「猛烈に頭が良くなりたいっ!!」と思うことはよくあります。
ずっと悩んでいたり、考えていたりしても、なかなか解答が見つからない、、、、でも、先生や人生の先輩に尋ねると秒殺で答えてくれる、、、。
畏敬の念を覚え、リスペクトするも、自分もそんな風になりたいと憧れることってよく有ります。
バレエで言えば、超絶技巧と呼ばれるようなテクニックがあっさりとできる先輩や先生方に憧れるものです。どうやっても不可能と思えるようなことをあっさりとできるのはやはりスゴイのです。
余談ながら、僕はピルエットというか、その前提であるパッセバランス(ルティレバランス)すらも人間には不可能だと思っていました(正確には自分には無理ってことなのですが、自分を抽象化して「人間全般」に拡大するのが、若さゆえの傲慢さですw)。
そもそも片脚で立つことも無茶なら、ルルベというつま先立ちで、アームスも背筋も脚もすべて指定されたカタチで止まるなんていうのは、人間という動物には不可能だと思っていました。
むしろものすごい少ない確率でランダムに一瞬静止できるかもしれないけど、それだけだと考えていました。
物理学的に考えて、あのバランスというのはさすがに無茶だし、レッスンでそのパが出てきたら、毎回ギャンブルとして、賭けでルルベアップするしかないと思っていました(ピルエットもギャンブルになる人は多いです)。うまく行けばOKだし、大数の法則に従えばほとんどの場合に必ずバランスを崩すと、、、、そんな風に考えていましたOrz
その視点からすると、、、人体構造学的に物理学的にありえないことをバレエという種目はしているということになりますw
いま考えるとお笑い草ですが、当時は大真面目でした。
(でも、、、物理学的に人体構造学的にきちんと説明できる人って多くないと思います( ̄ー ̄)ニヤリ)
まあ、それはともかくバレエのパはどれも普通の人間の感覚からするとスゴイことばかりです。かなり異常です。
学問も同じです。
数学の教科書は難しく、科学の本も難解です。
哲学書などは難解の上に難解です。
理解するなんて、夢のまた夢と感じますし、数学にせよ科学にせよ、当の数学者や科学者にすら自分の専門以外は意味不明と言われるのに、自分が理解できることなどないと思いがちです。
いや、もちろん全てを完璧に理解することなどできません。
でも、わずかずつでも学ぶことはできるのです。
ゼロとイチは明らかに違うのです。
ゼロはどこまでもゼロですが、よちよち歩きでもイチであれば、それは発展性を持ちます。
微分積分は現代において非常に重要な核となる概念ですが、多くの人がきちんと学んでいません(文科省の課題です)。もしくは、よしんば学んだとしても、それは過ぎ去った過去の苦い思い出でしかありません。
しかし、微分積分は学校とは違う方法で学べば簡単なのです。大人の「寺子屋」で学べば簡単なのです。
社会で揉まれてきて、成熟した脳を持った大人が学ぶなら、裏道があり、抜け道があります。
(逆に子供にとっては、高度に抽象化された数学を学ぶのは大変なのです。たとえば小学生に微分積分はその意味では教えるべきではありません。ただの猿真似になるからです。脳の発達と学ぶことの抽象度は揃えるべきです。子供の時にしかできない学習は多くあります。それを優先すべきなのです)。
*オイラーの等式という古典数学のひとつの頂点、このひとつのカタルシスに至る前に寸止めされるのが、我々が学ぶ高等数学という計算ドリルの大きな問題です。
オイラーの等式はネイピア数のe, 虚数のi,円周率のπという大横綱が土俵入りします。そこに1とゼロという乗法と加法のそれぞれの単位元までもが揃い踏みです。美しくも楽しい等式です。
アインシュタインはイスラエルの大統領(二代目)に推挙されたときに、「(政治は一時的だが)方程式は永遠だから」と断りましたが、まさにこの方程式の美しさは永遠です(いや本来はオイラーの公式を学ぶべきですが、等式はキャッチーです)。
まずはカタルシスに至りましょう。頂上から絶景を楽しみましょう!!寺子屋「数論」にて
たとえば、微分積分は難しいという印象がありますが、小学校のときに学ぶ面積は積分で、速さの問題は微分です。
微分積分のルールは驚くほど単純です。因数分解の公式集のように本当に役に立たない知識に比べても、圧倒的にわかりやすいのです。
「まといのば」の寺子屋シリーズでは、大人からの教養の学び直しの場を提供しています。
シリーズの内容は多岐にわたります。
大言壮語して良ければ、森羅万象ですw
初回の論理学、2回目の微分積分からスタートして、分子生物学を情報理論として学び、哲学の全貌を瞑想や抽象度と共に学び、パラダイム論、熱力学、数学の土台である数論、そしてニュートン力学と次々と学べます。
*微分積分の回でもニュートンは出てきましたね~
論理学もアリストテレスから始まり、フレーゲを通過し、ゲーデルを見て、クリプキの可能世界意味論(様相論理学の完全性定理)まで一気に駆け抜けました。
微分積分も単純な微分の演習から、シュレディンガー方程式の導出まで(偏微分方程式)駆け抜けます。その素早く走りながら、それぞれの風景の美しさを楽しみ、寄り道も道草も楽しみます!
*天才なのに、、、さわやかなクリプキ先生。
独学しようとしたら一生かかっても難しい内容、専門的に勉強したら大学院に数年通わなければいけないような内容を、非常にコンパクトに一気に頭に放り込みます。
それも学問の世界では定説となったきわめて王道な内容のみを丁寧に学びます。
また寺子屋は学べば学ぶほどに賢くなります。それはリニアに知識や理解が増えていくというだけではなく、学問同士が有機的にネットワークを紡ぎ出すのです。
分子生物学が情報理論と結びつき、情報理論は物理学と結びつき、シャノンはコンピューターサイエンスと結びつきます。論理学のスピンオフであるブール論理はコンピューターサイエンスを支え、述語論理学から一歩飛び出すとゲーデルの不完全性定理となります。
*端正なシャノン。情報理論もまた端正なそして難解な理論です。
イエスの言葉がパラダイム論と結びつき、経済学者のケインズが錬金術師としてのニュートンの素顔を暴き、そのケインズの奥さんはバレリーナです。奥さんの所属していたバレエ団であるバレエ・リュスは現代バレエの礎です。
*ケインズはバレエ・リュスのバレリーナを口説き落として、奥さんにしました(*^^*)
そのバレエ・リュスは現代バレエの元です。
*余談ながらバレエ・リュスの主宰のディアギレフ。魔術の祖のエリファス・レヴィ、日本の新興宗教の祖の王仁三郎、この偉大な三人が僕にはかぶって見えます(いや、ただ肥満体なだけなのか)。
知識のネットワークが網の目のように広がり、それも思いがけないものと思いがけないものが結びつくことで脳がスパークします。
ですから、知識が単純に増えるというだけではない超加速学習が楽しくできます。
足し算ではなく、掛け算になるのです。
それも勝手に脳内でスパークしていくのです。
最高に楽しい体験です。
人は誰でも子供の頃は「なぜなぜ坊や」であり「なぜなぜお嬢さん」です。
いつも「なぜなぜ」と聞いて周りの大人を困らせます。
知的好奇心は人間の本能であり、喜びの源泉です。
*なぜなぜ坊や
大人になって枯れ果てたその泉に差水(さしみず)をして、再びよみがえらせましょう。
喜びに満ちた人生のために、「まといのば」の寺子屋シリーズはささやかなサポートが可能かと思います!
そして、「猛烈に頭が良くなりたい」と日々思う中で、気付いたら以前よりも「猛烈に頭が良い」自分を発見できます。もちろんその欲望は際限がないのですが、以前よりも進歩していることで、回りにいる「なぜなぜ坊や」たちに良いアドバイスができたり、友人知人の知的好奇心を満たしたり、社会に機能(役割)をより積極的に果たせるようになります。
そんなわけで、2月からスタートしたリニューアル版寺子屋シリーズですが、ようやく第1回が配信開始です。
お待たせしました!!
お待たせして本当に申し訳ありません!!
お待ちいただいただけのことはあると思いますので、ご期待ください!!
ちなみにリニューアル版を申し込んでいる方以外にも、従来版の寺子屋第1回「論理学」を受講されている方、もしくはバックナンバーを購入されている方は、無償で配信します(太っ腹!!)。
寺子屋メーリングリストにて案内が届いているかと思いますので、是非、配信をリクエストしてください(希望者のみの配信です!)。
もし受講生なのにメーリングリストのメールが届いてないなどという方はご連絡ください(受講登録通知のメールに返信してくだされば届きます。もしくはお問い合わせフォームから)。
というわけで、リニューアル版寺子屋のバックナンバーも販売開始です!
また従来版は6回から(来月からは7回から)販売しています!!
寺子屋のお申し込みはこちらから!
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【配信開始!】「猛烈に頭が良くなりたい!!!」と思ったら王道を進もう 〜寺子屋のすゝめ〜
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