Quantcast
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3544

一定のデータが与えられた時に接近可能な文法の総数を減ずるような理論をつくり上げる(チョムスキー)

寺子屋の次回のテーマはチョムスキーです!!
知の巨人「チョムスキー」に迫ります!
分析哲学の祖であり、言語学を科学にした大天才です。


とは言え、まだ今週は寺子屋「ヘーゲル」の追加開催があり、2月の頭には「悪魔学」の追加開催の追加開催がありますw

2月後半に「チョムスキー」を開催します。

Image may be NSFW.
Clik here to view.

*知の巨人、ノーム・チョムスキー


チョムスキーのことをヘーゲルと重ねて開催するのが当初の予定でしたが、それはさすがに無茶というか、まあ現状の外でしたw
Goalはいつも現状の外であるべきなので、蛮勇さは重要ですね。

実際に、講座のギリギリ直前でチョムスキーを取りやめました。そこで泣く泣く割愛したのが以下の引用です。おそらくは夏あたりの寺子屋集中講座で、ヘーゲルからチョムスキーのつながりをがっつりとできると思います。かなり面白いと思います。

ちなみにチョムスキーもまたヘーゲル同様に僕の青春のヒーローでした(そしてその次のニーチェも)。いま思うにこれらの英雄から受けている影響も膨大でした。そして、それに自分自身が気付いたのはずいぶんと最近でしたが。

ヘーゲルもニーチェもそして当然ながらチョムスキーも現代の人類に深く影響を与えています。その実像を見つめることは、我々の成長に欠かせないと考えます。

偉大な知の巨人です。見上げても見上げてもきりがないほどの巨人ですが、我々はその足下から見つめなおして、できればこの知の巨人を踏破し、巨人の肩の末席に座りたいものです(いや座らず、寝ず、立ち上がりましょうw)。


(引用開始)

ーー言語理論がそれによって評価されるべき次元というのは、正確に言うとどのようなものなのでしょうか。

チョムスキー  私の考えでは、言語学的に見て最も興味深い次元というのは、『統辞理論の諸相』第一章の最後で触れられているものだと思います。その基本的な概念は、説明的妥当性であると今でも私は考えています。説明的妥当性の問題は「投射の問題」(projection problem)、すなわち、ある特定の言語データを基にしてどのように個別文法が選ばれるのかを説明するという観点から捉えられていますが、もしこれが分野の根本的な問題であるのならば、「説明」という概念をこの観点から展開していくことができるでしょう。
 この領域では、まだまだこれから為されなければならない研究が山積していますが、少なくともどのようなやり方で行ったらいいのかは見当がつくのです。ごく少量のデータを一意的に文法へ写像する関数を見つければいいんですよ。そうすれば、この関数自体が一つの説明理論ということになります。なぜそうかというと、この関数は、文法が予測する諸現象を、データによって与えられる境界条件(boundary conditions)を基にして説明することになるからです。問題は、どうやったらその関数に行きつくか、ですが、そのための唯一の方法は、一定のデータが与えられた時に接近可能な(accessible)文法の総数を減ずるような理論をつくり上げることでしょう。
 この点が、経験的には唯一の重要な規準でなければならないのです。言語理論がすべての再帰的可算集合に対して(あるいは、もしかしたらそれさえも超えて)、文法を許容することも十分にあり得るでしょう。そうであっても、議論の本質には全く影響がないのです。言語理論に要求されているものは、何らかの意味での接近可能性(accessibility)という概念なのです。この接近可能性という規準を用いて文法を分散させておく必要があります。そうすれば、ごく少量のデータが与えられた時に、その条件に合うような文法の数はそれほど多くなくなるし、事実、もしかしたらその数はごく少ないか、あるいは一つだけに可能性もあるわけです。こういったことが、説明における基本的問題だと私には思えますし、理論がそれによって評価されるべき経験的に重要な次元だということになるでしょう。この観点からすると、極めて高度に構造化されかつ非常に強い生成力を持つ理論が有力な候補です。例えば、いま仮にチューリング機械を組み込むための少々変わったやり方があるとします。そのやり方の下では、一定のデータに関してチューリング機械が非常に奇妙な形で分散するとします。そうすると、手に入るどんな種類のデータに対しても、それにうまく合致するようなシステムが無限に存在することになるでしょうが、それらのシステムのほとんど全てが、ある尺度を用いて計算すると複雑度が高すぎて考慮するにも値しなくなってしまう。こういったものこそが正しい理論になり得るわけです。これに対して、テューリング機械に関する標準的な表記法ではだめなんです。どうしてかと言うと、全てがあまりに簡単に利用できてしまって、データに関してシステムの分散が起こらないからです。

ーーーあなたが示唆しているのは、形式言語の階層性といったようなものは正しい尺度ではないということですね。そうすると、弱生成力という概念、あるいは強生成力という概念でさえも、我々が求めている次元を特徴づける上で中心的な要因ではないということになりますね。今お話しになったような、説明的妥当性の次元を形式化する方法はあるのでしょうか。


チョムスキー この種の問題は、現時点では形式化に適したものではないと思います。ある決定的な状況においてーーすなわち自然言語という状況においてーー可能な文法を多くは許さないような普遍文法の理論を発見することこそが問題なのですから。

(引用終了)(チョムスキー「生成文法の企て」pp.91-94)


以上が寺子屋「ヘーゲル」に掲載する予定であった(というか、講座直前に割愛した)チョムスキーの引用です。

ミニマリスト・プログラムの核をなすビジョンの説明だと思いますが、「この種の問題は、現時点では形式化に適したものではないと思います」という言葉にあらわれるように、チョムスキーは最初のころの勢力的な形式化に反して、すぐに形式化から離れます。その理由は形式化は可能であるが、数学がまだ言語学に追いつかないということだと僕は認識しています。

しかし、チョムスキーは少し違う認識のようです。

(引用開始)
言語学においては、分野の全面的数学化が依然として成し遂げられていません。生成文法の初期の段階では、(例えば、あなた自身の形式言語理論やオートマン理論に関する研究のような)数学的研究がいくつか行われたましたが、それ以来、本格的な数学的研究が言語学に導入されたことは、ほとんどありません。これは、有限の離散システムであるという事実から生じる本質的問題として、人間言語が広範囲にわたる数学の適用を、いわば内在的に拒んでいるということなのでしょうか。それとも真の数学化を必要とするほど、人間言語に関する経験的な研究がまだ十分に蓄積されていないせいなのでしょうか。(略)

チョムスキー そうですね、これは美しい理論とは何かという問題と関わっています。ある理論に美しい数学が備わっていれば、科学者は満足します。そして実際、あなた方も指摘したように、真でないはずがないほど理論が美しいという理由で、色々な事実を捨ててしまうことさえあります(略)

これは科学では常に問われ続けている類いの問題です。すなわち、一体どうして自然は数学の諸法則を満たすのかという問題ですね。これは非常に不明確な問題です。一種のカント風の解答も可能かも知れません。つまり、我々の心そのものが数学の諸原理によって動いていて、自然のある側面が我々の心に適合する限りにおいて、我々はそれを理解するのだ、ということです。(略)我々には理解不可能でも、火星人なら理解可能な自然の側面がたくさんあるのかもしれません。

ニュートンやデカルトやガリレオ等の人達にとって基本的であったような諸問題のうちのほとんどの問題は、もはや誰も問うことすらしません。そういった問題は解決されたのではなく、ただ問われなくなっただけです。例えば、遠隔作用なるものがなぜ存在するのかといった問題です。

(略)

この奇妙な有機体(人間)は、まず言語機能を得て、さらにある種の抽象化を行う能力を持っていたものですからそれを用いて言語特有の特性を全て切り捨てて、枚挙可能性の原理のみに集中した。こうして得られたものが、基本的に算術(自然数の概念)です。これが正しければ、いかにして神が自然数を創り、他の数は人間が作ったかというよく知られている直観の背後にあるものが理解できることになります。(p.354)

(引用終了)

最後の「神が自然数を創り、他の数は人間が作った」はご承知のように(寺子屋「算数・数論」でも扱いましたが)クロネッカーの言葉です。そして、これはもちろんピタゴラスの確信でもありました。ピタゴラス教団のシンボル・マークは五芒星であり(偶然にも安倍晴明と同じでw)そこには黄金比が隠れています。しかし黄金比だけではなく、本人の名を関したピタゴラスの定理から導ける1辺が1の正方形の対角線は無理数です。無理数という理性を失った(irrationalな)数はピタゴラスにとっては許しがたいものでした。

Image may be NSFW.
Clik here to view.



チョムスキーは関数主義とでも言うべき、構造が存在することは確信しているものの、それが数学というオモチャで記述できるかどうかには懐疑的なのかもしれません。そのオモチャがまず言語学まで進化していないのか、本質的に不可能と思っているのかは分かりません。

ただ少なくとも現状では(大学院生たちにとって)「数学があまりに難しくなってしまう」(チョムスキー)と考えているのは事実のようです。

ただ「構造」というのは数学でも大きな課題です(一方で、数に関してはオイラーとガウスという天才たちが、ペンペン草も生えないレベルにやりつくしてしまった感があります)。

訳者によるこんな解説があります。そこに言語学と数学がマリアージュする希望を見いだせるかもしれません。

(引用開始)
I言語の強生成力に関しても、例えば、I言語が持つ「構造」(そのI言語が生成する構造記述Σの集合{Σ})に対してその自己変換群を考えることによって、「句構造(I言語)のガロア理論」のようなものを探求することは、十分可能なのではないかと思われる。事実、多少異なった方向からではあるが、黒田成幸は、強生成力の等価性の概念に対して、「位相の塔」を組み入れることを提案し、それによって強生成力に関する一種の代数的理論を展開しようとした。黒田はさらに、文脈自由句構造言語と(一次および二次の)ゼータ関数との関連性を示し、そのことを通して句構造言語一般と算術・解析との関わり(文脈自由言語全体の算術化)を追求することも示唆している。
(引用終了)(p.398)

というわけで、この「生成文法の企て」を寺子屋「チョムスキー」の教科書とします。
もちろん余裕があれば、他の著作もガツガツと読んでみてください。

これは1980年と2002年のインタビューをもとに構成されています。

対談というのはそれがうまくいくと圧倒的な面白さがあります。

神話学のジョセフ・キャンベルもビル・モイヤーズという素晴らしい聞き手を得て、最晩年の素晴らしい仕事となりました。

この著作も同様だと思います。

と書いていたら、ジョセフ・キャンベルとビル・モイヤーズの書籍の「神話の力」のもとになったテレビ番組がYoutubeにアップロードされていました。消されてしまう前に見ておくべきですね(^^)


これはVol.1ですが6まであります!


【書籍紹介】
生成文法の企て (岩波現代文庫)/岩波書店
Image may be NSFW.
Clik here to view.

¥1,598
Amazon.co.jp神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)/早川書房
Image may be NSFW.
Clik here to view.

¥1,080
Amazon.co.jp


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3544

Trending Articles