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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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ニュートンの天地人とアナトミー・トレインという龍脈・経絡。狂気の道を歩むときはどこまでも理性的に

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天地人という言い方がありますが、天は地と呼応し、地は人と呼応します。

大地が人体と対応しているというあらわれとして、経穴(ツボ)に土地の名称が多くあります。これは身体を大地とみなしているからです。

そして天文というのはそもそも天の文(あや)であり、天のシステムをあらわし、その天の写像が土地であり、地理です(というのが風水の考え方です。意外と忘れられがちですが、時間は風水において、きわめて重要なファクターです。そして時間とは星の移動のことを指します。時が場所で示されるのです。アインシュタインの言うとおり、空間と時間は一体なのです。
日時計の影が我々のアナログ時計の短針に対応していることはよく知られています。短針は太陽の光の影です。もちろん北半球においてです。南半球であれば逆になります)。


ですから、天地人というのは、天と地と人のそれぞれが呼応しあっているというイメージです。
インドでは梵我一如と言い、梵という大宇宙と我という小宇宙が照応していると考えました。ブラーフマンとアートマンの一致です。


ちなみに天から人へプリミティブで短絡的なマッピングが占星術であり、ホロスコープです。
生まれた瞬間の星の位置がその人の人生を決めるという不思議な信仰です。

これはラプラスならば大きく同意したでしょうが、ラプラスが知らなかったのは(そして我々が知り得ているのは)、我々の宇宙は残念ながら、ラプラスの魔が住みつくことができる決定論的な世界では無いということです。

誤解があるようですが、ニュートンは神を駆逐したのではなく、神の偉大さを讃えた偉大な錬金術師でした。神がなぜ全知全能かと言えば、いや少なくと全知であるかと言えば、ビッグバンなどの宇宙創生の瞬間に宇宙の一生を俯瞰することができたからです。


科学そのものを生み出した源泉とみなされている不朽の名著であるプリンキピア・マテマティカに書かれた以下の文章を読むと、プリンキピアは本当に近代科学を生み出したのか不思議になるほどです。

(引用開始)6個の主惑星は、太陽を中心とする同心円上を回転し、同一の運動方向をもち、ほぼ同一の平面上にあります。(略)これらすべての規則正しい運動を生ずることは、力学的要因だけからでは得られようもありません。(略)この、太陽、惑星、彗星の壮麗きわまりない体系は、至知至能の存在の深慮と支配とによって生ぜられたのでなければほかにありえようがありません。(略)
 この至高の存在はありとある事物を統治するのです。(略)盲人が色彩の観念をもたないように、わたくしどもは、全知の神がいっさいを知覚し認識する仕方について、なんの観念ももっていないのです。(略)以上、神に関して述べたのですが、事物の現象するところより神に及ぶのは、まさしく自然哲学に属することなのです。
(引用終了)

上記の引用は寺子屋「ニュートン力学」でも採用しました。


ちょっと蛇足でしょうが、寺子屋「パラダイム論」ではこんな資料を使いました。

(引用開始)資料1
神は常に持続し、偏在します。そして常に至るところに存在することによって神は持続と空間を構成します。神は必然的に存在し、またその同じ必然性によって、常にいたるところにおられます。

資料2
わたしが体系について論文を書いたとき、神の信仰へと人々の考えを向けさせるような諸原理に私は気を配っておりました。

資料3
魂をもたない野卑な物質が、物質的でない他のものの媒介なしに作用するとか、相互接触なしに他の物質に影響するとかは考えられません。
(引用終了)

ネタバレになりますが、これを書いた敬虔なクリスチャン(ただトリニティは認めなかった)のは誰あろうニュートンその人です。

ニュートンに対する観方が根本から変わります。体系についての論文や諸原理とは「自然哲学の数学的諸原理(プリンキピアマテマティカ)」を指します。3つ目は重力についてです。



その神にとって必要な式はひとつだけです。

そう、F=maです。
運動方程式です。




我々は英語圏ではないので、Fやmやaという文字に臨場感がわかないかもしれませんが、日本語にするならば、、

力=質量×加速度

となります。

その最初の文字を並べて、

力=質×加

と書いてあるような状態なのが、F=maです。

ですから、Force=mass×accelerationと透けて見えると丸暗記することなく理解して頭に入れられます(暗記法のコツは、理解して頭に入れるです。その理解が正確でなくても問題がないところが、暗記法、そして脳の面白いところです。極端な例で言えば、語呂合わせでもいいのです)。


まあ、無邪気にF=maではなく、いまは運動量の時間微分が力と考えます。
これはmという質量が一定ではなく、静止質量と運動質量が異なるからです。
ご承知のように、アインシュタインによれば、物体は速度が上がると重くなるのです。
物体の速度には制限速度があり、それが真空中の光速度です。その速度になるとき、質量は無限大になります(無限大の質量を動かすためのエネルギーは無限に必要となるために、光速度にはなれません)。

ただ、媒質中の光を粒子が追い抜くことはよくあります。光が一番速いのではなく、真空中の光速度を追い抜けないだけです。

風水スクールでも触れましたが、電子が光を追い抜くときに現れるソニックブーム(衝撃波)のようなものがチェレンコフ光です。


*光という電磁波は真空中では一番でも、媒質中では加速された電子に置いていかれることもあります。


まあ、それはさておき、質量が一定というイメージが崩れたので、より正確に、



dp/dt=F

と書きます。p=mvなので、もしmを定数とみなして、くくりだしてしまえば、ma=Fに容易に変換できます。

アインシュタインの功績とは、ニュートンのF=maをF=dp/dtへ微調整しただけだとファインマン先生は言いますw
(ファインマン先生にかかれば、不確定性原理も過去の遺物です。私はこの「不確定性原理」を歴史上の位置に据えたい(ファインマン)

ファインマン先生はこう言います。

(引用開始)量子物理という革命的な理論ができはじめた頃、人はまだ(たとえば光は直進するなどというように)ものごとを旧式な考えで理解しようとしていた。ところがある点から先は旧式な考えが役に立たなくなりはじめ、「これについては旧式な考え方なんぞ全然通用しない」というような警告が発せられるようになった。もしわれわれが旧式な考えを完全に捨て去り、私がこの講演で説明しているような考え方、すなわちある事象が起り得る経路全部の矢印を合せる考え方を使ってゆけば、もはや「不確定性原理」などわざわざ持ち出す必要もなくなる。(引用終了)(ファインマン 光と物質の不思議な理論pp.78-79)

光は直進し、反射し、屈折するという幾何光学はいわばニュートン力学のようなもので、古典であり、古典であるということは厳密には間違いということです。

これはもちろん観念論ではなく、理論的にも実験的にも示されています(余談ながら、幾何光学の嚆矢は誰あろうユークリッドであり、それを完成させたのはフェルマーです。ここらへんは寺子屋「光学」で学びましたね)。

余談が長くなりましたが、宇宙を統べる方程式を一つだけあげるとしたら、17世紀後半から18世紀まではF=maだったのです。いや、19世紀までそうかもしれません。

この世界観で言えば、ホロスコープが人間の運命を決定するというのはたしかに真実であったでしょう。

すべての物体の位置と運動量を知ることができたら、全知となることが理論上は可能だからです。

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。(ピエール=シモン・ラプラス 『確率の解析的理論』1812年)


そのような世界観を打ち壊したのが、不確定性原理であり、不完全性定理です。

不確定性原理が示すのは、神であっても予測ができないということです。完全情報を手にすることができないからです。ラプラスの魔の前提である、「もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ」が不可能であることを示したのが、不確定性原理だからです(それも光学が苦手な物理学者が覗き込んだ顕微鏡によって、ですw)

*ハイゼンベルクの顕微鏡についてはこちらを参照してください!原理はいつもシンプルです!

*そしてハイゼンベルクの背中を押した偉大なユダヤ人物理学者についてはこちらを。かなり感動的です!

とすると、ホロスコープがいくら厳密であったとしても、星の位置どころか、全原子の位置と運動量(速度)が分かっていたとしても、その人の運命は神ですら予測不能なのです。

だからこそ、ホロスコープはその前提が崩れ去り、同様にたとえばプロテスタントの(というかカルヴァンの)予定説も根底から崩れます。ラプラスの魔も同様ですし、全知の神もです。


ちなみにニュートンの運動方程式(F=ma)に対応する万物の方程式に相当するのが量子論におけるシュレディンガー方程式でした(その導出を寺子屋リニューアル版の第2回で行いますので、お楽しみに!!)。


天地人の話しから、ずいぶんと寄り道しました。

天から地への写像の劣化コピーがホロスコープであり、そのホロスコープの前提となる決定論(この前提は古典物理学であるニュートン力学)が量子論によって否定されたという話です。


で、何が言いたいかと言えば、狂気の道を歩んでいると思えるときこそ、きわめて理性的であれ、ということです。

風水をやり、魔術をやり、陰陽師をやり、再び錬金術もやろうとしていますが、狂気かオカルトに堕ちているかのように見えるときにこそ、理性的で論理的であることが重要です。

安易に結論に飛びつかず、冷静に論理的に理性的に暗い森の中を一歩一歩着実に歩きましょう!!!



というわけで、今回は本題に入れず、、、、(TOT)



本題の触りだけサクッと紹介します!

ちなみに、中医学で言うところの経絡が、風水における龍脈であることはよく知られています。

経絡ー龍脈

経穴ー龍穴

です。


というか、そもそも龍脈という文字に「脈」が使われており、これは中医学において重要な「脈」です。人体の脈を指します。
我々もまだ脈という用語を使います。これは心臓の鼓動に対応した脈拍の意味であり、そこから転じて「脈あり」「脈なし」などという言い方もします。

もちろん中国医学では、脈を単に脈拍だけではなく、経絡と併せて理解します。


最近面白いと思っているのは、筋膜リリースのひとつのテクニックであるアナトミー・トレイン(Anatomy trains)という筋膜の一連のラインが経絡と対応しているのではないかという仮説です。

アナトミー・トレインは筋膜の仮想のコネクションですが、実際に施術においては面白い結果を出しています(Rayにおいてそろそろ報告記事が上がるでしょうが、シンプルなアナトミー・トレインの誘導でいまのところ全員がビールマンができるようになっているそうです。これは恐るべきことです。いまのところセフィロトを超える技術です)。




「まといのば」はかなりプラグマティックな立場なので、効果があればOKであり、白猫でも黒猫でもネズミを取ってくれれば良い猫ですw

最新の西洋医学もしくは科学的知見からもたらされたひとつの面白い作業仮説であるアナトミー・トレインが、古来から伝わる経絡ともし連関するとしたら、これまた古代と最先端が一致するひとつのウロボロスのヘビのようであり面白いといえます。




【書籍紹介】
Anatomy Trains: Myofascial Meridians for Manual.../Churchill Livingstone

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*書籍の冒頭にヴェサリウスのファブリカからの引用(の上にアナトミー・トレインが描かれています)があるのが懐かしいですね〜。かつては頻出でした!
*ヴェサリウスは西洋における解剖学の父です。

アナトミー・トレイン [Web動画付] 第3版: 徒手運動療法のための筋筋膜経線/医学書院

¥価格不明
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