ヨハン・ベルヌーイはオイラーを見い出した数学者です。
(オイラーとわずかに重なるのがガウスです。数学の世界ではこの2人の天才は欠かせません)
*「数学のサイクロプス(単眼の巨人)」とフリードリヒ二世に讃えられた天才数学者です。
そのヨハン・ベルヌーイが数学の懸賞問題として出したのが、二点間の最短距離です。
いや、二点間の最短距離と言えば直線なのですが、、、、
こんな問題です。
まずある滑り台を考えます。滑り台のスタートからゴールまでが決まっていて、どんな滑り台だったら、最も素早く滑り降りれるかという問題です。
直感的には一直線が良さそうです。
二点間の最短距離は直線ですし、斜めなら普通に滑り落ちることができます。
ガリレオは円弧と考えたようです。
しかし実際は違いました。
最適解は直線でも円弧でも無いのです。
「まといのば」の以前のブログでは新聞での懸賞問題と書いたのですが、Wikipediaによると著作で問題を提示しているようです。ニュートンが知ったのは期限ギリギリ。
造幣局の仕事が終わってから、取り組み明け方までで仕上げたようです。
(引用開始)
ヨハン・ベルヌーイは(以前に解析した当時曲線を参照して)この問題を解いた後、1696年6月に著書"Acta Eruditorum"で読者に対して問題を提示した。4人の数学者がこれに応じて解答した。アイザック・ニュートン、ヤコブ・ベルヌーイ(ヨハンの兄)、ゴットフリート・ライプニッツ、ギヨーム・ド・ロピタルである。ロピタルを除く3人の解答は1697年の同じ版で出版された。(引用終了)
ただ本人は自分が解いたと知られるのが嫌で匿名で出しました。
しかし、ヨハン・ベルヌーイはその回答をひと目見て「獅子はその爪痕で分かる」とニュートンの手によると喝破したそうです。
かっこいい話です。
まあ、とは言え、これが解けたのはヨハン・ベルヌーイの兄のヤコブ・ベルヌーイ、そしてライプニッツとロピテルです。解ける人自身が少ないので、さすがにニュートンだと分かるかとは思います(そもそもライプニッツがヨハン・ベルヌーイをそそのかして、ニュートンへの挑戦状として懸賞問題にしたという話しもあります)。
そして、その滑り台の回答がこちらです。
楕円の円弧のような不思議な曲線ですが、サイクロイドと呼ばれます。
このサイクロイドはいろいろと不思議な性質を持つのですが、二点間の最速降下曲線という性質も持ちます(ちなみにこの滑り台は面白いもので、どの高さから滑り落ちても同時に滑り降ります。ガリレオの斜面の実験を間違ってサイクロイドの滑り台でやったら、それも高さをなぜか変えてボールをとしたら、さぞ面食らうでしょうねw)
サイクロイドの書き方はシンプルです。
タイヤのどこかに小さなライトをつけて転がします。そのライトの軌跡がサイクロイドです。
こうやって描けたサイクロイドをひっくり返せば、その曲線が滑り台になります。
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なぜこの話からスタートしたのかと言えば、シンプルな話しです。
二点間の最短距離は直線であるという洗脳から逃れたいためです。
まあ、正確には最速降下曲線ですが、、、最短距離を移動する時間が最小であると定義すれば(そう定義しても問題はないので)、直線が最短とは限らないのが分かります。
ちょっと良い例ではないかもしれませんが、、、、地図でも同じ現象が見られます。
いわゆる大圏コースというやつです。
赤い航路が大圏コースになります(東京から行く場合はジェット気流に乗るために大圏コースではありません)。
ロサンゼルスから東京に行くコースが大圏コースです。
大圏コースというのは、大円(だいえん)を通るコースです。大円(だいえん)というのは、球体の最短距離のこと。
地球を手にすることができて、大円にナイフの刃を当てると、中心に届きます。
これは直感的には遠回りに見えます。
二点を結ぶ最短距離、最短航路は直線に感じるからです。
もちろん我々の使っている地図が現実とあっていない、という反論もあるかもしれません。実際は直線なんだけど、表記が曲線になる、と。
しかし現実にも直線ではなく、曲線です。上昇したあとは地球の湾曲に合わせます(高度を一定に保つということは、地球に沿うということです)。
まあ、いずれにしてもあまり良い例ではありませんね。
我々は二点間の最短距離を直線と反射的に考えがちですが、それはユークリッド幾何学の世界だけだということです。他の世界であれば、また別です(たとえば地球という球体であれば、すべての平行な経線は無数に交わります)。
最短距離を測地線と呼びます。
そして、最短距離を通るように物理法則はデザインされています。
それが第一に幾何光学のフェルマーの原理であり、第二に惑星の運行でした。
すなわち、幾何光学の3つの性質である直進、反射、屈折は最短距離を通るための経路であり、その原理から演繹されるのが、入射角と反射角が等しいということであったり、入射角と屈折角の関係であったりするということです。
屈折は曲がっているのではなく、古い言い方であれば直進しているのです。もしくは測地線を通っている、もしくは最短距離を通っているのです。最小作用の原理に従っているのです。
同じく天体の運行もそうです。
月は地球の周りを回っているのではなく、月は直進しているのです。
どこを直進しているかと言えば、曲がった空間に対して、その測地線を"直進”しているということです。
この考え方の何が良いかと言えば、重さを持たない光がなぜ曲がるのかが明確に説明できるといことです。
重力を質量の関数として考えると(いや、質量の関数であるのですが)、質量を持たない光子がなぜ重力によって曲げられるのかの意味がわかりません。
ブラックホールになぜ光が吸い込まれ、そして光ですら脱出できないのか分かりません。重さが無いのであれば、引力は生じないはずです(ここらへんの議論は寺子屋「ブラックホールの熱力学」などを参照してください。ブラックホールは歴史的に3段階あります。第一の説を唱えたのはラプラスです。ニュートン力学の帰結としてのブラックホールです。最も明るいが、最も暗い星と言ったラプラスです!)
地球と同じ密度をもち、そしてその直径が太陽の直径よりも250倍大きいはずの明るい星は、引力の結果、その光線の何ものもわれわれに到達することを許さないだろう。したがって宇宙におけるもっとも大きい明るい物体は、この原因によってみえないことも可能である。 P.S.Laplace(1798)
*ラプラスというと、こちらしか思い出せませんが、、、、(・_・;)
*こちらがピエール=シモン・ラプラスです。ラプラスの魔のラプラスです。
話を戻しましょう。
なぜ重さを持たない光が、重力の影響を受けるのでしょう。
我々は重力についての理解を修正しなくてはいけません。
光はいつも直進します。正確には測地線に沿うのです。
重力は空間そのものを歪めます。というか、空間の歪みを重力と表現しています。
その歪んだ空間の最短距離を光は移動するので、月が地球の周りを回るように、光も重力の影響を受けたかのごとく(受けているのですが)、曲がります(ちなみにこの曲がった光をイギリスのエディントンが観測したことで、一般相対性理論の実証となりました)。
*曲がった光をどう観測するかと言えば、蜃気楼などをイメージすると良いと思います。光が屈曲することによって、蜃気楼と同じくありえない位置に星が見えるのです。もちろん太陽が明るくて、その近くの星は通常は見えませんが、太陽のライトがオフされる瞬間、すなわちEclipse(日蝕)を狙って撮影されました。
*蜃気楼のおかげで、ラピュタのように浮島現象として見えます。
いきなり経済学の話しに戻りますが、経済学はこの物理学の特にニュートン以来の天文学の手法を劣化コピーさせます。
天文学で重要なのは最小作用の原理です。
天体はきわめて合理的に動くのです。
コストがかからず(ゼロ)、無駄のない動きをします。最小作用の原理です。
そして、なぜか人間も合理的な個人が完全情報を元に行動すると考えたので、天体現象と同じく決定論的に記述できると考えました。
寺子屋「はじめての数理経済学」の最後にやったReal Bussiness Modelにおいては、最小化ならぬ最大化する量をL(ラグランジアン)として、求めました(最小化と最大化はコインの裏表です。0にならないとすれば、逆数を取れば、最小化になります)。
RBMでは「消費と余暇が最大になる」ための条件を求めました。
これは天体の運行と同じように、部分が使えるのです。
経済学の数学自体に難しいところはありません。
いや、もし授業でやるのであれば、難しいのかもしれません(物理学も数学も)。
ただ我々が大人の教養としてやる分には、読めれば良いのです。数式を理解して、その展開を追うことができれば十分です。そう割り切るのであれば、数学は簡単です。
誰もがフェルマーの最終定理を解いたり、ポアンカレ予想を解くわけではありません。いや、解こうとしている天才プレイヤーたちも、ほかの証明は読むだけです。自分でゼロから解こうとかしません(そんな天才はラマヌジャンだけです)。
*ワイルズが最初にフェルマーの最終定理の証明を公開した瞬間です(もちろんこの半年後に撤回され、そして再び証明しますが)。
数学者自身も自分の専門分野以外は素人です(素人ながら、学習するスピードが早いのです)。
ファインマンがかつてこう言いました。
「なるほど、そんなことを覚えているから、私が君達に即座に追いつけたのだ」と。
ファインマンが学生時代に、生物学を学びに行き、ゼミか何かで猫の解剖学で説明を開始しようとしたときのことです。
猫の解剖学の具体的な名称(筋肉とか腱とか視神経とかでしょうか)を黒板に書いていたら、生物学の学生から、「そんなことは覚えているから、書かなくて良い」と言われたのです。
それに対して、上記のように答えました。
そのとおりだと思います。
数学にせよ、物理学にせよ、なんというか学び方が古いのです。
自分の頭をグーグル先生なり、辞書にすることはないのです。
グーグルや辞書は別にいるのですが、それを使役しましょう。外部メモリとしてフル活用しましょう。
人間がやることと、やらなくてい良いことは厳然と分けるべきです。
昨日も導入した指数関数にせよ、対数にせよ、行列にせよ、三角関数にせよ、我々が学校時代に無駄なことを教えられすぎたのです。
実際に現実世界で一番使っていることだけを絞って教え、何となく分かるようにすればいいのです。分かるというか、数学という言語が読めるようになればいいのです。
数式や証明を順を追ってその意味が分かればいいのです。
それなのに学校では、ともかく大量に解かせます。
僕らは人工知能ではないのです。解けなくて良いから、読めればいいのです。
絵を学ぶときに、描けるようにするでしょうか、音楽を学ぶときに、作曲もやり、指揮もやり、演奏もできるようにするでしょうか。画家になったり、音楽家になるというのなら別です。そうではなく、教養として学ぶときは、鑑賞の仕方を学び、技法を学びます。
歴史を学ぶ時に、発掘調査の方法から、刷毛の使い方から学ぶ人はいません。もしくは自分ですべての遺跡を見て、自分で歴史を調査せよ、とかありえません。
しかし、物理学や数学ではそれをやらせようとします。歴史的に重要だからという理由で、全く役に立たない議論を延々と強制されます。
我々はもっと近道があるのです。
アルキメデスは「幾何学に王道無し」(学問に王道なし)と言いましたが、無駄な道はあります。そして迷路もあります。
むしろまっすぐに測地線をたどる方法はあります。
その道はアリアドネの糸をたどるように、曲がりくねった道を指し示すかもしれませんが、それが実は最短なのです。最短で出口にたどり着ける方法です。
傲慢で我田引水な物言いであることは百も承知ですが、「まといのば」が提供する寺子屋シリーズはそのアリアドネの糸の一つでありたいと思っています(そして2017年からは寺子屋新章のスタートです。ゼロからの寺子屋講座をやっていきます!!乞うご期待!!)。
*我々の能力はもっともっと開発できるのです。そしてその能力を遺憾なく発揮できる場は十分にあります!!
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獅子はその爪痕(つめあと)でわかる(ヨハン・ベルヌーイ)
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