「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」とカルカッタのシスター(修道女)は言いました(神の子であれば定義上、ブラザーかシスターにしかなれないはずですが、彼女はマザーと自称することで教会の権威に歯向かいました)。
マザー・テレサは
愛 v.s 憎しみ
という二項対立を否定し、
愛・憎しみ v.s. 無関心
と見抜きました。
これは見事としか言いようがありません。
(僕はマイケル・ジャクソンのブラック・オア・ホワイトの「偏見は無知である」という言葉を思い出します)
愛と憎しみのはまさにコインの裏表です。
コインの裏表というのは、逆側にあるという意味ではなく、同じものということです。
愛は容易に憎しみに転じ、憎しみは容易に愛に転じます(その視点からストックホルム症候群を考えても面白いかもしれません)。
しかし、我々はもう一段、抽象度の階段を上がることでまた別の風景が見えてくるかもしれません。
愛と憎しみが二項対立ではなかったように、愛と無関心ももしかしたら対概念ではなく、これもまたコインの裏表なのかもしれないということです。
愛と無関心の間にはスペクトル状に段階があり、それは重要性関数で決まると我々はぼんやりと理解しています。それはある一瞬を切り取ればその通りでしょう。しかし、実際にそうでしょうか?
我々は愛が一瞬にして無関心になる体験を人生の中で何度もしています。
その場を離れると、永続するかに思えた人間関係は何もなかったかのように雲散霧消します。
それを僕らは「卒業」と呼びます。
卒業式が哀しいのは、離れ離れになることが哀しいのではなく、自分のこのリアルな感情が、実はこの空間によって規定されたものでしかないことに、強制的に気付かされるのが嫌なのです(多くの人が情動と自我が一致していると思っているので、情動が内発的ではなく、外面的なシステムだとしたら、その論理的帰結は自我がないということになります)。
それを端的に示しているのが、いまから30年以上前の「卒業」という曲です。斉藤由貴さんのデビュー曲です。高校3年生のちょうど今頃の時期です。
「♪ああ卒業しても泣かないと冷たい人と言われそう♪」というフレーズが印象的です。
ここで、立ち止まって、なぜ泣かないのか、なぜ泣けないのか、なぜそれに対して冷たい人と言われそうなのかを真剣に考えると、いろいろなことが見えてきます。
いろいろなことというのは煎(せん)じ詰めるとラポールということです。
ラポールとはもともとは臨床心理学の専門用語であり、セラピストとクライアントとの関係を指すものでした。いわば信頼関係とも言うべきものです(これが愛情関係に発展することをトランスファーと言います。転移ですね。セラピストを幼少時の親に転移してしまうのです。その転移に同調してセラピストもクライアントに恋愛感情を抱くことを逆転移と言います)。
我々はラポール関係をつい人間関係だと誤解します。
たとえば2人の人間がいて、その間に生じる関係だと誤解します。
しかし、その間に生じるのではなく、その周囲に生じる関係なのです。
ここが重要なポイントであり、我々が天動説を離れ、地動説へ移動しなくてはいけないポイントです。
繰り返しますが、愛情も憎しみも、誠実さも協調も、2人の関係なり、複数人の間に生じるものではないのです。
間(あいだ)ではなく周囲なのです。
我々はラポールとか、ラポール空間、臨場感空間などと呼びますが、2人の間にある強い精神的な結びつきは、2人の間にあるのではなく、Aさんと周囲の空間、そしてBさんと周囲の空間にあります。周囲の空間が媒介となって、AさんとBさんは強い精神的な絆を感じるのです。それが愛情であれ、憎しみであれ、です。
これは結婚の誓いの構造に似ています。
神が媒介となっているのであり、個人同士では直接にはつながれないのです。神を媒介として、AさんとBさんは結ばれます。
とすると、神ならぬ臨場感空間が媒介であれば、、、その臨場感空間は永遠不滅ではありません。
すぐに揮発(きはつ)してしまいます(最近は神様もすぐに揮発してしまうそうです)。
揮発してしまうと、AさんとBさんの間にあった燃え上がるような感情もまた揮発していきます。
作詞家の松本隆はそれが明確に見えていたのだと思います。
高校3年生の斉藤由貴さんにこんな風に歌わせます。
「離れても電話するよと、小指差し出していうけど
守れそうにない約束はしない方がいい ごめんね」
「ああ卒業してもともだちね それは嘘ではないけれど
でも過ぎる季節に流されて 逢えないことも知っている」
離れたら電話は互いにしないことがうっすらと分かっていて、卒業したら今の意味での友達でなくなることを、我々はうすうす感じながら、それを強く否定していまの感情に流されようと努力します。
しかし哀しみの底にある違和感にふと気づいてしまうと、泣けないのです。
この歌詞の面白さは、入れ子構造の面白さにあります(入れ子構造と言えば、高階の述語論理です。視点がどんどん追加され、抽象度が上がっても我々はついていけるのが人間の認知の特長です)。
♪卒業しても泣かないと冷たい人と言われそう♪
この一文の構造は丁寧に分析すればするほど味わい深いのですが、、、
少なくとも、卒業式で泣かないと、その瞬間に共有されているタブーに触れることになります(「冷たい人と言われそう」なのです)。
話を急ぎます!
ここで「時」「季節」としてメタファーされているのが、我々が周囲と考えるラポール空間のことです。
この曲の中で「時」や「季節」が通常の時間や季節でなく強烈なメタファーであることは、次の歌詞で分かります。
駅までの遠い道のりを はじめて黙って歩いたね
反対のホームに立つ2人、時の電車がいま引き裂いた
2人の関係を引き裂いたのは「時の電車」です。
この「時」が何を表しているかを、我々の論理に引きつけるならば、臨場感空間の移ろいやすさとでも言えるかもしれません。
この曲が30年経ったいまも人気がある理由が分かります。
我々は卒業を哀しいと無邪気に感じたくなりますが、その哀しみの底にある違和感をうまくすくいあげています。
このラポール空間、もしくは共有された臨場感空間というアイデアは真剣に考えるべき内容です。
多くの人は「あ、それは知っています!」と思うのでしょうが、本当に知っているのであれば、その知識が本当に血肉化されているのであれば、圧倒的な結果に結びつきます。
ラポール空間を正確に理解できれば、悪魔召喚のカラクリも見えてきます。
そしてラポール空間が見えれば、ホメオスタシスの書き換えも容易になります。
*タロットでも描かれる悪魔としてよく知られるこの絵を描いたのは現代魔術の大成者であるエリファス・レヴィです。
ラポール空間がもっとシンプルに見えれば、もっと明瞭になぜ裏切りや殺害が倫理的に良しとされることがあるのか、なぜ人が分かっていながら不合理な行動を進んですることがあるのかが分かります。
そんな内容を今回のオンラインレコードでは取り上げます!!
ヒーラーには必須のコンテンツですね!!
お楽しみに!!!
というわけでオンラインレコード第6弾は「ラポールと人間関係としあわせのカタチ」です!!
【「まといのば」OnLine ReCord ~手っ取り早い上達と深い理解を目指す~】
【概要】 動画教材(音声教材)のダウンロード配信
【受講料】 1講座3万円(銀行振込)(PayPal決済可能です。請求先のメールアカウントをお伝え下さい)
【受講資格】 「まといのば」セミナー受講生(寺子屋バックナンバー受講生等も含む)
【持ち物】 動画・音声再生装置と情熱
【お申し込み】お申し込みはこちらから。
【第6弾公開収録】 2月17日(金)19:00〜21:30(受講料3万円)
*お申し込みは同じくこちらから。
【コンテンツ】第1講座(10月) 呪の密教気功
〜すべての気功の基本、写像としての肉体と世界、呪の手触り〜
第2講座(11月配信)魔法の時間
〜魔術、科学、ヘルメス主義、錬金術、奇跡はなぜ起こるのか?そのカラクリに迫る〜
第3講座(12月配信)アルゴリズムの秘密
〜〜ピタゴラス、ユークリッド、フェルマー、ニュートン、アインシュタイン、トーラー・タルムード、世界をプログラミングとして理解せよ!〜
第4講座(1月配信)ラージャ・ヨーガの威力 〜ヨーガの神秘のベールをはがすとそこは能力開発の楽園だった〜
第5講座(2月配信)ホメオスタシスのカラクリ 〜天使か悪魔か?〜 動画編集作業中!!!近日配信!
第6講座 (3月配信)ラポールと人間関係としあわせのカタチ 〜ラポールという気の玉、市場と統治の倫理〜
【参考書籍】
市場の倫理 統治の倫理 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房
¥価格不明
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ジェイン・ジェイコブスは「大間違いなのは、商業に従事する人が、政府はビジネスと同じように運営されるべきと考えることだ」と市場の倫理と統治の倫理の混同を戒めています。
市場の倫理 統治の倫理/日本経済新聞社
¥価格不明
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アメリカ大都市の死と生/鹿島出版会
¥価格不明
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伽藍とバザール/作者不明
¥価格不明
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この本は紹介するまでもなく、リナックスが直感に反して、なぜうまくいくのかを記したコンピューターサイエンスの古典です。
この著者であるエリック・レイモンドは最後にこんな風に書いています。
最後に、僕はこの論文を寸前まで「伽藍とアゴラ」と呼ぶところだったのを白状しておこう。アゴラというのは、ギリシャ語で自由市場や公共集会場所をさすことばだ
僕には統治の倫理が伽藍の倫理であり、マーケットの倫理がアゴラもしくはバザールの倫理に見えます。
そしてどちらも我々には不可欠な倫理です。ただし意識的に使い分けないと、そして直感的な理解を退けて、正確な理解に至らないと、我々の楽園はますます地獄になっていくように思います。
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♪卒業しても泣かないと冷たい人と言われそう♪伽藍を抜けて、アゴラを目指す!
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