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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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熱力学の第2法則って何か知ってる?シェイクスピア読んだことある?〜2つの文化とカーンアカデミー〜

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昨日のシークレットなセミナーにおける内容に少し蛇足を付け加えます(あまりにシークレットすぎて、参加者にすらその存在がシークレットなのではと邪推するほどです。一応、冗談です)。

日本で言えば、理系vs文系の対立のようなものです。

パラダイムシフト以前に、全く異なる部族が角突き合わせているのが我々の社会だということです。

片方が科学者からなる集団であり、もう片方が文学的知識人です。

ちなみに、この講演をした御仁は両方を代表するに相応しい方です。

これを深く考えると変な対立構造に巻き込まれますので、気楽に読んでください。
気楽に読んだ上で、我々は両者を架橋しようと考え、ドン・キホーテのごとく蛮勇を持って良しとしましょう。

(引用開始)

私はよく(伝統文化のレベルからいって)教育の高い人たちの会合に出席したが、彼らは科学者の無学について不信を表明するという趣味をたいそうもっていた。どうにもこらえきれなくなった私は、彼らのうち何人が、熱力学の第二法則について説明できるかを訊ねた。答えは冷ややかなものであり、否定的でもあった。私は「あなたはシェークスピアのものを何か読んだことがあるか」というのと同等の科学上の質問をしたわけである。

(引用終了)

寺子屋の講義中でしたら、赤裸々にツッコミを入れるのですが(たとえば、「伝統文化のレベルからいって教育の高い人」という言い方の慇懃無礼さなどに)、ブログではさらっと流しましょう。

ここでポイントになるのは、

熱力学の第二法則について説明できるか?

という質問が、以下の質問と同値ということです。

あなたはシェークスピアのものを何か読んだことがあるか


そして、このどちらかの質問をすることが、まさにリトマス試験紙になるということです(どちらもダメですという方は、とりあえず小学校からやり直しましょう。本当に)。

寺子屋シリーズ受講の皆さんは自信を持って答えてください。いや、しかし当時もそうでしょうが、今も本気で熱力学なり統計力学を考えるとエントロピーというのは複雑怪奇です。鵺のようで。
もちろんスノー卿が聞いているのはもっとシンプルな教科書的な回答しょう。


スノーの言う「二つの文化」とは、科学者側か文化的知識人かのどちらかの文化ということです。

ちなみに、大半の人は文化的知識人に含まれます(いや、厳密には大半の人は...)。

サー・チャールズはその点は百も承知で、前述の文章に続けてこう書きます。

(引用開始)

 もっと簡単な質問「質量、加速度とは何か」(これは「君は読むことができるか」というのとの科学的に同等である)をしたら、その教養の高い人びとの十人中の幾人かは私が彼らと同じことばを語っていると感じただろうと、現在、思っている。このように現代の物理学の偉大な体系は進んでいて、西欧のもっとも賢明な人びとの多くは物理学にたいしていわば新石器時代の祖先なみの洞察しかもっていないのである

(引用終了)

僕は自身が毒舌かもと少し反省したりしていましたが、「新石器時代の祖先なみの洞察」と並居る聴衆(それも超のつくエリートを)切って捨てるスノー卿にははるかに及びません。

ちなみにこれは1959年のことです。ケンブリッジ大の公式行事である年一回のリード講演の一節です。

サー・チャールズもしくはスノー卿は、C・P・スノーとして科学の世界でも知られた人です。
かつての科学の専門家、官庁や民間企業で上級管理職をつとめ、小説家として成功し、高名な評論家でもあり、偉人で名士です。そしてケンブリッジ大のリード講演における発言です。

これ以上ない役者と舞台での大見得です。

だからこそ、人口に膾炙し、今に至るまで大きな議論が続いています。

この講演はこう終わっています。

(引用開始)

いまこそ、われわれが行動を起こすべき時ではなかろうか。危険なのは、われわれがこの世界でありあまる時間をもっているかのように考える教育を受けてきたことである。われわれに残された時間はひどく少いのだ。それであればこそ、私はいい加減なことをいっていられないのである。

(引用終了)

ありあまる時間をもっているかのように考える教育」というのが何を指すのか分かりませんし、僕自身はありあまる時間を持っているかのように考えた経験がないのですが、そのようなアルゴリズムが存在すると考えると、多くの人の教育・勉強に対する姿勢の積年の課題が氷解します。

まあ、それはともかく。

セミナーで指摘したのは、この2つの文化という巨大なパラダイムギャップが存在するということ、

もうひとつはこちらです。

ちなみにこの考察は講演から4年後に書かれたもので、4年間の論争を踏まえたものです。
当然ながら、講演に対して多くの批判と称賛があったようです。

(引用開始)

私は多くの批判を尊敬するが、他の議論の場合に私が課してきた従来のおきてに従って、個々の批判には答えなかった。特別な点についての直接討論にかかりあっていることは、それをしている人の心をそれだけに閉じこめてしまうようである。討論は思考することより遥かに心理的な満足を与えるものであるが、我々が真理に近づく機会を奪い取るものである。

(引用終了)

「討論は思考することより遥かに心理的な満足を与える」というのが白眉です。

思考はかなりハードなワークです。討論は思考に比べたら、何もしていないに等しいと言えます(そうでないようなディベートや、ブレーンストーミングは別として)。

そして、討論は何事かをなしたという満足感を与えます。



また、スノー卿は無理解すぎる批評家にたいして、こうつぶやきます。

(引用開始)

ここにいたっては、私もガッカリし、シラーの言葉をつぶやいて、それに助けを求めるより他はない。

(引用終了)

シラーの言葉とは戯曲「オルレアンの少女」第三場六幕のタルボットのセリフです。
オルレアンの少女とはジャンヌ・ダルクとして知られた少女です。

神々でさえ愚者を相手にしていたら勝ち目はない

"Mit der Dummheit kämpfen Götter selbst vergebens." - Die Jungfrau von Orleans, Talbot 

(ドイツ語はWikiquoteより)

これから、面倒な厄介事に巻き込まれたら、僕らもこう言いましょう。

シラーの言葉をつぶやいて、それに助けを求めるより他はない。

と。

「新石器時代の祖先なみの洞察」などと言うよりは、ソフィスティケートされていると思います。

ましてや、「シェークスピアのものを何か読んでいますか?」「熱力学の第二法則について説明出来ますか?」などと聞いては、新石器時代の祖先なみの洞察によって爪弾きにされます。

隠れて生きましょう。


ちなみに原文はこちら

(引用開始)

A good many times I have been present at gatherings of people who, by the standards of the traditional culture, are thought highly educated and who have with considerable gusto been expressing their incredulity at the illiteracy of scientists. Once or twice I have been provoked and have asked the company how many of them could describe the Second Law of Thermodynamics. The response was cold: it was also negative. Yet I was asking something which is the scientific equivalent of: Have you read a work of Shakespeare's?

I now believe that if I had asked an even simpler question — such as, What do you mean by mass, or acceleration, which is the scientific equivalent of saying, Can you read? — not more than one in ten of the highly educated would have felt that I was speaking the same language. So the great edifice of modern physics goes up, and the majority of the cleverest people in the western world have about as much insight into it as their neolithic ancestors would have had.


(引用終了)

リード講演はこちらで。
$気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ


蛇足ながら、この議論はもともとはクーンやポランニーで扱った寺子屋シリーズのパラダイム論で科学革命の一つとして取り上げる予定でした(元々の講演のタイトルは“The Two Cultures and the Scientific Revolution.”書籍にしたときに前半の二つの文化だけになりました)。そしてこのスノー卿の核心は二つの文化でも科学革命でもなく、教育です。
教育を変えなければいけないという使命感です。


で、教育と言えば、カーン。



寺子屋シリーズでははじめてヴァーチャル受講という試みをしています(これまでと言えば、非常に稀にですが、一部のベテランさんのみがこのシステムを採用していました)。

ヴァーチャル受講とは端的に言えば、当日講座に参加できないが、どうしても講座を受講したいという方のために、後日音声教材を届けるシステムです(もちろんレジュメや板書写真なども)。ヴァーチャルで受講するシステムです。

このときのイメージが、このカーンアカデミーです。
カーンアカデミーは単なるビデオ教材以上のものがあります。
一見すると単なる安いビデオ教材ですが(安いというかFreeです)、後ろに走るアルゴリズムが全く異なります。

いくつものパラダイム・シフトがあるのですが、僕にとって大きかった一つには、オリジナルよりコピーのほうがはるかに良い教師として機能しうるというカーンの指摘でした(該当箇所を探しているのですが、探すと見つからないものです)。
ビデオはリアルの受講を代替するのではなく、リアルを補完しより強化されたものとして認識されているということです。

(引用開始)


 教室であれ電話の向こうであれ、三〇人のクラスであれ一対一の家庭教師であれ、教師の存在は生徒の思考停止をもたらすことがあるーーそう認めざるえませんでした。教師の立場から言えば「助けてやりたい」のですが、生徒の立場から言えば、なにがしかの対立関係を避けるのは(不可能とは言わないまでも)困難です。問いが発せられると、即答が期待され、それがプレッシャーを生みます。生徒は先生を失望させたくありません。判決を下されるのが怖い。そんなこんなで、目の前の問題に一〇〇パーセント集中できなくなる。さらに、自分が何を理解し、何を理解していないのかを伝えるのも恥ずかしい。


(引用終了)

僕自身は教育はマンツーマン以外ありえないという立場でした。直接にリアルに会って、場を共有しない限りは伝わらないという原理主義者でした。

しかし、カーンを見て、それは違うのではないかと思いました。

リアルで会うのではなくても、例えばこうしてブログを読んで、真摯に学んでくれる方もおり、多くのスクール生はスクールで録音した音声を繰り返し聞いていると言います。とすると、僕は頑迷にセミナーの録音教材を否定することはないのかもしれないというのが、最近の大きな回心です(あ、受講生がセミナーを録音するのは以前から許可しています)。

たしかに僕自身、書籍は繰り返し読みます(当たり前ですが)。

ヴァーチャルに繰り返されるほうが、リアルで一度きりよりも学びが深いかもしれません(厳密にはカーンの言うようにきちんと棲み分ければ良いのです。ヴァーチャルにはヴァーチャルの、リアルにはリアルの意味があります。カーンはそれを「教室をひっくり返す」と表現していました。いまがひっくり返っているので本来の状態に戻すということだと僕は認識しています)。

ちなみに、カーンのTEDレクチャーの最後に出てくるのがこのおじさんというのがステキです(実際のカーンとゲイツの出会いはもっと感動的です。書籍をぜひご覧ください)。

以下はビル・ゲイツの2007年のハーバード大講演。Jobsのスタンフォード大講演も素晴らしいですが、ゲイツのこちらも素晴らしいと思います。本気で世界を変えたいと思っている人が本気で行動している凄みを感じます。最初のジョークも冴えています。




【書籍紹介】

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