理ですし、自然はもっと不条理なものです。

社会も自然も自分のために存在するのではなく、ただのシステムです。システムですから圧殺することもあり、理不尽でもあります。

虐待もまた魂をあっさり圧殺しますし、理不尽です。しかし早い時期に社会や世界はそういうものと知っていることは大事な気がします。


*この世界は残酷だ


ガンジーは

死ぬ覚悟ができていれば、人は自由に生きられる

と言いましたが、虐待によって死ぬと覚悟した人も、死のうと思い詰めた人も、そこからもし生還するならば、きっと自由に生きられる可能性が出てきます(そんな簡単なことではないという批判は甘受しますが)。





虐待を肯定する気はもちろんありませんが、虐待された事実を否定する必要もないと思います。

虐待によって心が折れ続けた経験こそが、もしかしたらタレブの言うantiflagile(反脆さ)につながる可能性があります。



昨日のリニューアル版寺子屋「数論」で数学的思考という話が出ました。

数学的思考というと論理性とか計算のようなイメージがありますが、実際は翻訳能力だと僕は思います。言い換えや書き換えの能力です。

ある課題を適切に言い換えられるかという能力です。
適切にできれば、問題はほとんど解かれたも同じなのです。





たとえば「素数は有限なのか、無限なのか?」という疑問を抱いたときに、実際に素数を書き並べても、永遠に近い時間があっても、証明は不可能です。

しかし、「素数は無限である」という命題を適切に言い換えることができれば、魔法のように証明が可能なスケールに縮小させられるのです。ウィリアム・ブレイクのように、無限を手のひらに収められるのです。


素数の無限の証明は、ご承知のように背理法を使います。


素数は無限である



¬ 素数は有限である



もし、素数が有限ならば、最大の素数がある



矛盾が導ける。



背理法より、素数が無限に存在する


「素数が無限である」ことの逆は「素数が有限である」ということです。
素数が有限であるとは、素数の中で最も大きな素数が存在するということになります。

この「無限の素数」→「有限の素数」→「最大の素数」という手品のような言い換えこそが数学的思考の最も重要なポイントです。

背理法の肝はシンプルで、有限の素数の全ての積に1を足すと、どの素数でも割り切れないもっと巨大な素数が誕生してしまうというものです。

無限をあっさりと処理してしまう古代ギリシャ人の手並みは見事です。



虐待された子は地獄のような環境を回避しようとして、別な人格をつくったり、上手に嘘をついたり、相手の心読むのが上手になったりしますが、それもまた状況に対する書き換えとして機能します。

頭の良さとか、問題解決能力とはこの書き換え能力(翻訳能力)です。問題に真正面から向かわず(いやそれで解決できるなら、それに越したことはないのですが)、裏からや搦手から攻撃することで、ランダムに攻撃を続けているうちに糸口が見つかり、そして気づいたらクリアできているのです。

数学の歴史も科学の歴史もそういう試行錯誤のランダムウォークの積み重ねです(人生も)。
たっぷりと消毒された教材によるお勉強ではなく、血と汗で贖(あがな)われた本当の歴史を知り、そこに息づく先人の魂を感じることで、我々は少し賢くなります。


自らが死を賭しても学びたい、もしくは実践したいと思う何かを見つけ、そこに情熱も時間も人生も全て放り込むことかと思います。それができることが才能であり、その結果として何かを成し遂げるか否かは副次的なものです。そして打ちひしがれたとしたら、それは良いことであり、絶望も挫折も良いことです。生きているならば立ち上がれますし、人間は(タレブに言わせると)反脆いものですから、涙の数だけ強くなれます(多分)。



*昭和ですね〜
昨日のセミナーでも背理法の歌を紹介したら、平成の諸君は知りませんでした。
そして平成も終わりますしね〜。
過去はどんどん遠くなるばかりです。




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