本日開催の「シンプルな金融工学」からはじまり明日からの土日は「魔術師養成スクール」、そして月曜日は金融工学の追加開催、そして火曜日はリニューアル版の「簡単な微分・積分」です。
というわけで、連日のセミナー続きはありがたいので、神でも悪魔でも天使でも鬼でも龍脈でもなんでも酷使していきたいと思います。
悪魔が取り憑くという経験というのは、ヒーラーだと一度や二度は目にするでしょう(最近だと普通に動画などでも公開しています。悪魔祓いの動画などもあります)。もちろん唐突に目にすることもあるでしょう。
僕にとっても、かつては見慣れた光景でした。ただ最近はそういう現場を避けようとしています。
というのも、若い頃は、そういう悪魔憑きや狐憑きを自分がなんとか解決できると考えていたからです。
でも最近はそんな傲慢さと蛮勇さは消えてきています。
悪魔憑きにせよ、悪魔との契約にせよ、動物霊との取引にせよ、多くは本人の希望であり、本人の火遊びが延焼して手に負えなくなっているということが多くあります。火遊びが過ぎると思っても、いくら指摘しても、聞く耳を持たないものです。
なぜかと言えば、そのタイプの契約がもたらしてくれる甘美な利益の誘惑が大きいのです。もし契約を破棄するとしたら、、、そんな契約を破棄したほうが、もっと大きく甘美な利益が待っていますよというより大きな誘惑しかないでしょう。でも実際に、小さな悪魔と契約するよりも、大きな毘盧遮那仏と出逢ったほうが良いと僕は思います。その上にはもっと大きな三千世界が広がっていますし。
まあ、それはさておき、憑依は憑依でも、パウロの言う意味での良い憑依は良いと思います。
アウグスティヌスが改心したところの「イエス・キリストを着なさい」という憑依もそうですし、「生きているのは、もはやはわたしではありません。キリストがわたしのうちに生きておられるのです」も同様でしょう。
前者は着ぐるみのようにイエスキリストを着て、後者はイエスがパウロの着ぐるみを着ている印象ですw
エゴを捨てるというと軽い言葉ですが、自分を消して、別な人になりきるのはきわめて重要だと思います。別な人ではなく、ある役割、ある機能と考えても良いでしょう。
というわけで、、、、、そんな楽しい憑依を2つ紹介します(*^^*)
(というか、一度は紹介したのですが、どうしてももう一度紹介したくて、、、)
まずはアリアナ・グランデです。
アリアナ・グランデが次々と憑依もといモノマネをしていきますが、まあ上手です。本当にすごい。
そしてBruno Marsです。
もうグリーン・デイを聴くと、このBrunoMarsが思い出されてたまりません。
ちなみにグリーン・デイです。
*エアロ・スミスのI Don't Want to Miss a Thingも貼り付けておきますので、お時間があるときに聴き比べてください。
*ジャスティン・ビーバーのボーイ・フレンドもKaty PerryのFireworkも。ルイ・アームストロングの What A Wonderful Worldも!
マイケル・ジャクソンは不要ですね(*^^*)
*身体から表情から、まとう空気からすべてが変わりますね〜
BrunoMarsもアリアナ・グランデもまた見事にインターンのような空気をまといますよね(・_・;)
動画は、興味があれば、お時間のあるときに視聴してみてください!!
今回の本題は、、、、
尾崎豊の『卒業』は統治の倫理(閉ざされた伽藍の世界の政治の倫理)をよくあらわしているということ、そして何度卒業しても卒業できない(何度、コミュニティーを逃れても、人は生きている限りは共同体からは逃れられない)ということがうまく描かれているという話しを書こうと思っていました。
「夜の校舎 窓ガラス 壊してまわった」のも「やがて誰も恋に落ちて、愛の言葉と理想の愛それだけに 心奪われた」のも暴力と愛という政治空間ならではです。
バザール世界の倫理である取引や交渉がタブーなので、「生きる為に計算高くなれ」という言葉に統治の倫理は見事に反発します。
卒業が解放であると共に、次の束縛の序章にすぎないことも感じています。
(ダスティン・ホフマンの「卒業」のラストシーンのなんともいえない表情を思い出します。サイモン&ガーファンクルの「沈黙の声」が流れますw)。
という話題と、それからマザー・テレサについて書くつもりでした。
マザー・テレサが深い深い闇の中にいたという告白についてです。
By Túrelio, CC BY-SA 2.0 de, Link
(引用開始)
わたくしの魂の中で神の場は白紙です。わたくしの内に神は存在されません。神を欲する痛みが非常に強いので、わたくしはただただ神を求めるのですが、わたくしが感じるのは、神がわたくしを望まれないことです。神は不在です。天国、人びとの魂、それらは単なる言葉であって、わたくしには何の意味もありません。(引用終了)(p.344マザー・テレサ『来て、わたしの光になりなさい』)
「神は不在です。天国、人びとの魂、それらは単なる言葉であって、わたくしには何の意味もありません。」という言葉がニーチェではなく、マザー・テレサの口から出るところがスゴイといえます。
ちなみにこの手紙は破棄して欲しいとマザー・テレサは何度も神父に懇願します。
それにもかかわらずこの私信は公開されました。
ヌーナー神父はこう書いています。
(引用開始)わたしは彼女の正直で、率直な報告と、全くの暗闇を進む深い憂慮から強い印象を受けた。彼女は正しい道にいるのだろうか、それとも幻影のネットワークの犠牲になってしまったのだろうか。神はなぜ彼女を全く放棄されたのでだろうか。若いころそれほど神に近かった彼女が、どうしてこの暗闇を?彼女はシスターたちをリードし、神の愛と、祈りの生活に導かなけれならなかったが、全くの空虚の中で生きる彼女からはそれは消し去られていた。彼女自身の心から完全に消え去った神の神秘について他の人たちに話す、恥ずべき偽善者になったのだろうか。(引用終了)
告解の秘密を守れないお前が「恥ずべき偽善者」だろとツッコミを入れたくなります。
このマザー・テレサについても、よくよく読んでいくと平たく言えばありがちな信仰の闇であり、イエスにおけるゲッセマネの祈り(というか絶望)であり、よくある神の沈黙でしかありません。
ちなみに、神は遠藤周作さんの「沈黙」においても、沈黙を破りましたが、マザー・テレサに対しても沈黙を破っています。そのときの言葉が「わたしは乾く」であったというのが非常に興味深いです(同p.505)
沈黙と言えば、映画も素晴らしかったです。小説はかなり大著ですので、先に映画から観るのも良いかもです。拷問シーンはむごたらしいです。
*主人公のセバスチャン神父がアメージングスパイダーマンで、その師が"Feel,don't think”のクワイ=ガン・ジンというのが、また、、、
告解の秘密は守られるべきと思いますし、プライバシーも重要です。国家が他人の秘密を覗き見続け、秘密を暴き続けることに嫌気がさして、国家を裏切ったのがスノーデンです。
*映画は本当に一気に2時間で加速学習させてくれます。楽しみながら。
*映画「沈黙」ではないですが、スノーデンの美しい彼女は「きっと、星のせいじゃない」のあの子です。それと告発する側のジャーナリストの一人がHerosで僕が一番好きだった能力者でしたw
*映画を見た後はTEDレクチャーも!クリス・アンダーソンがインタビューアーとして登壇しています。彼がヒーローとしてアメリカに帰国する日が待ち遠しいですね。
そんなわけで、金融工学からバリバリとがんばりましょう!!!!
今回の話はまた機会があったら書きます!!
【書籍紹介】
マザーテレサ 来て、わたしの光になりなさい!/女子パウロ会
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沈黙 (新潮文庫)/新潮社
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♪この支配からの卒業、闘いからの卒業♪憑依と沈黙とスノーデン「神は不在です。神は私を望まれない」
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