Quantcast
Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3544

聖書や古典を声に出して誦む 〜幸福はいつもわれわれの手から逃げて行くといわれている(アラン)〜

$
0
0

古典なり神話というものは、人類の共有財産であり偉大な遺産です。

たとえばこんな質問をされることがあります。神話はまず何から読んだら良いですか?
日本人なので、古事記、日本書紀からでも良いのですが、まずは新約聖書の福音書から読むと良いと思います。福音書はイエスの一生の物語です。
現在の我々の神話として圧倒的な影響を及ぼしているのは、古事記でもなく、バガヴァッド・ギーターでもなく、ネイティブアメリカンの神話でもなく、新約聖書と旧約聖書だからです。ですので、まずは福音書から始めると良いと思います。

ただ福音書と言うと当然ながら、キリスト教のイメージが非常に強くあります。
誤解を恐れずに言えば、キリスト教は福音書と何の関係もありません。
そう思って、福音書に向かうことが必要かと思います。

もしくは僕が新約聖書学で学んだことをそのままトレースするならば、イエスの思想とキリスト教の歴史は無関係です。キリスト教の歴史2000年によってイエスの思想をはかることはできないという意味です。キリスト教は圧倒的な殺人を犯してきましたが、しかしモーセの十戒には「汝殺すなかれ」とあります。イエスは律法を廃しに来たのではなく、完成しに来たのですから、神の名による殺人を許すとも思えません。

キリスト教の悪いイメージを理由に(さらに悪い事には良いイメージを理由に)聖書から距離を置くのは賢いとは言えません。短いものですし、楽しめる箇所も多く何と言っても名言の数々ですので、食わず嫌いにならずにサラッと読むと良いと思います。よく引用しますが、「豚に真珠」(マタイ7:6)や「目からうろこ」(使徒行伝9:18)などは聖書です。「叩けよさらば開かれん」「狭き門より入れ」なども聖書です。
どちらもマタイ7章ですね。

第7章
7:1 人をさばくな。自分がさばかれないためである。
7:2 あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量りが与えられるであろう。
7:3 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
7:4 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
7:5 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
7:6 聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。
7:7 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
7:8 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
7:9 あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
7:10 魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。

7:11 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
7:12 だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。
7:13 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
7:14 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
7:15 にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
7:16 あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
7:17 そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
7:18 良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。
7:19 良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。
7:20 このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。


この前の後も素晴らしいのですが、キリがありません(^o^)



ただ一方で聖書とは読むものではなく、聴くものであり、声に出して唱えるものです。
口に出すことです。そして耳で聴くものです。

イスラム教学者の井筒俊彦先生によると、イスラム教の聖典であるコーラン(クルアーンQur'an)はQ.R,'という3個の子音を語源としており、このアラビア語の語源は「誦む」ということであり、口に出して朗誦し、読誦するという意味です。同様にトーラーの意味で使うミクラー(Miqra')もヘブライ語で朗誦としてのテクストのバイブルのことです(井筒俊彦「『コーラン』を読む」岩波現代文庫p.6)

以上は井筒俊彦先生の著書からです。以下、引用します!

(引用開始)
コーラン第八七章、第六節に、

我ら(神)は汝(ムハンマド、預言者)に誦ませようぞ、さすれば汝も忘れまい、アッラーの御心ならでは忘れまい。

 と言われています。要するに、『コーラン』は、これを読誦することが肝要だ、ということです。啓示された神のコトバは、いつも声を出して誦んでいなくてはいけない。声を出して誦むことによって、はじめてお前の心にそのコトバがしみ込むだろう。それをおこたると、せっかく啓示された神のコトバもすぐ忘れられてしまう。忘れられてしまうということは、心にしみてこない、従って働かない、何の作用も及ぼさない、ということです。
(引用終了)(同pp.6-7)

神の言葉が作用を及ぼすためには、心にコトバを染みこませなくてはいけなく、心にコトバを染みこませるためには、いつも声を出して誦む必要があるということです。
声に出して唱えるということは重要です。
アファメーションからマントラまで声に出すことはとても重要かと思います。


そしてこれもまた僕が若いころに牧師から聞いたことですが(いつもながら大学の授業でですがw)、聖書とは読むものではなく、耳から聴くものだ、と。読むだけでは何も面白く無いこの本(聖書)がなぜ世界的なベストセラーなのかと言えば、親が、教師が、神父が、牧師が読み聞かせてきたからだ、と。納得です。

そう言って、彼は創世記の楽園追放のシーンを読みながら演じてくれました。いまだに強烈な印象です。
アメリカ人の牧師のこの楽園追放のシーンは僕の中ではなぜかグノーシス神話とつながって、長期記憶化していますw

記憶をたぐると僕にヘーゲルなり、聖書のコトバを子どものころから耳タコに吹き込んでくれたのは父でした。そして浄土真宗の僧侶であった祖父から、親鸞の思想を聴いて育ちました。親鸞と蓮如が僕にとって親しいのは祖父の影響が大きいかと思います。大学はプロテスタント大学であったために、強い信仰を持つ先生から次々と聖書のコトバを聴きました。百聞は一見にしかずと同じく、何度読んでいても、語られているのを聴くのでは大違いです。

余談ながら、父の影響で星空が好きで星座が好きだったので、ギリシャ神話には自然と親しみます。星座の世界はギリシャ神話の世界そのものです(何かあると、ゼウスが次々と空にあげて星座にしていきました)。英雄オリオンは傲慢の罪でサソリに刺されて死にますが、天界でもいまだにサソリが現れるとオリオンは逃げていきます。目の前に壮大なギリシャ神話が繰り広げられるのが、星座の世界です。

カバラというのは伝承という意味であり、口承でもあります。ラビの口から語られ、それを耳に入れて、口で唱えて、心に書き留めていきます(日本の寺子屋の四書五経も同じでした)。その意味では目で学ぶというのはかなり危険です。分かったつもりになるからです。口に出す、手で書くというのは大事です!

できれば尊敬できる教師の口から、聖書の聖句を聴くのが良いと思います。
たとえば、中村元先生が語る大乗仏典なんて最高なので、是非耳にイヤホンを放り込んで生きると良いと思います。バイブルもたくさんオーディオ教材があります。古事記は中村吉右衛門の素晴らしい朗読があります。やはり古典は耳で聴くものだと痛感させられます。
井筒俊彦先生の肉声も聴けます(こちらの記事「リンゴとナツメヤシ ~一つの麦、もし死なずば~」を参照)。


たとえばこんな人がこんなシチュエーションで話したバガヴァッド・ギーターの言葉は深く心に刻まれます。

トリニティ実験を指揮したオッペンハイマーの実験後のつぶやきであり、絶望の言葉です。


*トリニティ実験(1945年7月16日)人類最初の核実験。


*初出は「今や我は死なり、世界を破壊する者なり」


僕自身も何かを学ぶときは(というか日々学びですが)、音声教材を使うことは多いです。繰り返し繰り返し聴いて、覚えてしまうくらいまで身体にいれます。結局、血肉化しない知識は使えないからです。


学び続けるとは働き続けると同じことです。
学び終えてから、人のために働くと思っている人がいますが、そうではありません。たとえば、学び途中の小学生でも新聞配達は可能です。共同体の中で自分ができることはあります。掃除も片付けも子どもでもできます。それをビジネスとしている人もいます。
できることから、役に立つことから働き初めて、そして学び続けることで、社会にますます機能を果たせます。
まず働くことかと思います。
働きながら学び、学びながら働くことです。

学校の勉強と違って、自分が知りたいことを学べばいいので楽しいはずです(いや、実際にはそうでもないのですが、それもまた楽しいのです。人のためならば、苦行のような勉強もできるのです。自分のために学ぶから学校時代はキツく、人様に喜んでもらえるために学ぶから社会は楽しいのです)。

アランの言葉を最後に引いておしまいにします!!

(引用終了)幸福はいつもわれわれの手から逃げて行くといわれている。人からもらう幸福については、それは正しい。人からもらう幸福などは、まったく存在しないからだ。しかし、自分でつくる幸福というのはけっしてだまさない。それは学ぶことだから、そして人はいつも学んでいる。知ることが多くなればなるほど、学ぶこともますます多くなるのだ。そこからあのラテン語を学ぶ楽しみが生まれる。それには終わりがない、否、むしろ知識の進歩によって楽しみが増大している。音楽をやる楽しみも同じである。だからアリストテレスはあの驚くべきことばを吐いている。真の音楽家とは音楽を楽しむ者のことであり、真の政治家とは政治を楽しむ者のことである、と。「楽しみは能力のしるしである」と彼はいうのだ。これはすごいことばだ。このことばは表現の完璧さのゆえに鳴り響き、学説をよそにしてわれわれの心を捉える。幾度否認してもついに無駄であった、この驚くべき天才哲学者を理解しようとするならば、この点をこそよく見なければんらない。何事をやるにしても、ほんとうの進歩をあかしするのは、人がそこでどんな楽しみを感ずることができるかである。そこからわかるのは、仕事は唯一のよろこび、それだけで満たされたよろこびであることだ。わたしが言っているのは、自分で自由にやる仕事のことで、それはつまり、能力を示すわざであると同時に、能力が出ている源でもある。くりかえすことになるが、人にやってもらうのではない、自分でやることだ。

 誰でもあの石工たちが暇をみては自分の小屋を建てているのを観たことがあろう。石工たちが石を一つひとつ選んでいるところを見ているはずだ。この楽しみはどんな手仕事にもある。仕事をしている職人は何かをつくり出し、いつも学んでいるからだ。しかし、まったく機械的な作業は退屈をもたらすばかりでなく、時には大きな混乱となることがある。職人が仕事の分け前にあずかることがなく、ただいつも同じことを繰り返しているだけで、自分のやっていることから何も得ることがなく、それをもとにさらに学ぶこともできないような時には。これとは反対に、やらねばならないことが次から次へと出てきて、一つの収穫が次の収穫を約束すること、これが農夫の幸福である。わたしが言っているのは自由な農夫、自律の野人である。しかしながら、かなり骨の折れるこのような幸福に対しては、あらゆる方向から猛反対が起こる。それはいつも人からもらう幸福が欲しいという、救われることのない考えからである。なぜならディオゲネスの言うように、労苦こそよいものだから。しかし、精神はこの矛盾を担うことをよしとはしない。精神はこの矛盾を乗り越えなければならない。くりかえすことになるが、精神はこの思惟によってこの労苦を楽しみとしなければならない。  一九二四九月一五日
(引用終了)(アラン「幸福論」pp.161-162岩波文庫)

「精神はこの思惟によってこの労苦を楽しみとしなければならない。」とは前頭前皮質の働きです。
人間が人間らしくなる瞬間です。

アリストテレスが「真の音楽家とは音楽を楽しむ者のことであり、真の政治家とは政治を楽しむ者のことである」と言ったのであるとしたら、我々は真のヒーラーとして、ヒーリングを心から楽しみましょう。
楽しみは能力のしるしである」とはアランではないですが、けだし名言です。むしろ楽しめるところに能力があります。


その意味で開業スクールでは、ひたひたと結果が出始めています。

かなりハードですが、楽しいのではないかと思っています。

来年1月からの2期もそろそろ募集するかと思いますが(継続は歓迎です、もちろん)、その前に1.5期なる途中参加も募集しようかと思っています。
基本的には3ヶ月6回の面談がメインコンテンツですので、いつ入会しても大丈夫です。重なっている同士での勉強会も企画していきます。
まだまだ雌伏のときです。[共学編]はまだ一度も全体で顔合わせをしていません。
きちんと羽ばたいて、事業が回り始めてから顔合わせをしたいと思っています。
烏合の衆ではなく、プロの集団として会いましょう!!それまでは各自でひたすら作業です。

シンプルに自分の価値を上げていくための作業が全てです。
そのための試行錯誤し苦しむしかありません。

また開業スクールに関連して、人生戦略ということでセミナーをする予定です(地政学者奥山真司先生の「世界を変えたいなら一度“武器”を捨ててしまおう」をテキストに使います。分かる人は分かると思いますがw。)(これは瀧本哲史先生の「君たちに武器を配りたい」と逆ですね~、両方ともをテキストにしても面白いかもしれません)
抽象度を上げること、ゴールを設定することは大切ですが、そもそものベースとなる考え方がずれていると画餅に帰します。戦略という視点を入れない限りはうまくいきません。

それを開業スクールでは強く感じます。
というわけで、来月か再来月あたりに「まといのば」講座として開催します!


というわけで、古典や神話を声に出して読みましょう!!



【書籍紹介】
井筒俊彦先生の肉声が聴けます!
コスモスとアンチコスモス 一九八五年 ― 一九八九年(講演音声CD付き) (井筒俊彦全集 第九巻)/慶應義塾大学出版会

¥7,560
Amazon.co.jp

『コーラン』を読む (岩波現代文庫)/岩波書店

¥1,534
Amazon.co.jp

世界を変えたいなら一度”武器”を捨ててしまおう/フォレスト出版

¥1,512
Amazon.co.jp

世界を変えたいなら一度”武器”を捨ててしまおう/フォレスト出版

¥価格不明
Amazon.co.jp

ブッダの言葉 新潮CD (新潮CD 講演)/新潮社

¥3,240
Amazon.co.jp

ブッダの生涯 新潮CD (新潮CD 講演)/新潮社

¥3,240
Amazon.co.jp


まとめて買うと驚きの安さです(それぞれ600円!!)。全部ドラマチックに朗読してくれるので、ありがたいです!!
CEV New Testament - Contemporary English Versio.../Bible

¥価格不明
Amazon.co.jp
*600円

CEV Old Testament - Contemporary English Versio.../Bible

¥価格不明
Amazon.co.jp
*600円

イザナギとイザナミ 日本の神話 第一夜 世界の童話シリーズその223/ことのは出版

¥352
Amazon.co.jp

スサノオノミコト 日本の神話 第二夜 世界の童話シリーズその224/ことのは出版

¥352
Amazon.co.jp

オオクニヌシノミコト 日本の神話 第三夜 世界の童話シリーズその225/ことのは出版

¥352
Amazon.co.jp

山幸彦と海幸彦 世界の童話シリーズその247/ことのは出版

¥297
Amazon.co.jp


月額制のAmazonのAudibleは面白いです。
まだラインナップは少ない感じですが、これからでしょう!


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3544

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>