*明日火曜日は「はじめての気功」内蔵ヒーリング特集追加開催です!!
腎臓、肝臓、蝶形骨をヒーリングしましょう!!
お申込みはこちら
ラージャを習得したあとは、それを使い続けることはそれほど難しくありません。
それよりも次の課題は、いかに制御するかです。
「ラージャ」というのは「まといのば」が提唱する新しい身体と能力開発方法です。もちろん瞑想のヨーガであり、王者のヨーガと呼ばれるラージャ・ヨーガから来ています。
瞑想というのは静かに長時間座禅しているように見えます。
実際に静かに長時間座禅するのも瞑想であり、重要なのですが、それはいわば回る独楽(コマ)と同じです。
猛烈な勢いで回転しているからこそ、止まって見えるのです。
![]()
*インセプションのあのコマを思わせますよね〜
*高速で回転していると、止まっているように見えます。静かに突き刺さっているように。
インセプションというのは、ディカプリオ主演の映画です。
この映画の感覚は「ラージャ」にも能力開発にもとても重要だと思います。
深く瞑想すると、時間の流れは猛烈にゆっくりなります。
時間がゆっくりになるというか、短い時間に猛烈な情報処理ができるようになります。それをあとから振り返ると「時間がゆっくり」に感じるのです。
本来はそれだけの猛烈な情報処理能力を我々は持っているのですが、脳がサボっているだけです。脳はうまくおだてて、調子に乗らせて、楽しませて、集中させれば、きちんと仕事をしてくれます。それも喜んで仕事をしてくれます。
優秀な新入社員や、優秀な部下、優秀な子供みたいなものです。
上手にしつけて、上手に信頼して、上手に教え込めば、驚くほどのパフォーマンスをコンスタントにあげてくれます。
でも、脳は単なるプログラムされたコンピューターではありません。
優秀な新入社員や子供みたいなものです。脳自体は自由なのです。ランダムなのです。
そしてその自由さとランダムさが、実は高いパフォーマンスの源泉です。出藍の誉れの源泉です。
だからなおさらその自由さを殺してはいけません。
脳が猛烈に動いているとき、脳が猛烈に情報処理しているときは、なんというか端から見ていると、ぼーっとしているような、呆(ほう)けているような感じになります。
もしくは寝ているとき、寝入りばななどにも起こります(あとはセミナーを受けていて、難しすぎて、脳が飽和して、寝落ちる瞬間とかw)。
というか、自分自身にとってもそうです。
猛烈に頭を使っているような感じがするのは、むしろインプットのときです。
脳はひとつのコンピューターシステムであり、情報処理システムですので、そのシステムは3つのフェイズに分かれます。
入力⇒情報処理⇒出力
です。
Input ⇒function ⇒output
でもあります。
データ⇒ 計算 ⇒ 結果
でも同じことです。
表現はどうあれ、三段階に分かれます。
ちょっと脱線しますが、ヒルガードの心理学には、
心理学(psychology)は、行動と心的過程についての科学的学問(p.6 ヒルガードの心理学 第15版)
とあります。
行動と心的過程です。行動がOutput、心的過程が計算であり、情報処理です。
また、MIT認知科学大辞典には心理学についてこうあります。
心理学は複雑な生物による情報の表象と処理を研究する科学である。
「情報の表象と処理」です。
寺子屋「心理学」のレジュメにも取り上げました。
(引用開始)
心理学は複雑な生物による情報の表象と処理を研究する科学である。環境についての情報を取り込んでその内的表象を形成し、行為を選択し実行するためにそれらの表象を操作する能力が動物の多くの種にはある。さらに、多くの動物は個体の生存中に起こりうることがらを学習することで環境に適応できる。知的情報処理とは、生存と繁殖という基本的目標の達成につながりそうな行為を選択するために環境についての情報を獲得し、処理する能力を意味している。(略)
心理学の関心の焦点は感覚入力と運動出力を媒介する情報処理にある。鳥類および哺乳類、特に霊長類(とりわけ大型類人猿とヒト)にみられる最も複雑な形態の知能に関しては、思考と内的経験の機構を扱う理論が必要である。これらの動物は心と情動(感情)をもつ。感覚入力の一部は選択的注意に導かれて解釈され、外界の知覚を作り出す。そしてその知覚の結果の一部は記憶に貯蔵され、逆に後の知覚に影響を与える。高度に知的な動物は意思決定したり問題解決したりするし、人間は言語とコミニケーションを行う。経験は生得的制約と連動し、乳児から成人への認知的発達過程を生じ、また生涯にわたる学習をもたらす。その結果、進化的変化が生じるのに必要な時間に比べればはるかに短い時間的尺度内で個人は環境に適応できるのである。(略)心理学のほとんどは直接的または間接的に人間の情報処理および知能の性質の理解を目標にしている。(引用終了)
「感覚入力と運動出力を媒介する情報処理」という点がポイントです。
上記の3段階は、
感覚入力⇒情報処理⇒運動出力
とすると心理学っぽくなります。
学校での勉強や、我々が努力しているときに、ついフォーカスしてしまうのは入力のフェイズです。
しかし重要なのは、情報処理の段階です。
この情報処理のレベルをガンガン上げていくのが、「ラージャ」と呼ぶシステムです。
フェルマーの最終定理(大定理)を解いたアンドリュー・ワイルズはこう言っています。
![]()
大事なのは、どれだけ考え抜けるかです。考えをはっきりさせようと紙に書く人もいますが、それは必ずしも必要ではありません。とくに、袋小路に入り込んでしまったり、未解決の問題にぶつかったりしたときには、定石になったような考え方は何の役にもたたないのです。新しいアイディアにたどりつくためには、長時間とてつもない集中力で問題に向わなければならない。その問題以外のことを考えてはいけない。ただそれだけを考えるのです。それから集中を解く。すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。そのとき潜在意識が働いて、新しい洞察が得られるのです。 (p.323 サイモン・シン『フェルマーの最終定理』)
「長時間とてつもない集中力で問題に向わなければならない。その問題以外のことを考えてはいけない」という点にフォーカスされがちですが、ポイントは「それから集中を解く。すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。そのとき潜在意識が働いて、新しい洞察が得られる」という点です。
長時間の集中がInput、そしてリラックスして潜在意識が働くのが情報処理、そして新しい洞察がOutputです。
ケインズはニュートンを評してこう言います。
純粋科学的ないしは哲学的な思考を試みたことのあるひとならだれでも知っているが、ひとはある問題をしばらくは心の中に保持して、それを洞察するのにいっさいの集中力を傾注することができるのであるが、それは次第に薄れてわからなくなり、その眺めているものがただの空白にすぎないことに気がつくのである。ニュートンは一つの問題を数時間も、数日も、数週間も、ついにそれが彼に秘密を打ち明けるまで、心の中に持ち続けることのできる人であったかとおもう。
![]()
これもまたラージャだと考えます。
脳を働かせ続ける能力です。
我々が考えるということについて考える時、ロダンの考える人を思い出します。
しかし、この「考える人」は実はインプットの段階です。なぜなら本来のタイトルは詩人であり、地獄門を上から覗き込んでいるからです。
![]()
*僕らが「寺子屋」くんと勝手に呼んでいるキャラクターです。かわいいです。
まあ、それはさておき「考える人」。これは実際は眺める人であり、詩人です。
![]()
地獄の門に実際に「考える人」がいます。
![]()
By Roland zh - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link
ポイントはシンプルです。
入力⇒情報処理⇒出力
の「入力」を我々は思考と考えがちということです。
そして入力値があふれても、放り込もうとします。そして処理されていないのに、鵜飼の鵜のように吐き出そうとします。丸暗記して、それをそのまま吐き出す訓練が学習だと思いがちです。
インプットはきわめて重要です。
質の良い大量のインプットは大事です。
しかし、その後の脳の情報処理はもっと大切です。
余談ながら、チョムスキーの課題は、なぜ赤ん坊は言語を習得するのか、ということでした。
それもS/N比のきわめて悪い入力なのに、洗練された言語を習得します。
(チョムスキーの結論はUGでした。UnderGroundではなく、Universal Grammarです。普遍文法ですね。脳の器官として先天的に遺伝的に普遍文法を持つということでした。ですから、不十分な入力で、十分に言語を習得できるのです)。
(僕の勝手な憶測ですが、Deep learningの「教師なし学習」がもっと明確になってくると、UGという仮説を必要としなくなるのかも、とも思います。脳の機能がまさにUG的なものであり、それはUniversalなのではなく、脳自身がデータから特徴表現を抽出する能力があるということかと)。
いろいろと夢は広がります。
![]()
ポイントは「ラージャ」はこの情報処理に注目しているということです。
そしてこの情報処理は「ぼーっとしている」状態に近いのです。良く言えば「瞑想」です。寝ている状態、休んでいる状態、です。
そしてこれを意識的に引き起こすことができれば、能力は開発できます。
ラージャ・スクールでは、まずはいかに「情報処理」を邪魔しないか、そして次にいかに「情報処理」を体感するか、そしてどのように「情報処理」を加速させるか、を学習し、鍛錬しました。
身体で言えば、特殊なアーサナがやすやすとできるようになり、知的にもかなりレベルアップしました。
ラージャの感覚を手にした我々の次の課題はいかにこの暴れ馬ならぬ昇り龍を制御するか、です。
能力をゲットしたときに、その能力を支配しないと、自分が焼き尽くされてしまいます。悪魔を召喚したら、その悪魔の首根っこをつかまえて、足元にひれ伏させなくてはいけません。
制御するにはどうすれば良いのか、ラージャ・クンダリーニと呼んでいる脊髄の感覚を研ぎ澄まし、いつも召喚することです。
モーゼが蛇の尾をつかんだように、我々もラージャ・クンダリーニに尾である尾骨をつかまえましょう!!!
![]()
*一步、一步着実に!!
腎臓、肝臓、蝶形骨をヒーリングしましょう!!
お申込みはこちら
ラージャを習得したあとは、それを使い続けることはそれほど難しくありません。
それよりも次の課題は、いかに制御するかです。
「ラージャ」というのは「まといのば」が提唱する新しい身体と能力開発方法です。もちろん瞑想のヨーガであり、王者のヨーガと呼ばれるラージャ・ヨーガから来ています。
瞑想というのは静かに長時間座禅しているように見えます。
実際に静かに長時間座禅するのも瞑想であり、重要なのですが、それはいわば回る独楽(コマ)と同じです。
猛烈な勢いで回転しているからこそ、止まって見えるのです。

*インセプションのあのコマを思わせますよね〜
*高速で回転していると、止まっているように見えます。静かに突き刺さっているように。
インセプションというのは、ディカプリオ主演の映画です。
この映画の感覚は「ラージャ」にも能力開発にもとても重要だと思います。
深く瞑想すると、時間の流れは猛烈にゆっくりなります。
時間がゆっくりになるというか、短い時間に猛烈な情報処理ができるようになります。それをあとから振り返ると「時間がゆっくり」に感じるのです。
本来はそれだけの猛烈な情報処理能力を我々は持っているのですが、脳がサボっているだけです。脳はうまくおだてて、調子に乗らせて、楽しませて、集中させれば、きちんと仕事をしてくれます。それも喜んで仕事をしてくれます。
優秀な新入社員や、優秀な部下、優秀な子供みたいなものです。
上手にしつけて、上手に信頼して、上手に教え込めば、驚くほどのパフォーマンスをコンスタントにあげてくれます。
でも、脳は単なるプログラムされたコンピューターではありません。
優秀な新入社員や子供みたいなものです。脳自体は自由なのです。ランダムなのです。
そしてその自由さとランダムさが、実は高いパフォーマンスの源泉です。出藍の誉れの源泉です。
だからなおさらその自由さを殺してはいけません。
脳が猛烈に動いているとき、脳が猛烈に情報処理しているときは、なんというか端から見ていると、ぼーっとしているような、呆(ほう)けているような感じになります。
もしくは寝ているとき、寝入りばななどにも起こります(あとはセミナーを受けていて、難しすぎて、脳が飽和して、寝落ちる瞬間とかw)。
というか、自分自身にとってもそうです。
猛烈に頭を使っているような感じがするのは、むしろインプットのときです。
脳はひとつのコンピューターシステムであり、情報処理システムですので、そのシステムは3つのフェイズに分かれます。
入力⇒情報処理⇒出力
です。
Input ⇒function ⇒output
でもあります。
データ⇒ 計算 ⇒ 結果
でも同じことです。
表現はどうあれ、三段階に分かれます。
ちょっと脱線しますが、ヒルガードの心理学には、
心理学(psychology)は、行動と心的過程についての科学的学問(p.6 ヒルガードの心理学 第15版)
とあります。
行動と心的過程です。行動がOutput、心的過程が計算であり、情報処理です。
また、MIT認知科学大辞典には心理学についてこうあります。
心理学は複雑な生物による情報の表象と処理を研究する科学である。
「情報の表象と処理」です。
寺子屋「心理学」のレジュメにも取り上げました。
(引用開始)
心理学は複雑な生物による情報の表象と処理を研究する科学である。環境についての情報を取り込んでその内的表象を形成し、行為を選択し実行するためにそれらの表象を操作する能力が動物の多くの種にはある。さらに、多くの動物は個体の生存中に起こりうることがらを学習することで環境に適応できる。知的情報処理とは、生存と繁殖という基本的目標の達成につながりそうな行為を選択するために環境についての情報を獲得し、処理する能力を意味している。(略)
心理学の関心の焦点は感覚入力と運動出力を媒介する情報処理にある。鳥類および哺乳類、特に霊長類(とりわけ大型類人猿とヒト)にみられる最も複雑な形態の知能に関しては、思考と内的経験の機構を扱う理論が必要である。これらの動物は心と情動(感情)をもつ。感覚入力の一部は選択的注意に導かれて解釈され、外界の知覚を作り出す。そしてその知覚の結果の一部は記憶に貯蔵され、逆に後の知覚に影響を与える。高度に知的な動物は意思決定したり問題解決したりするし、人間は言語とコミニケーションを行う。経験は生得的制約と連動し、乳児から成人への認知的発達過程を生じ、また生涯にわたる学習をもたらす。その結果、進化的変化が生じるのに必要な時間に比べればはるかに短い時間的尺度内で個人は環境に適応できるのである。(略)心理学のほとんどは直接的または間接的に人間の情報処理および知能の性質の理解を目標にしている。(引用終了)
「感覚入力と運動出力を媒介する情報処理」という点がポイントです。
上記の3段階は、
感覚入力⇒情報処理⇒運動出力
とすると心理学っぽくなります。
学校での勉強や、我々が努力しているときに、ついフォーカスしてしまうのは入力のフェイズです。
しかし重要なのは、情報処理の段階です。
この情報処理のレベルをガンガン上げていくのが、「ラージャ」と呼ぶシステムです。
フェルマーの最終定理(大定理)を解いたアンドリュー・ワイルズはこう言っています。

大事なのは、どれだけ考え抜けるかです。考えをはっきりさせようと紙に書く人もいますが、それは必ずしも必要ではありません。とくに、袋小路に入り込んでしまったり、未解決の問題にぶつかったりしたときには、定石になったような考え方は何の役にもたたないのです。新しいアイディアにたどりつくためには、長時間とてつもない集中力で問題に向わなければならない。その問題以外のことを考えてはいけない。ただそれだけを考えるのです。それから集中を解く。すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。そのとき潜在意識が働いて、新しい洞察が得られるのです。 (p.323 サイモン・シン『フェルマーの最終定理』)
「長時間とてつもない集中力で問題に向わなければならない。その問題以外のことを考えてはいけない」という点にフォーカスされがちですが、ポイントは「それから集中を解く。すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。そのとき潜在意識が働いて、新しい洞察が得られる」という点です。
長時間の集中がInput、そしてリラックスして潜在意識が働くのが情報処理、そして新しい洞察がOutputです。
ケインズはニュートンを評してこう言います。
純粋科学的ないしは哲学的な思考を試みたことのあるひとならだれでも知っているが、ひとはある問題をしばらくは心の中に保持して、それを洞察するのにいっさいの集中力を傾注することができるのであるが、それは次第に薄れてわからなくなり、その眺めているものがただの空白にすぎないことに気がつくのである。ニュートンは一つの問題を数時間も、数日も、数週間も、ついにそれが彼に秘密を打ち明けるまで、心の中に持ち続けることのできる人であったかとおもう。

これもまたラージャだと考えます。
脳を働かせ続ける能力です。
我々が考えるということについて考える時、ロダンの考える人を思い出します。
しかし、この「考える人」は実はインプットの段階です。なぜなら本来のタイトルは詩人であり、地獄門を上から覗き込んでいるからです。

*僕らが「寺子屋」くんと勝手に呼んでいるキャラクターです。かわいいです。
まあ、それはさておき「考える人」。これは実際は眺める人であり、詩人です。

地獄の門に実際に「考える人」がいます。

By Roland zh - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link
ポイントはシンプルです。
入力⇒情報処理⇒出力
の「入力」を我々は思考と考えがちということです。
そして入力値があふれても、放り込もうとします。そして処理されていないのに、鵜飼の鵜のように吐き出そうとします。丸暗記して、それをそのまま吐き出す訓練が学習だと思いがちです。
インプットはきわめて重要です。
質の良い大量のインプットは大事です。
しかし、その後の脳の情報処理はもっと大切です。
余談ながら、チョムスキーの課題は、なぜ赤ん坊は言語を習得するのか、ということでした。
それもS/N比のきわめて悪い入力なのに、洗練された言語を習得します。
(チョムスキーの結論はUGでした。UnderGroundではなく、Universal Grammarです。普遍文法ですね。脳の器官として先天的に遺伝的に普遍文法を持つということでした。ですから、不十分な入力で、十分に言語を習得できるのです)。
(僕の勝手な憶測ですが、Deep learningの「教師なし学習」がもっと明確になってくると、UGという仮説を必要としなくなるのかも、とも思います。脳の機能がまさにUG的なものであり、それはUniversalなのではなく、脳自身がデータから特徴表現を抽出する能力があるということかと)。
いろいろと夢は広がります。

ポイントは「ラージャ」はこの情報処理に注目しているということです。
そしてこの情報処理は「ぼーっとしている」状態に近いのです。良く言えば「瞑想」です。寝ている状態、休んでいる状態、です。
そしてこれを意識的に引き起こすことができれば、能力は開発できます。
ラージャ・スクールでは、まずはいかに「情報処理」を邪魔しないか、そして次にいかに「情報処理」を体感するか、そしてどのように「情報処理」を加速させるか、を学習し、鍛錬しました。
身体で言えば、特殊なアーサナがやすやすとできるようになり、知的にもかなりレベルアップしました。
ラージャの感覚を手にした我々の次の課題はいかにこの暴れ馬ならぬ昇り龍を制御するか、です。
能力をゲットしたときに、その能力を支配しないと、自分が焼き尽くされてしまいます。悪魔を召喚したら、その悪魔の首根っこをつかまえて、足元にひれ伏させなくてはいけません。
制御するにはどうすれば良いのか、ラージャ・クンダリーニと呼んでいる脊髄の感覚を研ぎ澄まし、いつも召喚することです。
モーゼが蛇の尾をつかんだように、我々もラージャ・クンダリーニに尾である尾骨をつかまえましょう!!!

*一步、一步着実に!!