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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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無から何を引いても無である。しからば。。。0−4=0である。。。のか?

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パスカルはパンセの中で「0-4=0」と書いているそうです。

なぜなら無から何を引いても無だと言うのです。(p.66 足立恒雄著「√2の不思議」より)

なるほど。。。。

一理ありますし、パスカルらしいのですが、それでも地球は回っています...

もとい、0-4=-4です。


寺子屋「錯視、サブリミナル」のテキストとして指定しているメディア・レイプ(ブライアン・キー著)にこんな一節があります。

(引用開始)
 時を経ても変わらぬ確固とした定義をもつ言葉など、世界中のどの言語を探したって見つからない。言葉の意味、定義、意識的・無意識的な使われ方は日々刻々変化する。だから辞書はたえず改訂される。呆れたことに、言葉はつねに変化・進化しつづけるというこの周知の事実が、学校教育において強調されたり、大学で研究されたりすることはめったにない。言語は、永続的な定義と意味をもった、論理構文の恒久的システムとして教えられている。
(引用終了)p.83 ブライアン・キー「メディア・レイプ」

言葉は時代によって意味が変わるどころか、使う文脈によっても変わります。

我々がバカの一つ覚えのように繰り返し用いる例で言えば、リンゴもしくはAppleがあります。文脈に応じて、これを指し示す意味は変わります。聖書について語っているときには知恵の実であり、果物屋さんの店先では果物を指し、コンピュータの歴史について語るときはとあるコンピュータ会社のことを指します。物理学においてはニュートンの重力理論を想起させるかもしれません。




より厳密に言えば「変わらぬ確固とした定義を持つ言葉など」無いのです。

われわれはすぐに「永遠の」とか、「変わらぬ」という言葉を使いたがります。

それはランダムで不確定な自分自身と宇宙に対する楔として何かよすが欲しいだけなのです。不完全情報であることを自覚する我々は完全情報を希求するのです。それを最高の目的という名のギリシャの高名な哲学者(アリストテレス)は『不動の動者』と言いました。別名、神ですね。

あのアプリオリを定義したカントですら「永遠平和のために」という書物のタイトルは単なる風刺であったことを想起すべきでしょう(この「永遠平和のために」という言葉がオランダの食堂にあった看板のタイトルであり、その挿絵は墓場であったことをカントは言及しています。洒落ています)。

マルクスに深く傾倒している(と思われる)イーグルトンがこのように言います(寺子屋「文学」で扱いました)。
(これまた吹き出してしまうほど面白い発言です)

(引用開始)
かつてカール・マルクスが悩んだ問題は、古代ギリシアの芸術が、それを生んだ社会が過去のものになってすでに久しいのに、なぜ「永遠の魅力」を保持しているかということだった。しかし私たちがいまこだわりたいのは、この世界の歴史がまだ終わってもいないのに、それが「永遠の魅力」を持つとどうして言い切れるかということだ。
(引用終了)(イーグルトン「文学とは何か」)

世界の歴史が終わっていると考えるのはフランシス・フクヤマだけです(ただの戯言です。フランシス・フクヤマの名著に「歴史の終わり」があります。フランシス・フクヤマ自身、多くのタイトルしか読まない批評家から「まだ歴史は続いている!」と批判されたと苦笑まじりに言及しています)。


ちなみに「数学は言葉」であるということについて、朝永振一郎のこんな言葉が紹介されていました。

(引用開始)
物理学者朝永振一郎さんは「われわれの日常の言語はあまりにも日常的な概念の束縛を受けすぎているので、自然の法則を綴るだけの自由さを持ちえない」、そのために使われる言葉は「もっと純粋で、もっと自由」でなければならない、「そういう言葉は数学である」と述べられている。
(引用終了)(p.31 足立恒雄著「√2の不思議」ちくま学芸文庫)

「そういう言葉は数学である」という力強い朝永振一郎先生の言葉に含意されているのは、当然ながら数学は言語であるという確信です。
数学もまた自然言語の一部ながら、よく数学者が誇るような厳密性ゆえではなく、概念の束縛を受けすぎていない純粋で自由な点が「自然の法則を綴る」にふさわしいということです(物理学者らしいですね)

これは特筆すべきであり、面白い点かと思います。

自然の法則を綴るのに数学という言語がふさわしいと最初に言ったのはおそらくはガリレオ・ガリレイでしょう。より正確には書物の形で書き残したのはガリレオ・ガリレイでしょう(以下は寺子屋「数学の風景」で扱いました)。

(引用開始)
哲学はこの偉大な本に書かれており、
われらの目の前に開かれている(私は宇宙のことを言っている)

しかし、書かれている文字とその言葉とを理解できるように学ばずには、
この本を理解することはできない。

それは数学の言葉で書かれ、
その文字は、三角形、円などの幾何学図形であり、
これらなしには、人間が、一言たりとも理解することはかなわない。
これらなしには、手がかりもなく、暗闇の迷路に書かれた謎に留まる。
(ガリレオ・ガリレイ「贋金鑑識官」)
(引用終了)

哲学は眼前の宇宙(という偉大な本)に書かれており、その文字は数学であるという記述は非常に格調高く美しいものです。

この言葉を踏まえて、ライプニッツの以下の有名な言葉を読むと、また感慨深いものです。

(引用開始)
数学なしに、哲学を深く極めることはできない。
哲学なしに、数学を深く極めることはできない。
数学も哲学もなしに、なにごとであれ深く極めることはできない。(ライプニッツ)

(引用終了)


われわれは子供の時に言葉に意味はあると教わります。

冒頭でも言及しましたが、パスカルはパンセの中で「0-4=0」と書いているそうです。
なぜなら無から何を引いても無だと言うのです。(p.66 足立恒雄著「√2の不思議」より)

なるほど。。。。

一理ありますし、パスカルらしいのですが、それでも地球は回っています...もとい、

0-4=-4です。


なぜならそのほうがより広い世界を記述できるからです。
負の数を認めない数学よりも、負の数を認めるほうが数学宇宙は広がります。
そして我々の宇宙も広がります。

有理数を認めたほうが、宇宙は広がり、無理数を認めるとますます宇宙は広がります。

虚数、そして複素数を認めたほうがますます宇宙は広がります。

そしてより純粋で自由になります。

であれば、意味という重しを外し、機能だけに注目して、アルゴリズムとして言語も数学も取り扱うほうが、我々は自由に広い世界を羽ばたくことができるのではないでしょうか?





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